5・18光州の虐殺
国見の多くが想起
安定した民主主義国家だと思われていた韓国で昨年12月、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領(当時)が非常戒厳を宣布、ヘリコプターまで動員して国会に精鋭部隊を突入させた。
「戒厳軍の恐ろしさは皆わかっている」
号外を手にする崔権一・編集局長(光州市、桜井泉撮影)
尹氏は4月に罷免され、6月3日、進歩系の李在明(イ・ジェミョン)氏が新大統領に当選した。昨年の戒厳宣布では、多くの国民が1980年の光州の虐殺を思い起こした。事態が緊迫する中、必死の覚悟で号外を発行した「光州日報」を訪れ、幹部に当時の状況を聞いた。
「光州の人々には、戒厳軍によるトラウマがあります」。編集局長の崔権一(チェ・グォンイル)さん(56歳)が厳しい表情で口を開いた。
45年前の5月、朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の暗殺後にクーデターで実権を握った全斗煥(チョン・ドゥファン)将軍らの軍部勢力に反発し、市民らが民主化を求めて抗議デモを繰り広げた。戒厳軍がこれを鎮圧し、光州では少なくとも民間人166人が死亡した。流れ弾で犠牲になったとみられる子供や若い女性もいた。日本では「光州事件」として知られるが、この国では意味づけをはっきりさせるため「5・18光州民主化運動」と呼ぶ。
言論、出版を統制
戒厳司令官「布告」
昨年12月3日午後10時半、尹大統領が非常戒厳を宣布した。光州日報は朝刊の締め切りを終え、編集局はがらんとしていた。崔局長は他社の記者仲間と外でビールを飲んでいた。「光州の悲劇」は、小学校5年のときだった。その後、民主化された社会で事件や政治を30年間、取材してきた。戒厳の一報を聞いて、「誤報じゃないのか。まさか軍が政治に介入するなんて」と仲間と話しつつ、急いで午後11時ごろに編集局に戻り、記者を全員召集した。
編集局の4台のテレビの前に記者たちが集まった。ソウル駐在の記者からは軍や国会の動きに関する情報や映像が、続々と送られてきた。戒厳司令官による布告令を読んで心底、驚いた。3項目に「すべての言論と出版は戒厳司令部によって統制される」とあったからだ。
光州市内には陸軍31歩兵師団が駐屯している。各社の記者たちは師団の正門に駆け付け、軍の動きを注視した。軍が新聞社に押し入ってくるかもしれない。「その前に早く号外を出さなければ」。締め切りを1時間後に設定し、原稿が集まると、すぐに印刷に回した。
過去の軍事独裁政権下でメディアは、徹底的な検閲にさらされてきた。そのうえ、全斗煥政権は、一部のテレビや新聞を強制的に統廃合した。光州日報の前身である「全南日報」も、他の地元紙と統合させられた。崔さんの頭には、そんな歴史も頭をよぎった。
民主主義の危機
大見出しで訴え
号外の1面の大見出しは「非常戒厳に民主主義は止まった」。国会に突入した完全武装の戒厳軍の写真を大きく載せた。号外は、駅やバスターミナル、市役所、大学、病院などで配られた。SNSで広がり、号外を欲しいという問い合わせが全国から相次いだ。
崔さんは「光州の新聞記者は、5月になると民主化運動に関する連載企画の取材に明け暮れる。だれもが、戒厳軍の恐ろしさはわかっている。多くの市民が犠牲になったのだから」と語る。
光州の国立墓地では、毎年5月18日に政府主催の追悼式が開かれる。前夜には、多くの市民が銃撃された旧全羅南道道庁周辺やメインストリートの錦南路でコンサートや集会が開かれる。この2日間は、市内のバスや地下鉄は無料になる。
内乱勢力追及と
国民統合実現を
昨年秋、光州民主化運動をテーマにした小説「少年が来る」を書いた作家のハン・ガンがノーベル文学賞を受賞した。年末には戒厳宣布があった。さらに今年は、大統領選挙の最中だったということもあって光州への注目度が高まり、例年になく多くの人が集まったという。
6月3日午後8時。大統領選挙の投票が締め切られると、放送局3社による出口調査で李在明候補が、保守系の金文洙(キム・ムンス)候補を抑えて優位になっていることが伝えられた。
編集局のテレビの前に集まった記者から一斉に拍手が湧いた。崔さんは「まずは戒厳に加担した軍人や政治家ら内乱勢力の責任を追及すること。そのうえで国民統合を実現してほしい」と李大統領への期待を語った。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年7月25日号
この記事へのトラックバック


