戦後80年の夏。テレビ各局は戦争関連の番組を競作した。NHKスペシャル「シミュレーション 昭和16年夏の敗戦」も、評判になった。
日米開戦前、若い頭脳を集めた内閣の「総力戦研究所」が、鉄鋼生産、石油など彼我の国力差を机上演習した史実を、ドラマとドキュメンタリーで描いた番組だ。
計算の結果、日米の国力比は少なく見ても1対12。仮に南方の石油を確保しても運ぶ船が足りなくなる。彼らの報告は、「日本必敗」だった。
だが東条首相は、国力比、天皇の意向、陸、海軍の思惑、中国撤兵を巡る日米交渉などに煩悶した末、「多大な犠牲で勝ち取って来たわが国の権益の一切を捨てることはできん」と対米開戦を決断する、というのがドラマのあらすじだ。
歴史学者の加藤陽子は『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で、こうした国力の絶対的な差を「日本の当局はとくに国民に隠そうとはしなかった。むしろ、物的な国力の差を克服するのが大和魂なのだ」と精神力を強調した、と書く。
経済史学者の牧野邦昭は『経済学者たちの日米開戦』で、秋丸次朗中佐らの陸軍省戦争経済研究班(秋丸機関)に注目する。有沢弘巳ら一流の経済学者を動員し、各国の経済抗戦力を調べた組織だ。牧野によれば、「秋丸機関だけでなく、陸軍省戦備課、総力戦研究所の演練など『対英米開戦の困難さ』を示す研究は無数にあった」という。
当時の指導者が直面していた選択肢を、牧野はこんな風にまとめている。
〈米国の石油禁輸などで日本は2~3年後には「ジリ貧」になる。強大な米国と戦えば、非常に高い確率で日本の致命的な敗北を招く(ドカ貧)。しかし非常に低い確率だが、もし独ソ戦に短期間でドイツが勝ち、英国が屈服すれば、米国は講和に応じるかもしれない〉
他力本願の賭け。牧野は武藤章陸軍省軍務局長の言葉を紹介する。
「俺は今度の戦争は、国体変革までくることを覚悟している。(しかし)追い込まれてシャッポを脱ぐ民族は、永久にシャッポを脱ぐ民族だ」
東条は「過去数十万の犠牲」を開戦の理由にした。だが開戦は、その数十倍の犠牲を生んだ。
では、どうすべきだったのか。“後世の論”は承知の上で、私は中国撤兵だったと思う。加藤も書くように、「日本が戦争をしかけて、中国の対日政策を武力によって変えようとしたことからすべては始まっている」。
敗戦は、日本の謀略での満州占領に始まる15年戦争の帰結だ。石橋湛山の「満蒙放棄論」などに耳を貸さず、指導者は国策を誤り続けた。メディアも片棒を担いだ。
そんな痛苦の歴史を戦後日本は克服しようとして来たはずだ。しかし今、自民党実力者の麻生元首相は台湾での講演で日台米の抑止力強化を訴え、「戦う覚悟」を強調する。その言葉の軽さに、唖然とする。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年9月25日号
2025年10月05日
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