2025年06月25日

【オピニオン】納得できない事例あれば記者が対処 ファクトチェックより早い=木下 寿国

 その人がどういう人なのかは、その人の本棚を見ればわかる、という言い方がある。要するに、人がその人生で接してきた情報の総体が、その人の人格を形づくるということだろう。元の情報があやふやなものであれば、当然ながら形作られるものはいい加減なものにならざるを得ない。
 では人々に日々大量の情報を発信し続けているマスコミをめぐる状況はどうなっているか。私は機関紙「JCJ神奈川」の最新号に送った原稿で、その実態はかなり公正さに欠けるのではないかと書いた。ここで改めてその内容を引きつつ、もう一歩踏み込んでみたい。

 パレスチナの地で、配給所に集まってきた住民を狙い撃ちするかのようにイスラエル軍が発砲。日テレがこれを同軍とガザ住民との「衝突」と報じたことに、イスラエル・パレスチナ問題に詳しい早尾貴紀東京経済大教授は「大量虐殺以外にあるか」と怒りを爆発させた(X、6・12)。ジャーナリストの鈴木耕氏も「一方的虐殺」だとした(同上)。食料を求めに集まってきただけの人々をイスラエル軍が攻撃する例は、5月末以降、毎日のように起きていたともされる(「人道支援か『死の罠か』」、JBpress、6・13)。素直に見れば、これを「衝突」というのは、事実から目を背けさせようとする「ミスリード」ではないか。

 この間、国会を取り巻いた学術会議法案に抗議する行動をマスコミはほとんどスルーした。武器取引反対ネットワーク(NAJAT)代表の杉原こうじ氏は、6月9日に研究者らだけで約40人もが路上に座り込んだ行動を朝日、毎日、東京の紙版は一切報じなかった、と批判(X、6・10)、また悪法が成立してから報じるのは「ジャーナリズムでは決してない」と憤った(同、6・11)。
成立後に報じたNHKは、同法案によって「国から独立した法人」が生まれると逆さまとしか思えないような伝え方をした。これは「フェイク」と呼びたいくらいだ。

 教職調整額をわずかに上乗せするだけで公立学校教員を働かせ放題のままにする仕組みを残した教員給与特別措置法(給特法)案の成立を、朝日は「教員給与、10%上乗せへ」と、まるで事態が前進したかのように描いて見せた。一方、NHKはこれには「残業代の代わり上乗せ分引き上げ」とより正確に報じている。朝日の見出しは「ミスリード」か「一部誤り」だと言いたい。

 朝日は、昨今ネットでデマが飛び交う状況などを踏まえ、「ファクトチェック編集部」を新設したという。上述したような事例が、その対象に該当するかどうかはわからない。最初と3番目の事例はほぼ見出しのレベルで、内容自体の正確さを問題にしたわけではない。だが、そこには明らかに記者や編集者の価値判断が現れている。単なる表記の問題では済ませられないのだ。事実、朝日の場合は、17日付紙面に氏岡眞弓編集委員が法案をまとめた側の人物を登場させ、法案の成立を評価させるインタビューを載せている。“確信犯”だったというわけだ。

 私たちが日々の報道で気になるのは、根拠がよくわからない言説だけではない。“お上”の言うことをそのまま垂れ流したり(最近のXには「大本営発表」との表現も見られる)、本質をそらしかねない安易なキャッチコピーで視聴者の気を引こうとしたり(「小泉米」はその典型)、日テレやNHK、朝日のようにさり気なく体制の側に視点を誘導したり、学術会議法案審議の際に見られたように、報じるべきことを報じなかったり、それらすべてが問題なのだ。そうしたまだら模様の情報は、やがて国民の描くイメージをいっそう不確かなものにつくりかえていくだろう。したがってそれらは本来、すべて検証される必要がある。遠回りのように見えても、より普遍的な結論を得るためにはそれが一番の近道になるはずだ。

 ファクトチェックは大事なことだと思う。が、いまの日本の入り組んだ言論状況は、それだけで対応するには無理がある。私はむしろ、納得しがたい事例に遭遇したら記者や編集者がその都度ジャーナリズム精神を発揮して、機動的に対処したほうがより有効なのではないかと思っている。
そこで大事になるのは、形式的公平ではなく社会的な公正さ(どこかで権力側や多数派に流されてはいないか)や、それが本当に国民のためになっているかという権力監視の視点を自覚することだろう。そこがさまざまな時代の変化の中で弱まっていることが、今日の脆弱な言論空間を生み出す一番の元になっているのではないかと考えている。
posted by JCJ at 02:00 | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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