2025年10月07日

【日韓学生フォーラム】現代史の現場を歩く ソウルで開く=古川英一

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      李富栄さん(写真左)を囲む日韓の学生たち=8月23日、ソウルで

 今回で10回目を迎えた日韓学生フォーラムは、ソウルで8月22日から3日間、ジャーナリストを目指す日本と韓国の学生など約30人が参加した。
 世界を驚かせた昨年12月の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の非常戒厳宣布と、わずか6時間の解除、その背景にある韓国市民の民主主義を守る意志の強さを、現代史の現場を歩きながら学ぶのが狙いだ。

市民が株主の新聞

 まず訪れたのはハンギョレ新聞社。長年の軍部独裁から民主化の転換点になったのが1987年。ハンギョレ新聞は、市民が株主になり、翌年立ち上げた。編集幹部は「民主化は一回限りの勝負ではない。だからこそ正しい情報を伝えるメディアが必要だ。政権にノーと言える新聞が一つでもあったならという市民の希望がハンギョレには託されている」と語った。昨年12月は「社内に、政権側に戒厳令を出すなど何らかの動きがあるのではないか、その時は標的になるといった危機感があった」と明かした。
       
 夕方、足を運んだ戒厳令騒動の舞台の国会議事堂にはあの日、多くの市民が駆けつけ、素手で軍隊と対峙した。裏口の柵を乗り越えて議事堂に入った国会議員もいた。今は、その周辺を市民がゆったりと通り過ぎていた。

民主化運動の発火点

 民主化運動記念館はかつて、警察の治安施設で民主化運動に携わった多くの人たちを拷問し「北のスパイ」にでっちあげた場所だ。87年6月の民主化運動は、この施設でのソウル大学の学生,朴鍾哲(パク・ジョンチル)さん拷問死亡事件が導火線になった。学生たちは、パクさんが拷問された部屋などを見て回った。
「ここで行われた拷問の手法は日本の植民地時代から引き継がれた」。学生たちは一瞬その言葉に驚いたようだった。話してくれた元新聞記者の李富栄(イ・ブヨン)さんは民主化運動の伝説的記者。「日本では学生運動が持続せず政権交代はなかったが、韓国では学生運動が進歩運動と結びつき、社会に影響を与え続けている」と指摘。「歴史学が歴史を記すように取材したことを伝えるのが記者」と学生たちを励ました。

日韓学生の結びつき

 今回のフォーラムは韓国の学生たちが中心になって企画した。その一人は「韓国現代史を貫く事件の影響を少しでも理解することができたら本当に嬉しい」とメッセージを寄せた。    
       JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年9月25日号
posted by JCJ at 01:00 | TrackBack(0) | Editorial&Column | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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