■一連の不祥事と通底する経営の無自覚さが原因
放送の現場で「ジャーナリスト」という言葉が聞かれなくなったと嘆く声を耳にする。しかし、特にここ1、2年のNHKの番組を見る限りでは、ジャーナリズムとして優れた番組が何本も出ている。黙々と頑張っている人たちが沢山居るのだと思う。ところが一方で、今回のような恥ずかしい事件が起きるのは何故なのだろうか。私は、職場での本音の議論が無くなっているのではないかと思う。
私自身ジャーナリストとしての自覚を持つようになったのは、職場の仲間との時間の経つのを忘れた激しい議論と、先輩たちの仕事への厳しい姿勢だったと思う。そして、もう一つ、取材の中で触れ合う人たちの、NHKに対する信頼と批判にどう応えるか、という重い課題に常にさらされているという実感だった。
ところが「慰安婦」問題を扱った番組の改変を巡っての裁判で、東京高裁が出した判決は、NHKの「自主規制」「自己検閲」の体質に鋭いメスを入れたものだったにもかかわらず、経営首脳が上告したことに対して、現場から批判する声が殆んど聞こえて来なかったことに、私は深い悲しみを感じざるを得なかった。
今回を含めて一連の不祥事が、こうした経営首脳の無自覚さと通底していることを感じる。では、NHKを根底から変えるには何をなすべきか。組織が変わらなければ仕方ないと逃げるのではなく、もっと本気で怒り、組織を変えるため下からの行動を起こす事しか無いと思う。
(JCJ会員)