2007年08月30日

石もて追われたモンゴル人
亀井 淳

 昨日(29日)から今日にかけての朝青龍モンゴル行き追跡大報道にはあきれた。彼は相撲界のVIPではあるが、現在は医師の勧告に従って故国へ転地療養に赴く一人の患者なのである。

 この一件には最初から偏見の眼差しがつきまとっていた。7月の名古屋場所優勝のあと、疲労骨折などの診断書を出して地方巡業を休み、モンゴルへ帰った。偶然そこにいた友人の中田英寿などと子どもの草サッカーにつきあったところをテレビに撮られ、放映された日本で「仮病だ」という騒ぎになった。
 日本に呼び返されて相撲協会から「二場所出場停止」などの厳しい処分を受ける。同時にこれまでの彼の「品格を欠く」行為や粗暴なふるまいなどに対する非難がマスコミにあふれ、朝青龍はひきこもり状態になり、精神科医の診断を受けるに至って一か月。ようやく帰国治療の段階になったのだが、メディアはまるで犯罪者の脱出のように扱った。
 発端は草サッカーである。疲労骨折といっても程度があろうし、映像を見てもけっして全力疾走などはしていない。ちょっとした冗談程度のまねごとなのである。いきり立ってペナルティーを科すほどの罪悪なのだろうか。処分には、サッカーだけではない「品格」など問題をさかのぼってかぶせてしまった、過剰制裁のきらいがある。
 一方、朝青龍の存在とはどういうものだろう。高校から日本で相撲を学び、プロになるや異例のスピード出世で横綱になり、ひとりで角界を支えてきた。その英雄を、ちょっとした冗談のような行為でこれだけ辱めるのか。問題が起こって以来、彼は親方を含めてひとりの日本人とも口をきいていない。それが彼なりの、外国人ゆえの偏見、差別に対する、力いっぱいの抗議なのだ。
 相撲界はこれまでハワイ系をはじめたくさんの外国人力士によって支えられてきた。今も幕内だけで13人、関取と呼ばれる十両以上だと19人の外国人力士がいる。この人たちがほとんど例外なく偏見による差別やいじめに悩まされてきたことは、小錦など多くの外人OBが証言している。
 今度の「朝青龍事件」をそこまで掘り下げた論評にはまだ出会っていない。わずかに中田英寿のホームページが参考になる。
http://nakata.net./jp/hidesmail/hml290.htm



 繰り返せば、朝青龍の沈黙は、中田など少数の真の国際スポーツマンしか彼を理解しなかったことへの悲しみの表現であろう。問われているのは相撲界だけではなく、日本のスポーツ界全体、そして現代日本のマスコミと文化なのである。
 もうひとつ言えば、日本人の少年で相撲の弟子入りを希望する者は、名古屋場所でついにゼロになった。子どもたちにとって相撲は古く暗く、魅力のない世界なのだ。部屋制度、親方、兄弟子といったシステムの見直しも早急に進めなければならないだろう。ゲンコツ、竹刀、「可愛がる」などといった陰惨さを一掃した新しい新しい力士養成組織をつくらない限り、外国からの力士志望者もやがていなくなるのではないか。

亀井淳「『遠近法』日録」8月30日から
http://kamei.cside.com/cgi-bin01/sfs1_diary/sfs1_diary/diary.html
posted by JCJ at 19:00 | TrackBack(0) | Editorial&Column | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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