2025年03月18日
【追悼】元JCJ代表委員 桂 敬一さん逝去を悼む 深い洞察、鋭いメディア批判 広範な活動=吉原 功(JCJ代表委員)
鋭いメディア批判で警鐘を鳴らし続けた桂敬一さんが、1月19日逝去された。89歳。会うは別れのはじめというけれど、半世紀以上の知古を頂いた者としてはやはり辛い。
最初の出会いは1960年代初頭。新聞協会に訪ねたとき、桂さんは同協会新聞研究所のホープとして光輝いていた。「君ね、研究ばかりじゃダメだよ、運動もしなきゃ!」。この言葉を研究者、そして組合のリーダとして実践していた桂さんは、同研究所所長を経て、東大新聞研の教授になり活動の場を広め深めた。JCでは精力的にジャーナリズムのあり方や課題について提言。JCJ賞選考委員代表も担われた。97年には代表委員に就任。2004年春まで7期にわたり務めた。
ソ連圏崩壊の90年代初頭、桂さんは城戸又一先生とともにパリに視察に来られ、研究休暇中でかの地にいた私はお二人と楽しい貴重な時間を持つことができた。1930年代、東京日日新聞の欧州総局長としてパリを拠点に大活躍した城戸先生の話を聞きながらモンマルトル界隈を3人で散策したことは忘れられない思い出た。「このカフェでね、ハンガリーから亡命してきたキャパがドアーボーイをしていたの。で僕のライカをあげてね、カメラマンになりなさい、と言ったんだ」と城戸先生。
先生が青年知識人たちに呼びかけてフランスのナチス化をいかに防ぐかを議論したのがこのカフェ、つまりフランス人民戦線の発祥の地でもあった。スペイン内乱取材の話もお聴きした。桂さんと私はジャーナリストのあるべき姿を目の当たりにしたのである。
帰国して数年後の96年、桂さんは、石川真澄、斎藤茂男、鳥越俊太郎、門奈直樹、安江良介といった錚々たるメンバーとの連名で「市民とマスコミに携わる人たちとの連帯を考える当面の行動目標」と題するアピールをJCJ6月集会に提起した。その全文は同年7月号の「ジャーナリスト」に掲載されているが、「ジャーナリズム精神の衰退」を克服・復権しようという、今でも、むしろ今こそ読み返し議論すべき呼びかけである。
その後、雑誌「世界」で2008年に始めたコラム「メディア時評」は鋭い筆鋒が多くの読者を引き付け長期連載となった。筆者名の神保太郎は実はペンネームで数人のメンバーの集合名。その中心が桂さんだった。
桂さんは2019年『メディア、お前は戦っているか』(岩波書店刊)の「まえがき」で「集合知」という言葉ひいてジャーナリズムには「集合知」が必要だ」と説いた。
戦後80年の今こそ、私たちには桂さんの所説・提言を学び直し、実践していくことが問われているのではなかろうか。合掌
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年2月25日号
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