2025年01月08日

【神奈川支部例会】5歳、体中にガラス片 被爆の「語り部」丸山さんが講演 

 神奈川支部は11月30日に支部例会を開いた。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)がノーベル平和賞を受賞する機会に、被団協の構成団体である神奈川県原爆被災者の会会長の丸山進さんが講演した。

 丸山さんは神戸市生まれで現在85歳。2歳の時に母親と死別し、神戸空襲で家を焼かれ1945年3月に出身地の広島に移住した。
 家族は祖母、父親、15歳と12歳の2人の姉、10歳の兄との6人で、5歳の丸山さんは、祖母や上の姉と爆心地から2キロにある自宅にいた。朝食の後、自宅近くの空き地で遊んでいると、突然ものすごい光を浴びた。その後、突風とともに吹き飛ばされて気を失ったという。気がつくと体中に細かいガラス片が突き刺さっていた。家に帰ろうとしたが周囲の風景が全く以前とは違っていて迷ってしまった。偶然、知り合いの人に遭って泊めてもらった。

 家族の安否は明暗が分かれた。5歳年長の兄は学童疎開で爆心地から20キロ離れた地域にいた。疎開先で兄が溺れかけ教員に助けられたので、父親はそのお礼に赴くため市内を離れていた。一方、女学校1年だった下の姉は建物疎開に動員され、爆心地から1キロで被災。被災した生徒たちは即死だったという。自宅で被爆した祖母は、2週間後に亡くなった。
 その後、父親が長崎の炭鉱で職を得て家族は長崎に移住した。丸山さんは長崎で育ち20歳で上京、1年ほどで神奈川県相模原市に移った。
長い間、丸山さんは被爆者であることを意識してこなかったという。

 1996年から10年間は地域の自治会で活動した。2005年に相模原の原爆被災者の会から手紙が来て、被爆者運動に参加した。
 被爆時にある程度の年齢でないと原爆被災の実態は語れないと思う丸山さんだったが、女学校1年の時に被爆した前任者を助けて「語り部」の活動を続けた。

 「被団協のノーベル平和賞授与は、過去にも何回取り沙汰されたが実現しなかった。長年地道に活動してきたら、核兵器禁止条約という思いもかけないものが締結された。日本政府にはせめてオブザーバー参加をしてほしい」と丸山さんは語った。 
        JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年12月25日号
posted by JCJ at 01:00 | TrackBack(0) | 関東・甲信越 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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