2025年08月06日

【リレー時評】JCJ70年 時代の底流見すえて=山口昭男(JCJ代表委員)

 作家の井出孫六は、中央公論社に入社した1958年、やはり同年岩波書店に入った安江良介との最初の出会いを次のように記している。
 「中央公論社から道路二本ほどへだてたビルに「新聞労連」の本部があり、同じフロアの一郭に『日本ジャーナリスト会議』の事務所が同居していた。警職法改正問題は、戦前の言論抑圧の記憶のなまなましい当時にあっては、新聞人、出版人のあいだに反対の声が強く、ジャーナリスト会議の事務所はそういう意見のセンターになっており、取材にも便利だった。吉野源三郎さんはジャーナリスト会議の発企者のひとりとして、会合にもよく顔を見せていたが、わたしが安江さんに初めて出会ったのも、その会合の席でだった。」

 それより2年前の1956年にヘルシンキで開かれた国際ジャーナリスト会議に代表を送ろうという運動が、日本でも起こり、それを契機として1955年に日本ジャーナリスト会議が設立され、吉野源三郎はその初代議長に就任した。
 私が岩波書店に入社した1973年、吉野は編集顧問として会社に来ており、『世界』編集部に配属された私は、入社初日、安江編集長から「今日は吉野さんが来ているから挨拶に行きなさい」と言われた。

 会ってみると、小柄だが、笑顔とは裏腹に威厳を感じた。緊張した私が挨拶をする間もなく、「ジャーナリストは24時間仕事だ」と言われた。いまでは問題発言だが、この言葉はいまも私の心に残っている。
 もう一つ言われたのは「本当の問題は、ただどうなるかということではなく、どうするかにある」ということだった。当時「成注」(成り行きが注目される)と称される報道が多く、こんな記事を書いていてはダメだ、とよく言われた。
 かつては情報量が少ないなかで、いかに多くの情報を手に入れるかがカギだった。いまは情報氾濫のなかで必要な情報をどのように選び取るかが求められている。かつては「見えないものを見る」想像力が求められた。しかしSNS時代のいまは「見えるものをキチンと見る」想像力が必要な時代かもしれない。時代は変わった。

 編集者には、決まったマニュアルがあるわけではなく、修業などというものもない。先輩たちの背中を見ながら、自分で考える以外ない。自分だけが頼りなのだ。しかし、私たちの目指す方向に変わりはない。吉野は、時代の底流を見すえることこそジャーナリストの使命だとの確信を持っていた。

 吉野はまた次のように言っていた。「必要なのは勇気です。しかし、その勇気は、今日ではおそらく、私たち一人一人が歴史に対するもたれかかりを断ち切り、孤立をも恐れずに現実を直視し、今日の状況をまともから受け止める、というところから出発する勇気のほかにないと思われます」と。
          JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年7月25日号
posted by JCJ at 01:00 | TrackBack(0) | <リレー時評> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック