2025年11月28日
【25年受賞者スピーチ】核の人間破壊に抗う 記録写真や手記を生かす=水川 恭輔さん(中国新聞)
「ヒロシマドキュンメント」は被爆80年に向けて昨年8月から始めました。79年前の同じ日、同じ時期に広島はどんな状況だったかを1945年については12月31日まで毎日報じました。今年は46年以降の状況をたどり、合計で350本以上の記事を掲載しました。
米軍が投下した原爆のきのこ雲の下、人間たちや広島の街に何が起きたかに記録と証言で迫りました。中国新聞も社員の3分の1にあたる114人が被爆死し、本社は全焼しています。
企画では45年8月6日に中国新聞のカメラマン、松重美人さんが撮影した写真を起点に朝日、毎日など報道機関が撮った記録写真を活用しました。原爆の写真というと、米軍が核兵器の効果を調べるため、上空から撮ったきのこ雲が教科書などに使われますが、今回は被爆者本人や報道機関などが撮った写真を重点的に取り上げています。
背景にあるのは危機感です。ロシアのウクライナ侵攻に伴う核の脅しがあり「核のタブーが崩壊しかねない」状況です。被爆者の平均年齢が86歳を超え、証言だけに頼って当時を把握することは困難になっています。
伝えたかったのは、核の力を誇る国家の視点とは正反対の人間、市民から見た核兵器の実態です。涙に目をくもらせながらシャッターを切った松重カメラマンの写真も含め、未曽有の惨禍を撮影した日本側の写真は3000枚近くになります。旧日本軍の焼却命令、占領軍の提出命令に抗って残されたものも少なくありません。報道制限の中で残された手記や日記、文学もあります。
韓国をはじめ海外の被爆者や、マーシャル諸島などの核実験被曝者に対する救援、連帯活動も取り上げ、核の人間破壊に抗ってきた市民の歴史に光を当てました。
壊滅した爆心地一帯の代表的なパノラマ写真を撮った林重男さんは「私たちの写真が永遠に最後にあるように」という言葉を残しています。次の世代が惨禍の実態と人間の営み、格闘を知り、継承していく一助になればと思っています。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年10月25日号
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