5月15日、沖縄は「返還」から数えて53年目の「本土復帰」記念日を迎えた。1972年入学の私にとって、復帰の自覚は琉球大学がその年から国立になったことくらいだったかもしれない。
だが、その日の土砂降りの雨は「沖縄の人々が流した涙だった」との表現は忘れられない。それは嬉し涙ではなく、怒りと悲しみの涙だった。
人権無き米軍占領下の苦難に、救いを祖国と呼ぶ日本への復帰に求め、「基地なき平和な島」を夢見た人々は、米軍基地維持に自衛隊配備という日米政府の思惑による沖縄返還に裏切られた。
いま復帰53年目の沖縄で、その日々は怒りと悲しみが増すばかりだが、それはすでに復帰時に、仲宗根勇『沖縄少数派─その思想的遺言』(三一書房1981年)が予言したことであった。
その著から具体例を挙げる。
「沖縄政治における中央志向性の増大」――各組織、政党、派閥の本土系列化で沖縄の政治は分断され独自の力を失っている。
「企業と軍隊を主人とする沖縄島の要塞化という体制の長期的展望の実現」――辛うじて保たれていた沖縄の自然や伝統・文化の急速な喪失を実感するのは私だけではないだろう。
日本の政府や企業の机上の計算による開発で、生物多様性に富む自然環境の破壊が進む。
しかし他県と異なり、市民がどれほど反対してもそれが解決困難な理由は、辺野古・大浦湾や浦添西海岸、与那国の樽舞湿原(国指定鳥獣保護区)など、問題に経済利益の企業開発と相まって軍事が絡んでいることだ。
「復帰を求める以上、日本の現実の国家構造からして安保復帰たらざるを得ないのは当然」――を噛みしめざるを得ない。
日米共同作戦計画下、強行される軍事要塞化。迷彩色の自衛隊員が島々を闊歩し、中国狙いの長距離ミサイル配備が進む。復帰後の沖縄は「日本国軍=自衛隊の黒い力で息もできない地獄図絵にたたきこまれることが予想されている」。
「台湾有事」で戦場となる再びの沖縄戦に怯える今、沖縄は大田知事や翁長知事が日本政府に問うた「沖縄は日本国民に入っていますか?」の答えを思い知らされている。
しかし、信じたい。米軍占領下で培った抵抗の力を。沖縄を沖縄に返すために。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年5月25日号
2025年06月09日
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