2025年01月11日
【能登半島地震】1年たっても遅れる復旧・復興 被災住民の思いと齟齬が=須藤 春夫
今年元日の能登半島地震から間もなく約1年となる。マスメディア各社が地震半年後に実施した被災住民へのアンケートでは、7割を超える人が「能登に帰りたい、今後も能登で暮らし続けたい」という強い思いを示している。だが、9月には被災地を集中豪雨が襲い、復旧への足かせが重なった。24年12月6日現在、輪島市、珠洲市の1次避難所には40人、金沢市内の旅館・ホテルの2次避難所には24人と、未だに帰れない人たちが取り残されている。
県や市町は「創造的復興」を掲げるが、被災家屋の公費解体・修理、損壊した道路、港湾施設、耕作地など、復興の前提となる復旧が遅れている。
再建に見切りをつけ故郷を離れる被災住民が増えており、24年11月現在、輪島市、珠洲市など奥能登4市町の人口は、地震が起きた元日と比べて7・5%、約4千人も減少した。とくに子育て世代は、新たな教育環境や生業を求めて移転を余儀なくされている。まずは住まいと生業、医療と社会福祉施策の整備が急がれる。
行政の「創造的復興」プランは「能登の将来」を目指したものとはいえ、被災住民の思いと齟齬をきたしている。インフラ整備は「集約化」が前提であり、市街地中心部に住宅団地を造り被災集落を集団移転させる計画だ。生活の利便性は得られても、元の集落の人間関係や祭りなどが維持できず、暮らしを支えるコミュニティが崩壊してしまう。「暮らし続ける」条件が失われるのは、20年前の中越地震で集団移転した、小千谷市十二平集落の事例からも明らかだ。
一方、輪島市金蔵(かな・くら)集落はほぼ全世帯が現地の自主避難所に留まり、自分たちの手で田畑の復旧に取り組み、集落の再建を自主的に図る話し合いをもち、復興に必要な事項を行政に要請する動きをしている。金蔵は震災前から「村おこし」に熱心に取り組み、住民参加によるコミュニティの維持にこだわってきた。他県への視察から地の利を活かす食文化の提供を創り上げ、過疎化を食い止める道筋が見えていた。この経験が災害に遭遇した際の地域の耐性をもたらし、復興の希望を支えている。
メディアの復興に向けた報道は、被災した輪島塗や珠洲焼きの工房復活、店舗の再開、祭りの復活などを伝える表層的なものが目立つ。金蔵の事例が示す可視化しにくいコミュニティ維持への努力を発掘し、行政の復興施策に反映させる役割こそ大事だ。大災害を機に過疎地の地域住民を棄民化しかねない復興政策に歯止めをかけるためだ。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年12月25日号
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