2025年11月27日
【25年JCJ賞受賞者スピーチ】=南京と沖縄つなげる 新しい戦前≠ノはしない 中村 万里子さん(琉球新報社)
「新しい戦前≠ノしない」キャンペーンは昨年3月22日、沖縄戦を指揮した第32軍の創設の日に始めました。連載「戦世ぬ沖縄」では日本のアジア侵略と植民地支配の最終局面にあった沖縄戦までを体験者の証言で伝えました。沖縄は加害者にも被害者にもさせられたという内省を踏まえた取り組みです。
沖縄戦は1945年3月下旬から3か月にわたる激しい地上戦でしたが、日中戦争が沖縄戦にどうつながったのかは、これまで取り上げられなかったテーマです。
沖縄では「南京・沖縄を結ぶ会」が、中国と市民交流をしようと23年に初めて南京に行きました。沖縄戦を日中戦争から書き起こそうと思い私も、23、24年と同行取材しました。訪中団の参加者は日本兵の子や孫の世代。南京事件があった当時、父親は南京にいたことが軍隊手帳からわかったが、父は何も話さず、ただ中国残留孤児の番組を見ながら「日本軍はひどかったよ」とつぶやいた。そんな背中を見ながら育った方々でした。
「南京陥落(1937年12月)の時、沖縄でもものすごく祝った」「神社になった首里城で提灯行列があり、日の丸を振って喜んだ」と話した首里の新元貞子さんは、「なんてばかだったのだろう」と振り返りました。
日中戦争から引き返せなくなり、沖縄の人がどう動員されたか、その構造が見えてきました。
沖縄戦に備えて1944年、大勢の兵士が中国から転戦して沖縄にきます。そこで彼らが目にしたのは中国と似た沖縄の習慣でした。
豚を便所で飼い人糞も餌になる。それが重なり、沖縄の人への酷い暴力、差別につながったとの証言もあります。
米軍の上陸時、第32軍は「沖縄語」をしゃべる人は殺害せよと命令しました。貫かれていたのは差別のまなざしです。
沖縄戦の最中、3紙統合でできた「沖縄新報」は留魂壕に輪転機を持ち込み、特攻精神を高揚する新聞を発行し、学徒隊や壕内の住民に配りました。先輩たちは「あの時、何で軍の言いなりだったのか」と話しました。
後悔を2度と繰り返してはいけない。武力によらない平和を願う心を伝え続けたいと思います。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年10月25日号
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