2025年10月22日

【支部リポート】広島 戦争に抗う力 今こそ 12月に「不戦のつどい」=難波 健治 

 私たちは毎年、「9月2日」をめどに、「不戦のつどい」を開いてきた。今では、「戦争のために、ペンとカメラ、マイクを握らない」との誓いを、市民とともに確認し合う恒例行事となっている。
 9月2日は、1945年、東京湾に停泊した米戦艦ミズーリ号の甲板上で、大日本帝国が連合国との間でアジア太平洋戦争の降伏文書に調印した日だ。日本では、その半月前の8月15日、天皇の玉音放送によって日本は「終戦」を迎えたとする見方が一般的だが、大日本帝国の無条件降伏とポツダム宣言の受諾は、この9月2日の調印をもって正式に確定したのだ。

 支部が作成した略年表によると、最初の「つどい」は67年の支部結成の3年後、70年の8月15日に「不戦の夕べ」として催された。この「夕べ」は84年まで15回続いた。だが、活動の停滞で85年から4年間休止を余儀なくされた後、89年に再開した。
 翌、90年の第17回からは開催日を「9月2日」とし、名称も「不戦のつどい」にあらためた。以後、再び回を重ね昨年、第51回目の開催を数えることができた。

 今年、52回目の「不戦のつどい」は開催日を大きくずらし、「12月8日」前後の開催に向けて準備を進めている。この夏、被爆80年の「8・6」の関連で、さまざまな取り組みが続き、変更した。
12月8日は1941年、太平洋戦争が勃発した日である。日本軍がマレー作戦と真珠湾攻撃を開始し、すでに進行中の日中戦争に続き、日本は連合国との全面戦争に突入した。

 残された資料をみると、これまでの「つどい」は(「夕べ」の時代を含め)在広の文化人や活動家のみならず、中央や県外からも著名なジャーナリストや識者らを招き、その時々の情勢を見極めながら「いまジャーナリズムにはどのような報道が求められているのか」を模索し続けてきた。

 こうした営みが、実際の報道活動にどこまで活かされてきたのか。この半世紀の大半を報道現場で過ごした当事者としては赤面するしかないが、私たちは今、こうした活動の積み重ねを「今こそ、どう戦争に抗う力にしていくのか」が問われる局面に立っている。
 今年の「つどい」の内容は決まり次第、全国のみなさんにお知らせする。昨年の「被爆地で何が起きているのか」には、全国からオンラインで参加いただいた。今年も私たちは、そうした取り組みを目指す。 
      JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年9月25日号
posted by JCJ at 03:00 | TrackBack(0) | 中国・四国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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