今年は敗戦80年、昭和100年。いま世界各地では戦火が絶えない。歴史は繰り返すのか。
大佛次郎は『敗戦日記』の「昭和20年正月13日」に「五時のニュウス。マニラの戦争について一語も触れず、……戦果のあった時だけ勝った勝ったでは戦争をしているとは云えない話だ」と書き、2月12日には「政治は皆無の如くに見える」と書いている。
井上ひさしは「反核運動を指導したイギリスの歴史家が『抗議せよ、そして生き延びよ』と言った。ぼくはこれに一つ加えた『記憶せよ、抗議せよ、そして生き延びよ』を信条にしている」と書く(『朝日新聞』2000年8月6日付)。
またSNS政治元年といわれた昨年末、戦後新聞界を牽引してきた渡辺恒雄読売新聞主筆が亡くなった。100年前、80年前は、いかに情報を制限するかが権力の手法であった。現在はどうだろう。昨年の東京都知事選挙、衆議院議員選挙、米大統領選挙で見られたのは、SNSによる情報の氾濫、影響力の強さであった。SNSによって多くの人がつながり、情報を共有し、誰もが深く調べて判断している。しかし下村健一氏がいうように「今、私達の社会は情報を《真か偽か》ではなく《快か不快か》で選ぶ」ようになっている(『ジャーナリスト』801号)。
それでは真偽の区別はどうすればできるのか。受け取る側に、その信憑性を確認するリテラシーが求められるということはしばしば指摘される通りである。その能力を育てるのは、人類の歴史遺産としての知識ではないか。それを獲得する手段が「本」だと思う。
しかし紙の本の市場は年々急速に縮小している。全国の書店数は、出版科学研究所によると、2003年に20880店あった書店が、2023年には10918店になっているという。毎年1000店が閉店していることになる。
文化庁の調査によると、16歳以上で1カ月に1冊も本を読まない人は62.6%にのぼり、これが50%を超えたのは調査開始以来初めてという。本を読まなくなっていることは、長い文章を読むことができなくなっていることに通じ、それは考えることの減退に通じるのではないだろうか。
本を読まなくなった理由として「情報機器に時間がとられる」が43.6%を占め、その影響力の強さがうかがえる。
しかし、アメリカでは紙の本の売れ行きが伸びているといい、アイスランドでは人々が1カ月に平均2.4冊の本を読むという。
『理想なき出版』の著者アンドレ・シフレンは次のように語っている。「書籍とその思想にのしかかる脅威は、職業としての出版のみが直面する問題ではない。私たちの社会そのものに関わる危機なのだ。」
本はもはや絶滅危惧種だと言われる今日、もう一度本を披き、歴史に学んではどうだろうか。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年1月25日号
2025年01月30日
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