2025年09月19日
【JCJ8月集会A】登壇した片山、斎藤、山口3氏のコメント
●片山夏子さん 取材ままならぬ現場 原発事故から何も学ばぬ
取材を始めたのは震災の翌日、3月12日から。いくつも部署は変ったが、原発取材を続けた。
福島第一原発は非常に特殊な現場だ。原発を推進し事故の責任を問われる東電の許可をないと全く取材ができない。
最初に取材したのは原子力保安院と東電の記者会見で感じたのは「人が見えない」ことだった。次に爆発したら現場の人は生きて帰ってこられるのか。70人ぐらい残っていた東電社員の家族はどういう思いなのか。疑問が募った。
2011年の8月から原発作業員の取材を始めた。いわき駅の周辺のホテルに住んでいる作業員に直接声をかけた。事故から8月までの名簿はあっても、作業員の入れ替わりが激しくて役に立たない。それは被ばく許容線量の限界があるからだった。
作業員には長期組と短期組。長期組は経験豊富で長く働いて欲しい人、短期組は使い捨てだ。
作業員が病気になってもの保障は何もない。事故直後に作業していたある作業員は胃の全摘、大腸の全摘、膀胱がんと三つの別のがんにかかって裁判を起こしたが、原因は原発と認められなかった。
政府は被害者を救済する何の制度もつくらず原発推進に再回帰した。何を事故から学んだのか。
●斎藤貴男さん 格差社会に慣れっこ? 肝心なこと発信せねば
最近、「新自由主義」や「格差社会」という語を見かけなくなった。世の中が改まったのではなく、メディアは完全に慣れっこになって報じないからだ。
90年代の前半、「規制緩和」の影の部分を取材した。日経連が提唱した柔軟型雇用は、女性のオフィス労働、工場労働と拡がり、今は勤労者の4割を占める。90年代の後半から危惧された格差社会が完全に定着した。
それが「世の中のせいだ」 というなら政治的な動きにもなるが、「親ガチャに外れた」が本気なら家族関係は解体する。
「グローバル企業が利益を考えるのは当たり前。権力との良好な関係も競争力のうち。儲かればいい…」。「かつてのような植民地支配は、経済的にコストのかからない支配」。それがアメリカが一貫してやっているインフォーマル帝国主義だ。先の参院選だが、なぜ多くの人が左派、リベラルに投票しなかったのか。報道は軍拡や格差社会にほとんど触れなかった。
メディアが肝心なことを言わなくなったのも一因では、とも感じる。
●山口昭男さん 戦争の記憶消すな 歴史と向き合い継承
コロナの時、編集者として自分の財産はなんだろうと考えた。それは人だと気付いた。雑誌『世界』の編集部に配属された時、安江良介から
「ともかく人に会え」と言われて、1日に2人の新しい人に会おうと思った。
30年以上付き合いのあった人の資料を整理してみようとまとめた。
その一人で、2020年亡くなられた井出孫六さんの口癖は「戦争の記憶を消してはいけない」だった。
私は、特に親しくしていた10人の作家の生きざまや戦争体験を、一昨年から話している。これまでに水上勉、加藤周一、井出孫六、吉村昭、井上ひさし、辻井喬の6人を取り上げた。吉村、辻井は1927年生まれ。吉村さんによるとこの年は重要な年で、1年早く生まれたら特攻で戦死、2,3年遅ければ学童疎開に行っていた。
戦後80年は区切りの年でも、転換点ではない。だが昭和100年は、同時代史ではなく歴史に入った。私たちは体験をつないでいくだけではなく歴史と正面から向き合って自分たちが解釈していく、自分の言葉で先人たちの記憶を伝えていくべきだ。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年8月25日号
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