2008年05月04日

「ETV2001」番組改変裁判・最高裁で問われるもの=小滝一志(放送を語る会)

 7年前NHKが放送した『ETV2001・問われる戦時性暴力』の改変を巡る裁判は、5月24日、最高裁での上告審の口頭弁論で結審し、6月21日に判決が言渡されるが、一連の裁判を通して、被告NHK側の事実を隠蔽する不誠実な姿勢が明らかになり、最高裁がどのような判断を下すか監視が必要だ。この裁判で、二審の東京高裁判決は、NHKが番組の改変を巡って番組の取材対象者である『「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク』(略称バウネット・ジャパン)に対する「説明義務」を怠り、また、バウネット側の「期待と信頼」の権利を侵害したと認定した。

 これに対してNHKは、上告の申立の中でも、憲法21条、放送法3条で保障されている「報道機関の報道の自由ないし取材の自由」は、取材対象者の「期待と信頼」によって制限されることは許されず、取材対象者の意向に沿ったものにする義務はないと、一見、マスメディア関係者の同調を得やすい一般論を展開した。

 しかし私は、NHKが事実に口をつぐみ、巧妙に争点をはぐらかしている不誠実さを感じない訳には行かない。と言うのも高裁判決は、放送の自由の見地から、放送事業者の番組編集の自由は憲法上尊重されるとしたうえで、今回のように取材の経過などを考慮して、「特段の事情」が認められる場合に限定して、取材対象者に『期待と信頼』が生じ、編集の自由は一定の制約を受 けると言っているからだ。

 この「特段の事情」には、放送前に安倍晋三氏らと面談したNHK上層部が、その意図を忖度して現場制作者に直接指示を繰り返し、番組が改変された異常さも含まれる。判決は、この点について、NHKが「憲法で保障された編集の権限を濫用し、または逸脱して変更したものであって、自主性、独立性を内容とする編集権を自ら放棄したものに等しい」とまで断罪している。

 NHKは、上告審でもこうした核心部分には、あえて踏み込まず、一言の弁明・反論もしない頑なな姿勢を通したが、こうしたNHKに、「報道の自由・取材の自由」を口にする資格があるのだろうか。

 また、「説明義務違反」については、「『慰安婦』問題を裁く女性国際戦犯法廷をつぶさに追い、半世紀後に戦時性暴力を問う」とした番組趣旨が、政治家の介入によって、当初の内容と相当乖離したものに改変されたのに、NHKは、そうした改変の理由についてバウネット側に説明する義務を怠ったと、判決は指摘した。

 今回の一連の裁判を通して、NHKは、「番組改変によってバウネット側の『期待と信頼』が損なわれたことが法的保護に値するのか」、「番組内容を取材対象者の意向に沿ったものにする義務があるのか」と開き直り、あたかもバウネット側が「放送の自由」を踏みにじり、自らの意に従わせようとしたかのごとく歪曲した。

 「報道の自由、放送の自由」を掲げながら、政治家に対しては、卑屈にも放送前に番組説明に伺候し、一方の取材対象者に対しては、改変の説明すらしないNHKのこうした傲慢な姿勢からは、「戦犯法廷」で証言した性暴力被害者たちの尊厳や、番組制作で苦闘した関係者の悲痛な思いに対する配慮のひとかけらも感じられない。

 6月の最高裁判決で、万一、NHK側の主張が通るようなことがあれば、それは、メディアが視聴者・市民に対する信義を踏みにじり権力に屈服することを、司法が容認することになりはしないだろうか。判決の行方を厳しく監視したい。

posted by JCJ at 00:39 | TrackBack(0) | 放送 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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