2024年11月24日
【24年度JCJ賞受賞者スピーチ】『南京事件と新聞報道』資料の山に分け入って ジャーナリスト・上丸 洋一さん=須貝 道雄
1987年5月3日に朝日新聞阪神支局襲撃事件があり、1人の記者が死亡し、もう1人の記者も重傷を負いました。「赤報隊」と名乗るものから犯行声明が出て、「反日朝日は50年前にかえれ」と書かれていました。1987年の50年前は1937年、つまり日中戦争が始まった年、南京大虐殺があった年です。
その1937年当時、朝日新聞をはじめとする新聞各紙はどんな報道をしていたのか。それを調べるために私は1年数か月にわたって国会図書館に通い、広島、和歌山、奈良などの県立図書館に足を運んで新聞を読み続けました。生の資料の山の中に分け入って、誰も読んでいないベタ記事に目をとめるという、宝の山にいるようなわワクワク感を伴う作業でもありました。
その結果分かったのは、当時の新聞の戦場報道は、日本軍は強い、日本軍は正しいということだけを書き、それ以外のことはほとんど書かなかったことです。戦場の悲惨とかむごたらしさ、中国民衆の苦痛、日本軍の恥ずべき行為の数々は全くといっていいほど書かれませんでした。
では記者たちは何も書かなかったかといえば、それもまた少し違います。当時の新聞には1人の兵士が中国軍兵士を30人斬りした、40人斬りしたという記事がたくさん載っています。日本軍兵士の手柄をたたえる記事ですが、これは集団虐殺を示唆もしくは暗示しています。殺される直前の捕虜の表情を書いた記事はかなりの数あり、斬首の方法を書いた記事まであります。
今回の本『南京事件と新聞報道』を私は事実をして語らしむことを旨として書き上げました。歴史修正主義に対する批判にはあえて深入りしていません。プロ野球の阪神ファンは勝っても負けても「今日はこのくらいにしといたるわ」と言います。私も歴史修正主義者たちに対して「今回はこれぐらいにしといたるわ」という思いがあります。つまり南京大虐殺否定論を徹底的、根本的に否定する本をもう1冊できたら書きたい。次の本を見とけと彼らに言いたいです。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年10月25日号
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