2025年06月19日
【寄稿】浦添西海岸に米軍軍港 那覇港の代替、60年代に計画 永久利用ねらい 環境アセス開始 真喜志 好一(沖縄平和市民連絡会共同代表)
2025年1月17日、「沖縄・琉球弧の声を届ける会」の第6回連続講座としてシンポジウム「浦添西海岸埋め立て問題を考える」が開かれた。パネリストは安部真理子(日本自然保護協会/保護・教育部主任)、鹿谷麻夕(しかたに自然案内代表/里浜22共同代表)、真喜志好一(建築家・沖縄平和市民連絡会)の三氏。安部、鹿谷両氏は浦添西海岸の海が本来の素晴らしいサンゴ礁環境を残していることをスライドで発表した。
浦添西海岸の位置図
サンゴ礁が残る
豊かな自然の宝
続けて4月12日に連続講座第7回が「市民の視点から浦添西海岸問題を考える」をテーマに開かれ、パネリストは銘苅全郎(浦添市港川自治会前会長)、明真南斗(琉球新報記者)、谷山博史(日本国際ボランティアセンター顧問)の三氏が務めた。
浦添西海岸の豊かな自然を沖縄の宝として残すか、二つのシンポジウムで報告された美しい海中のビデオの記録を含む全記録がユーチューブにある。次の五つのキーワード「琉球弧の声/浦添西海岸/隠された真実 /第6回/第7回」をYouTubeで検索して視聴してほしい。
筆者(真喜志)はシンポでの発表の冒頭で、次のようにスライドで参加者に問いかけた。
「日米両政府の発表では、『那覇軍港を沖縄県民の要求で沖縄に返す。その代わりに浦添に軍港を作る』との説明だが本当だろうか?」
2024年7月、米軍の軍港を浦添西海岸に建設するための環境アセスが始まった。だが、浦添西海岸への軍港の建設が、那覇軍港の移設・返還を進めることを目的とするのか、米軍文書がその真意を物語る。
米軍の本音隠す
施設返還合意
1969年6月、新都市調査沖縄―浦添軍港図
キーワードを「沖縄防衛局/那覇港湾施設/移設」で検索すると環境アセスの最初の文書「計画段階環境配慮書」がヒットする。
この文書の第2章、対象事業の目的を書き写す。
――昭和49年1月、日米両政府は日米安全保障協議委員会において、移設条件付きで那覇港湾施設(約57ha)の全面返還に合意した。平成7年5月には日米合同委員会において代替施設(約35ha)を那覇港浦添ふ頭地区(以下「浦添ふ頭地区」という。)内に移設することを合意した。――中略――本事業は、かかる経緯の下、浦添ふ頭地区の沖合の埋立により那覇港湾施設代替施設を整備し、那覇港湾施設の移設・返還を進めることを目的とする(傍線は引用者)ものである。――
だが、現在の米軍の港湾利用は次の通りとなっている。〇兵員の休養のための寄港はホワイトビーチ〇弾薬の積み下ろしは天願桟橋〇コンテナの積み下ろしは安謝新港の国際コンテナターミナルで行われている。
つまり新たな軍港を作る必要はないのだ。
米軍の意図示す
文書掘り起こす
このような疑問をもって99年7月に宮城悦二郎先生(04年没)を中心に「SACO合意を究明する県民会議」を立ち上げ、米軍の文書を掘り起こす作業が始まった。
米軍が米国のコンサル会社に依頼して69年6月に作成した「工業用地及新都市調査沖縄」がある。この文書の日本語版は琉球大学の付属図書館や沖縄県議会図書館にも所蔵されている。
この文書の中に、浦添のリーフ内の海底を浚渫し、その土砂でハッチング部を埋め立て、牧港補給基地の沿岸部に軍港を作る計画が図示されている(牧港港・MACHINATO PORT図参照)。
これらの浦添西海岸への軍港新設計画はその後どうなったか。70年5月、米軍の太平洋軍司令部が統合参謀本部に送った文書(英文)が沖縄県公文書館に保管されている。この文書には見落としてはいけない次の記述(別掲参照)がある。IN SUM,CONSTRUCTION OF A PORT FACILITY AT MACHINATO WOULD OPTIMIZE US LONG-TERM INTERESTS IN THE RYUKYUS.
この文の和訳は――総体的に見てマチナト(牧港「まきみなと」の沖縄読み)の港建設によって、米国の琉球における長期的関係を最大限に生かせる――である。
深く広い軍港と
那覇港を交換へ
つまり米軍の太平洋軍司令部から統合参謀本部に送ったこの文書は、「浦添西海岸への軍港建設によって、沖縄の軍事利用は永久に続けることができるので、牧港の軍港建設を日本政府に要求するように」と主張している。
浦添西海岸に広くて深い軍港を新たに建設し、不要になる狭くて浅い那覇軍港を返すことが米軍の計画なのだ。
浦添西海岸への軍港建設は米軍の占領が続くことになる。反対の世論を作ろう。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年5月25日号
この記事へのトラックバック