2025年05月02日

【リレー時評】「鹿児島県警の闇」は特異なものか=白垣詔男(JCJ代表委員)

 JCJ福岡支部が団体会員になっている「NHKを考える福岡の会」の総会と記念講演が3月22日にあった。記念講演の講師は、福岡市に拠点を置くニュースサイト「ハンター」代表の中願寺純則さん。「これでいいのか、日本のマスコミ」と題して話してもらった。
 中願寺さんは最初に「顔出しはダメ」と断って、これまでも顔写真はどこにも出していないと説明した。理由は「65歳になりましたが、この齢になっても張り込みに行くことがあり、顔が知られると困る」という。しかも、「金銭にはきれいにしたいので講演謝礼は、どこからも受け取らない、訪問者の手土産も」と徹底している。

 それを痛感したのが、講演時間を「70分ぐらいで」とお願いしたら、きっちり70分で話し終わった。その後の質疑応答は、質問がある限り、丁寧に答えてくれた。その誠実さに感心しながら快い時間を過ごすことができた。
 さて、講演で中願寺さんは、鹿児島県警の元生活安全部長が北海道在住のジャーナリストに送った、同県警が隠ぺいしている「不祥事」の内容を書いた手紙の中身を紹介した。この手紙の1枚目には「闇を暴いてください」と書かれており、その2枚目から「不祥事」4件が書かれていた。この4件を明らかにするのは、この講演が2回目という。

 そこには、「警察の保有する情報を悪用したストーカー事案」「警察官による盗撮」「警視による超過勤務詐取事案」「署員のストーカー事案2件を発生させた署長が生安部長着任」の4件が書いてあったという。
 それらについて中願寺さんは鹿児島県警本部に直接取材したほか、「被害女性」にも面会して話を聞いた。
 その中で、元生活安全部長ら地元警察官は逮捕、起訴されたが、警察庁から赴任してきた若い元捜査二課長は、「停職1カ月」で決着している。その決着について、鹿児島県警は3月21日、記者会見をして発表。中願寺さんの講演があった当日(3月22日)朝刊で、各紙は報道した。その中で西日本新聞は社会面トップ、解説まで付けて「『内部告発』は逮捕、対応に差」との見出しで、鹿児島県警が警察庁からのキャリア警察官に「大甘の処分でバランスを欠く」と指摘している。しかも、ジャーナリスト大谷昭宏氏の談話「告発は正義のためだった可能性が高く、行為の悪質さを考えても安部警視(筆者注=キャリア警察官)の処分と比べて非常に公平性を欠く。組織が明らかに機能不全を起こしている」まで付けている。

 この扱いを中願寺さんは絶賛。「権力側から報道する記者が多い現状の中で西日本新聞には真のジャーナリストがいる」と発言。他のマスコミの大半の記者は「真のジャーナリストとは、かけ離れているものが大半だ」と結論付けた。

 鹿児島県警が一貫して「内部組織を守る」姿勢を取ったうえで、警察庁に悪い印象を持たれないように、出向警察官に対して、甘い処置を貫くのは、同県警の特異なものなのか、それとも、「鹿児島県警警察官の闇」が表に出たばかりに目立ったものなのか―。
             JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年4月25日号
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2025年04月04日

【リレー時評】団結し、ジャイアンをとっちめたい=藤森 研(JCJ代表委員)

 だだっ広い殺風景な部屋に簡易ベッドが10余り。素泊まり専用のロンドンの安宿だ。その日の客は、青い目の白人青年と日本人学生の二人だけだった。
 日本人が「どこの国から来たの?」と聞くと、相手は「ユークレイン」と答えた。え、どこだって?と聞き直すが、長身の青年は遠くを見る目で、「ユークレイン!」と繰り返した。英語力の貧しい日本人学生は「ウクライナ」の英語読みだとその時は分からなかった。
 
 50年余り前の筆者の経験だ。
 ウクライナは当時はソ連の一部。青年が答えに込めたのは、民族としての誇りだった。彼らは古くからウクライナ語を話し、ロシア帝国やソ連の下でも自らの文化を守ってきた。ロシア革命の直後に独立を求めたが、敗北。ソ連崩壊の1991年にようやく念願の独立を果たす。
 そのウクライナに2022年、ロシアが全面侵攻して3年が過ぎた。狙いは属国化だ。
 懸命に抗戦するウクライナ人は「3日も持たないと思ったが、3年も持ちこたえた」と自負する。だが、領土の2割は占領され、ウクライナ兵の死者は4万6千人超。ロシアの執拗なインフラ攻撃によって、国力に劣るウクライナは追い詰められつつある。

 キーウ国際社会学研究所の世論調査では、「いかなる状況であれ、領土を諦めるべきではない」と答える人が3年前は82%だったが、昨年末は51%に減少。「できるだけ早く平和を達成し、独立を維持するため、領土の一部を諦めても仕方がない」と答える人が38%に増えた。
領土を守り抜く信念と、日々命が失われる痛みに、ウクライナ国民は引き裂かれている。
 降ってわいたのが有力な支援国アメリカでのトランプ政権の登場だ。バイデン政権から一転、ロシアにすり寄り、「ボス交」の停戦交渉に走り出した。

 20世紀以来の「侵略の否定」は、2つの核超大国に無視され始めた。まるで、帝国主義の19世紀に世界が逆戻りするかのようだ。
 国連総会は今年2月24日、「ロシア軍即時撤退」決議を日本や欧州など93か国の賛成で採択した。だが、米国は反対に回り、その顔色を見るように賛成は23年から、50か国近く減った。
 たとえていえば、自分勝手にいじめを続けるジャイアンAの肩を、ジャイアンBがたたいてやり、それにへつらうスネ夫のような連中が悪行を傍観する。醜悪な図だ。

 しかし、侵略者が罰されなければ、ウクライナ人はたまったものではない。次の犠牲者も出るだろう。あいまいな現状追認の「解決」ではなく、有志連合など正気の皆が団結して、「間違ってるぞ」とジャイアンAをちゃんととっちめるほかに、正義を実現する道はないと私は思う。まず、日本政府の姿勢を厳しく注視したい。 
    JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年3月25日号
 

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2025年03月15日

【リレー時評】沖縄戦から80年「この国」の現実は=金城正洋(JCJ沖縄世話人)

 沖縄は旧暦で各種行事を行う。今年の旧正月は1月29日だった。県内各地の漁港では漁業者(ウミンチュ)たちが航海安全と豊漁、家族の健康を願い、漁船に大漁旗を掲げるのが習わしだ。
 旧正月のころ台湾や中国、香港など中華圏は新年の「春節」。ベトナムは「テト」。韓国、東南アジアも新年に沸く。民族の大移動といわれる春節。沖縄も海外の観光客であふれている。

 カンヒザクラ(緋寒桜ともいう)の淡いピンクの花が青空に映える中、初春の沖縄の風物詩・プロ野球の春季キャンプも真っ盛り。どの球場も県内外からのファンで連日賑わいをみせている。
 「球春」で沸く沖縄。今年は住民を巻き込んだ沖縄戦から80年が経とうとしている。東京大手や各県問わずマスメディアでは80年を振り返る記事が動き出した。不思議なのは沖縄を含め一部に例外はあるものの、そのほとんどが戦争終結を起点とした「戦後80年」モノで埋め尽くされている感があることだ。

 そもそも「戦後」とは何なのか。戦後という前提には「戦前・戦中」という時代があった。それは第二次世界大戦に至る前の15年戦争であり、忘れてはならないこの国の負の歴史である。
 1945年以前にこの国が何をし、自国、他国を含めてどれだけの尊い命が失われたのか。物心ついた80年前の10歳の子は90歳になる。戦争体験の記憶は風化していく。しかし、糸満市摩文仁の「平和の礎」に刻銘された24万人余りの犠牲者の名前は、戦争の歴史を問い続けていくだろう。

 ところがだ。「台湾有事は日本の有事」「南西諸島防衛」「住民避難計画策定」とか先走り、台湾に行って勇ましく「戦う覚悟」までぶち上げて「戦意高揚」に行きつこうとする勢力が台頭。戦後80年の「この国」の現実でもある。
 「戦う覚悟」とは台湾は中国と戦え、台湾の後ろには日米同盟が控えているという意味だろう。他国への干渉は国際法上ご法度だが、台湾と中国の戦争をけしかけるようなモノ言いはもってのほかではないか。
 戦場は東京圏から遠く離れた台湾に近い沖縄諸島。だから沖縄諸島に自衛隊基地を造ったとでも言いたいのかと勘ぐってしまう。沖縄をウクライナやパレスチナのガザ地区などと同様の戦場にしようとでも考えているだろうか。軍需産業への支援だろうか。浮かれている場合ではない。

 この国の保守陣営が息巻く「中国憎しと台湾有事」という点に関し、果たしてアメリカは動くのか。大国アメリカと大国中国が真正面からぶつかることはあり得ない。それは第三次世界大戦への出口の見えない終わりの始まりであることを、米中とも熟知しているはずだからだ。
 戦後80年、さび付いたこの国の指導者たちに対抗するのは、戦争のない平和と自由と平等を諦めない気構えだ。
        JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年2月25日号
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2025年01月30日

【リレー時評】=SNSでの情報氾濫に読書で対抗=山口 昭男(JCJ代表委員)

 今年は敗戦80年、昭和100年。いま世界各地では戦火が絶えない。歴史は繰り返すのか。
 大佛次郎は『敗戦日記』の「昭和20年正月13日」に「五時のニュウス。マニラの戦争について一語も触れず、……戦果のあった時だけ勝った勝ったでは戦争をしているとは云えない話だ」と書き、2月12日には「政治は皆無の如くに見える」と書いている。
 井上ひさしは「反核運動を指導したイギリスの歴史家が『抗議せよ、そして生き延びよ』と言った。ぼくはこれに一つ加えた『記憶せよ、抗議せよ、そして生き延びよ』を信条にしている」と書く(『朝日新聞』2000年8月6日付)。

 またSNS政治元年といわれた昨年末、戦後新聞界を牽引してきた渡辺恒雄読売新聞主筆が亡くなった。100年前、80年前は、いかに情報を制限するかが権力の手法であった。現在はどうだろう。昨年の東京都知事選挙、衆議院議員選挙、米大統領選挙で見られたのは、SNSによる情報の氾濫、影響力の強さであった。SNSによって多くの人がつながり、情報を共有し、誰もが深く調べて判断している。しかし下村健一氏がいうように「今、私達の社会は情報を《真か偽か》ではなく《快か不快か》で選ぶ」ようになっている(『ジャーナリスト』801号)。

 それでは真偽の区別はどうすればできるのか。受け取る側に、その信憑性を確認するリテラシーが求められるということはしばしば指摘される通りである。その能力を育てるのは、人類の歴史遺産としての知識ではないか。それを獲得する手段が「本」だと思う。
 しかし紙の本の市場は年々急速に縮小している。全国の書店数は、出版科学研究所によると、2003年に20880店あった書店が、2023年には10918店になっているという。毎年1000店が閉店していることになる。

 文化庁の調査によると、16歳以上で1カ月に1冊も本を読まない人は62.6%にのぼり、これが50%を超えたのは調査開始以来初めてという。本を読まなくなっていることは、長い文章を読むことができなくなっていることに通じ、それは考えることの減退に通じるのではないだろうか。

 本を読まなくなった理由として「情報機器に時間がとられる」が43.6%を占め、その影響力の強さがうかがえる。
 しかし、アメリカでは紙の本の売れ行きが伸びているといい、アイスランドでは人々が1カ月に平均2.4冊の本を読むという。
 『理想なき出版』の著者アンドレ・シフレンは次のように語っている。「書籍とその思想にのしかかる脅威は、職業としての出版のみが直面する問題ではない。私たちの社会そのものに関わる危機なのだ。」

 本はもはや絶滅危惧種だと言われる今日、もう一度本を披き、歴史に学んではどうだろうか。
           JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年1月25日号
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2025年01月10日

【リレー時評】PFAS汚染 放置してはならない=中村 梧郎

  1967年7月29日、ベトナム戦争に出撃した米空母フォレスタルがトンキン湾で炎に包まれた。甲板上には北爆に向かう艦載機が燃料と爆弾を満載して待機していた。その時なぜかF4ファントムがロケット弾を誤射。それは友軍機に命中、連鎖反応のように爆弾も炸裂した。流れ出た燃料は20機を包み甲板は火の海と化した。

 US・NAVAL研究所によれば、この事故でパイロットを含む134人が焼死、数百の水兵が重傷を負っている。消防隊員は全滅。慌てた兵らが火炎めがけて放水した結果、燃える燃料は水に浮いて甲板穴から船内に流入、多数が焼死した。鎮火に効果的だったのは泡消火剤であった。

 これを教訓として米軍は消防対策を改変、「全軍が泡消火剤を完備せよ」との指令を出した。こうして、米国内だけでなく世界に展開する米軍基地の全てでPFAS泡消火剤を使用することとなった。人体影響はまだ不明なときだった。
 PFASの撥水性が好都合と、デュポンは焦付き防止フライパンを発売、ハンバーガーの包装紙などにも使われた。
 PFAS はフッ素の有機化合物で1万余の種類がある。そのうちで特にPFOAとPFOSに発がん性が懸念されるとWHO が先年発表した。
 米国は厳しい対応を始めた。飲み水や地下水に対してPFOAとPFOSそれぞれ4㌨c/㎖という規制値を定めた。規制だから判ればすぐ措置しなければならない。ところが日本は合計50㌨cを上限目標値とした。目標にすぎないから発覚しても放置できる。

 この11月末、政府は全国の水道水3755カ所の調査結果を公表した。各紙とも概ね「目標値を超えていない」と書き、安全宣言とおぼしき報道となった。だが、アメリカの規制値を当てはめると多くの地点で遥かに超えているのである。
 岡山県吉備中央町では浄水場で目標値の16倍の汚染が4年前に見つかった。それが町民には知らされず、皆が水道水を飲み続けるという事態となった。取水源を変えたため、事態はおさまったが、その間の集団汚染に国は責任を負わない。

 危険はがんだけではない。環境中で分解せず、人体に蓄積する。ダイオキシン同様「永遠の化学物質」と呼ばれる。懸念は胎児への影響や脂質異常、免疫力低下にもある(NAS 2022)。
 重大なのは沖縄や本土の米軍基地からのPFAS漏洩が続いている点である。日米地位協定があって基地に立ち入れないからと、政府は調査しようとさえしない。横田基地からの滲出で、東京都の地下水はほとんど汚染されてしまった。各務原など自衛隊基地からの汚染も起きている。加えて半導体工場、産廃処理場からの漏出もある。
 国民の命が脅かされる問題である。規制は急がれなければならない。
      JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年12月25日号
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2024年12月13日

【リレー時評】「リベラルな国際秩序」理念の実質化=吉原 功(JCJ代表委員)

 自民党・立憲民主党の党首選に続く衆院議員選挙、さらには米国の大統領選挙でこの夏から秋まで日本メディアは選挙報道に明け暮れた。衆議院選挙では自公政権が過半数割れ、米大統領戦ではトランプ元大統領が大方の予想に反して圧倒的勝利を収めて帰り咲いた。

 与党の過半数割れで日本の国会は従来のように閣議決定ですべて決まることはなくなるとの期待の声が高い。だが懸念もある。野党が全体的に保守側にシフトしており、主要野党の殆どが日米同盟を日本外交の基軸だと表明していることだ。メディアもそれが当然という風情で、安全保障問題、軍拡問題を争点として提起しなかった。

 米大統領戦では両候補の非難合戦ばかりが目についた。難民問題や関税問題、「もしトラ」などに注目が集まったが重要問題が素通りされたような選挙戦であり報道であったように思う。
 世界的に焦眉の問題はウクライナ戦争とガザからレバノンへと戦禍が拡大する中東問題だろう。この両者に米国は深く関わっているが大統領戦では、イスラエル支援を止めるよう求める若者たちの運動が拡がったものの、両陣営で政策を闘わせることはなかった模様だ。

 そのため日本のメディアでも米国との関連はほとんど報道していない。見落としがあるかも知れないが唯一の例外が11月1日放送のBS-TBS「報道1930」である。
 同番組は、米国がイススラエルに、この1年間で178億ドル(2.7億円超)の軍事支援をし、殺傷能力の高い武器の提供を続けてきたこと、それらの武器群が、多数の子ども、女性、市民を殺傷していることなどを明らかにしていた。和平努力の姿勢を見せながらジェノサイドの手助けを続けていることを、同番組としてもめずらしく明確に示したのである。
 大統領選での大混乱、ジェノサイドを支援する米国、フェイクを厭わない大統領の2度目の選出。日本はこのような国と同盟を結びさらにそれを深化しようとしている。

 ガザでのイスラエルの所業はかつて欧米諸国がアジア・アフリカ・ラテンアメリカで行ったことと同類であり、その所業を支援・支持する諸国も同じ国々である。これらの国々は未だにに植民地主義を克服してないことを暴露している。
「リベラルな国際秩序」は第二次世界大戦後、米国を盟主とし西側諸国が主導する民主主義・法治主義・人道主義などを旨とした国際的秩序を指す概念とされる。

 国際法に違反してパレスチナの地に、イスラエルの国家建設を強行したのも、建国後のイスラエルが国際法違反を繰り返していることを黙認してきたのもこれらの国々である。

 日本は、軍事同盟の強化に走るのではなく「リベラルな国際秩序」が掲げた理念を実質化する新たな国際秩序の確立に努力・貢献すべきではないろうか
      JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年11月25日号
 


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2024年10月29日

【リレー時評】 罪に問われない「証拠捏造」=白垣詔男(代表委員)

 袴田巌さんが58年ぶりに「自由の身」になった。
 これまで、彼を「不自由な境遇」に追いやっていたのは「司法」のほかマスコミにも大きな責任がある。深く反省しなければならない。
 
 私も記者時代、警察・司法を担当したことがあるので、袴田さんの逮捕、死刑判決の過程を取材していたら同じ過ちをしていただろう。「犯罪情報」は、捜査当局が一手に握っており、自ら捜査しない記者は、その情報を信じないわけにはいかない。その際、その捜査が誤りかどうかを疑うことは、なかなかできないものだ。
 しかも、かつては、「容疑者」段階では呼び捨てで、「容疑者は真犯人」という世論形成に大きな役割を果たし、それが、裁判段階で裁判官の心証に与える影響も多かれ少なかれあっただろう。

 「袴田事件」は、まさにそうした「愚」の連続で、無罪の人間に対する死刑判決から長期収監につながったのだと確信している。
 以上のような点を、今回、袴田さんが無罪確定した段階で、新聞各社は「反省と謝罪の弁」を大きく掲載した。西日本新聞は、「袴田事件」の記事はすべて共同通信からの配信を使っていた(一部は提携紙の中日新聞の記事を使ったか)ので、共同通信の「お詫び・反省」を前書き付きで目立つように載せた。

 ところで、今回、「袴田事件」の静岡地裁判決(国井恒志=こうし=裁判長)は検察の「証拠捏造」を認めた。検察に対する「誤認捜査」を痛烈に批判した。
 こうした場合、証拠を捏造した検察の行為は「犯罪」ではないのか。「袴田さん無罪」の判決理由の大きな柱として「証拠捏造」報道を知ったとき、私はまず、そのことを考えた。捜査当局以外の人が「証拠隠滅」した場合は「証拠隠滅等罪」が適用されて逮捕される。これは検察当局には適用されないのだろうか。

 初の女性検事総長になった畝本直美さんは、発表された談話で「『捏造』断定には大きな疑念と不満がある」と。「袴田事件捜査」について、今後、改めて検証するとも表明した。この談話は「何を今ごろ検証するのか」と批判したくなる。そのうえで、再審決定から初公判までの長い時間を考え、なぜ司法関係の時間は、こんなに長く掛かるのかという疑問も、いつものように抱いた。もっと迅速に裁判が進まないものだろうか。

 今回の「袴田裁判」に関連して、司法改革が叫ばれているが、それがいつ動き出すのか、見通しはない。国民の疑念が多い司法が「国民本位」に改革されることを強く望む。それを「聖域」にしてはならない。
        JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年10月25日号
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2024年10月08日

【リレー時評】「君死に」の響き合い 改憲阻む歩み=藤森 研

 自民党総裁選の9月。乱立した候補は、口々に「憲法改正」を言う。保守票が目当ての下心が見えて、浅ましい。
 今から120年前の1904年9月。雑誌『明星』に、有名な反戦詩が載った。
〈清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき〉と清新に歌ってデビューした若手歌人・与謝野晶子が、唐突に〈君死にたまふこと勿(なか)れ〉と反戦をうたいあげ、世を驚かせた。日露戦争の真っ最中である。

 自宅への投石や、文壇の重鎮の批判にも、晶子は毅然とこの作品を護った。詩は、戦地にある弟を思う姉の真情だが、同時に、尊敬してやまないロシアの文豪トルストイへの「返し歌」だった。
 トルストイは日露戦争に対し烈々たる反戦論文を書いた。さすがにロシア国内では出版できず、1904年6月、英紙『タイムズ』に発表した。
【「汝、殺すなかれ」の戒めに背き、人と人が野獣のように虐殺し合うとは、そも何事か。この戦争は、宮殿に安居し栄誉と利益を求める野心家らが、ロシアと日本の人民を犠牲にしているのだ】
「君死に」の第三連にはこうある。〈すめらみことは戦ひに おほみづからは出でまさね かたみに人の血を流し 獣(けもの)の道に死ねよとは〉

 天皇自らは戦場に行かれない。戦争は安全な場所にいる指導者が起こし、獣のように殺し合いをさせられるのは両国の人民だ――。庶民の立場からの反戦の理が、トルストイと晶子で見事に響き合っている。
 与謝野家が購読していた東京朝日新聞に、「トルストイ伯 日露戦争論」が訳出連載されたのは、04年8月2日から20日までだった。「君死に」が載る『明星』の締め切りは8月20日(一説に22日)。他にも符合する点があり、晶子はトルストイの反戦論文を読んで、「君死に」を書いたと推認できる。新聞にそう書くと、何人かの晶子研究者が賛同してくれた。
 タイムズのトルストイ反戦論文は当時、世界に反響を呼んでいた。米、仏、英の作家や学者が同感を表明。晶子の詩も、世界的反響の一つに位置づけられる。ただトルストイと晶子の場合は、勇敢にも戦争当事国内から挙げた反戦の声だった。

「戦争は悪だ」というその思想は、戦争違法化論の源流となる。それは連盟規約、不戦条約、国連憲章へと発展し、日本の憲法9条を生んだ。
いま、イスラエルによるガザ市民の虐殺に、米国の学生運動をはじめ世界で抗議の輪が広がっている。翻って、日本の動きは実に乏しい。
 保守的な日本の気分に悪乗りし、総裁選後の新首相は、軽躁に明文改憲を企てるかもしれない。
 だが、軍拡を進める政府が今でも「専守防衛の枠内で」と言わざるを得ないのは、多少傷ついたとはいえ平和憲法がなお厳然と生きているからだ。改憲は、平和へ向かう世界の歩みに明らかに逆行する。日本の市民が、止めなければならない。
   JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年9月25日号
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2024年08月30日

【リレー時評】どこから生まれる「台湾有事」という思考=金城 正洋(JCJ沖縄世話人)

 「なんだかな〜」というため息しか出てこないのはなぜだろう。この言葉はTBS「報道特集」特任キャスターの金平茂紀さんが取材で沖縄に来るたび、泡盛を吞みながら語り合う中で必ずこぼす言葉だ。

 取材をして報じても。報じても報じても、底が抜けたこの国の歪みはまるでブラックホール化し、常識を詭弁と権力で踏みつぶす。そして暗闇へ放り投げて都合のいい歴史へと変えていく。いったい何がしたいのかさえ説明しない。だから「なんだかな〜」というため息しか、わたしにも出てこないのはどうしたことだろう。

 「台湾有事」という怪しげな造語が跋扈する。中華人民共和国(中国)が中華民国(台湾)に武力介入するはずだから、与那国島、石垣島、宮古島、沖縄本島の自衛隊基地にミサイル攻撃のための装備を整えておきましょうね、と。

 「台湾有事」なるものが起きたとして、中国と日本が果たして戦争状態に突入するというのだろうか。どちらも経済連携の互恵関係は切っても切り離せないほどの深度に達しているという現実からしても、どこから「台湾有事」は「即、日本の有事」という、極めて狭い思考が生まれてくるのか、不思議でならない。
 コロナ禍を経た世界中の人々が、コロナ禍以前のように国境を越えて観光で交流を取り戻している。沖縄だって例外ではない。那覇空港には中国や韓国、台湾、東南アジア諸国からの便が離発着し、国際通りは外国客であふれている。
 スーパーでは中国産の食料品が大半を占め、市民の食卓を潤す。と同時にこの国の食料自給率の低さを、いやが上でも知らされるのだ。
 こういった現実社会を直視せずに、「中国が嫌い」だから「台湾有事は日本の有事」だと短絡的思考に陥るのはどうだろうかと考える。

 沖縄から見ていると、軍事力増強と排外主義的な風潮が台頭し、この国は戦前、いやそれ以前の「鎖国状態」に還ったのかと、ふと思わずにはいられない。
「なんだかな〜」。
 ところがだ、自衛隊は駐屯地(基地)を造った石垣島で、こともあろうに公道で「行軍」を実施した。そして石垣島と宮古島の中間に位置する駐屯地のない多良間島でも公道を使った「行軍」を行った。
 与那国島に基地を造る当初は「沿岸警備監視」が名目だった。それがミサイル配備基地になり、今後は与那国空港滑走路の延長、島の南中心部を大幅に掘削して軍港とする計画まで出ている。すべて「有事」のための指定空港・港湾とするためのものである。

 駐日米大使の与那国島視察、米軍と自衛隊の机上訓練、石垣市と与那国町の首長による住民避難計画策定要請などは、まさに戦前ではないか。
 これは沖縄だけの問題なのか。戦争になればすべてが犠牲者になるのですよ。
       JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年8月25日号

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2024年08月10日

【リレー時評】「つばさの党」と「言論の自由」=山口 昭男(JCJ代表委員)

 4月の衆院東京15区補欠選挙で、「つばさの党」が他陣営の選挙カーを追いかけるなどしたとして、6月28日に代表ら3人が公職選挙法違反容疑で再々逮捕された。選挙期間中、黒川代表はテレビのインタビューで「言論の自由」と語っていたが、こうした場面でこの言葉が聞かれるとは思ってもみなかった。

 いうまでもなく「言論の自由」は「知る権利」とともに民主主義社会の根幹をなす権利であり、日本国憲法第21条で保障されている。遡って1889年発布の明治憲法でも第29条において保障されていたが、現実にはすべての出版物は出版条例によって検閲されていた。明治以降の言論活動はまさに「言論・表現の自由」を獲得するための戦いの歴史だったといっても過言ではない。とりわけ日中戦争、太平洋戦争中の言論圧殺は著しく、1933年の桐生悠々による論説「関東防空大演習を嗤う」事件、1935年の美濃部達吉による「天皇機関説」事件など事例には事欠かない。

 評論家加藤周一は、1936年2・26事件の直後に、矢内原忠雄教授の講義を聴いて、「そのとき私たちは今ここで日本の最後の自由主義者の遺言を聞いているのだということを、はっきりと感じた」(『羊の歌』岩波新書)と語っている。
「言論の死」という言葉は、私の編集者生活のなかで何回となく聞かされた言葉である。作家城山三郎は「言論・表現の自由は、自由社会の根本で、いわば地下茎のようなもの。この地下茎をダメにすれば芽は出ず、枯れてしまいます」(『表現の自由と出版規制』出版メディアパル)と語っている。

 戦後の現憲法下でも、「言論の自由」を巡る戦いは数多くみられる。たとえば1961年の「風流夢譚事件」とそれに続く「嶋中事件」、また1987年の「朝日新聞阪神支局襲撃事件」は衝撃的だった。「言論の自由」はいまだ獲得途上の権利と言ってよい。
 その中で想定外ともいえる「つばさの党」問題が起きると、私たちは改めてSNS全盛時代の「言論・表現の自由」問題を考えざるを得なくなる。名誉棄損を口実に「言論の自由」を束縛する可能性も大きく、SNS書き込みの炎上による、また弾圧が続くことによる言論の萎縮、自己規制、これらが同時進行で起こりかねない。

 50年前私が新米編集者だったころ教えられたのは「どうなるかではなく、どうするかを考えろ」だった。そのためにはいかに多くの情報を得るかが必須だった。いまの人々は、端末に溢れる情報に翻弄されていて、まるで過剰情報社会を当てもなくさまよっているようだ。
世の中のAI化が進むにつれ、SNSを巡る新たな犯罪、悪用、情報遺漏などがますます増大するであろう。ここをどう突破するかは極めて難しい問題だが、いまこそ「情報リテラシー」教育が必要なことは間違いない。
     JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年7月25日号
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2024年07月11日

【リレー時評】「戦死手当」まで検討⁉ 経済的徴兵だ=中村 梧郎(JCJ代表委員)

 北富士演習場で、手榴弾訓練中の陸自隊員が5月末に被弾死した。岐阜の日野射撃場では昨年、3人を殺傷する兵が出た。演習は戦争ごっこ≠ナはない、敵を殺す能力を新兵に叩き込む場であり、危険と紙一重である。自衛隊のポスターはカッコ良さを演出し、若者らのあこがれを煽る。でも戦場は甘くはない。敵と遭遇したら殺すか殺されるかの世界である。

 銃弾も爆弾も大量殺害の手段である。だから軍はそれを扱う殺人のプロを育てる。戦艦も戦車も殺人装置。その最上位にある戦闘攻撃機の輸出を岸田内閣は決めた。明白な憲法違反である。

 ウクライナやガザではクラスター爆弾が使われている。50年前に終わったベトナム戦争で登場したこの爆弾(当時はボール爆弾)は何なのか、という解説が日本のメディアの多くで誤っている。
 「カプセルから野球ボール大の子爆弾数百が飛散し広域を破壊する。その3割が不発で地雷と化すから非人道的」という説明だ。だが地雷を凌ぐ残虐兵器なのだ。子爆弾は無数の弾丸を内包、爆発で放射状に飛び散る。ビルは破壊できないが、人間は全身に弾を浴びて即死、遠くでも何発かは貫通する。つまり殺害専門の「対人殺傷爆弾」なのだ。非人道性はそこにある(もっとも人道的兵器≠ヘありえないが…)。  

 自衛隊への応募者が減った。一昨年6月、野田聖子・内閣府大臣は日経日曜サロンで「少子化は自衛官の減少をもろに受ける。国の安全保障、国防にも影響する」と発言、少子化対策を急ぐ狙いが実は将来の自衛官の確保にあることを漏らした。

 機密保護法、経済安保法も揃った。だが権力を監視すべき新聞TVはなぜか糾弾を避ける。「防衛力の抜本的強化に関する有識者会議」には読売新聞グループ本社の山口寿一社長が名を連ねている。今年、日本のジャーナリズムの自由度は世界70位へと順位を下げた。先進国中最下位。政権広報機関への転落、という評価なのだろう。

 徴兵制をやめた米国では給与を増額、低賃金労働者を誘ってイラクやアフガンに送る兵とした。日本では兵役適齢の市民学生の情報が自治体から自衛隊に渡されている。北海道では、子ども食堂に隊員募集パンフを配布したことも発覚した。貧困家庭のはず、という勧誘である(『週刊金曜日』5月24日号)。
 徴兵制がなくとも貧しさがあれば兵は募れる。防衛省は奨学制度の拡大も図る。学生に月5万4千円を貸与し、卒業後に自衛官となれば返還免除。サイバー分野の人材なら幕僚長並みの給与支給が可能だという(「赤旗」1月20日)。その上なんと「戦争(戦死)手当」の導入を検討している。安心して死んでくれ、というわけだ。

 戦争遂行の具体的準備が進む。事あれば米・日統合軍司令部のもと、自衛隊が最前線に出る。
 日本はまさしく戦争をする国になりつつあるようだ。
 JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年6月25日号
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2024年06月04日

【リレー時評】ガザ・デモ対応 米民主主義の内実は=𠮷原 功

 4月末、日本の新聞・テレビは、米報道に基づいて、イスラエルが「恒久停戦提案」と大きく報じた。パレスチナ・ガザ地区でのハマスとの「戦闘」についてである。米国などの圧力を受け、これまで一貫して応じてこなかった強硬姿勢を譲歩したというのである。「ハマスはきわめて寛大な提案を受け取った。速やかな受け入れを」とブリンケン米国務長官。

 ガザへの激しい攻撃を続け多数の死者・犠牲者をだしながらの提案である。報道をよく読むと「恒久的停戦」とは「ガザの持続的な平穏」と表現されており、「戦闘終結が含まれる停戦は受け入れない」というのがイスラエル側の姿勢である。その後、仲裁国の修正がありハマス側は
 その受入れを表明、イスラエルは「要求からかけ離れている」と避難民あふれる南部ラファ地域への攻撃を継続している。
昨年10月、ハマスのイスラエル攻撃から始まった「戦争」であるが、イスラエル側の無差別攻撃は度を越しており、南アフリカが国際司法裁判所に提訴したように、まさに「ジェノサイド」そのものだ。当初、イスラエルを全面支持し武器供与などの支援をしていた米欧諸国は国内外の強い批判を受けて、停戦を説くようになってきてはいる。だが、軍事的・政治的なイスラエル支援は不変である。
 こうした状況を受け、コロンビア大学はじめ米国の大学で反戦運動が4月中頃から始まった。英・仏・加、豪など世界にも急速に拡大している。米学生たちはイスラエル関連企業への投資の停止、イスラエル支援組織・個人からの寄付拒否などを大学側に求めている。そのことによって「ジェノサイド」を止めさせるということらしい。

 学生の行動に対し「反ユダヤ主義」だとする者たちが乱入したり大学執行部が警察を導入したりで衝突や負傷者や逮捕者がでている。5月3日には、米30以上の大学で1600人超の若者が逮捕された。バイデン大統領は「反ユダヤ主義・違法行為を認めない」と言い、トランプ元大統領は「素晴らしい」と大学での強制排除を称賛している。
コロンビア大学の学長は議会の公聴会に召喚され「反ユダヤ主義の運動を学内で許している」と尋問された。学生たちの行動に共感を示す教員たちの解職やバッシングも各地でおこっているという。

 米国は第二次世界大戦後、自由と民主主義の国として世界に君臨してきた。上記の事例はその内実を赤裸々に示していると言わざるをえない。その米国にピッタリと寄り添ってきたのが日本の自民党政府である。4月初頭訪米した岸田首相は、日本は「世界のリーダーである米国のグローバル・パートナー」と、さらに踏み込んだ。
 「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」日本国憲法前文を締めくくる言葉だ。この日本の理念、世界の宝を葬ろうともしている。日本のメディアよ、戦争直後の決意を思い出せ! 
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2024年04月30日

【リレー時評】原発の新増設、能登地震あっても進めるか=白垣 詔男(JCJ代表委員)

 今年は元日に能登地震が起こり、「地震列島・日本」の恐ろしさを再確認した。発生時には「地元の志賀原発が休止中だったので、放射能汚染はコトなきを得た」と報道された。しかし、「油漏れがあった」と報じられ、「大したことがなかった」と胸をなでおろしたが、その後、「漏れた油は2万リットル以上」と分かった。「油漏れ」という軽い表現では想像できない「大きな事故」で海の汚染がひどかったのではと思ったが、続報がなかった。

 万一、志賀原発で事故があった場合、能登級の地震だったら、「東北」の二の舞になっていたと恐怖感に襲われた。原発事故があった場合、避難のための道路が寸断されて住民は逃げられず汚染されるしかないという「恐怖」を覚えた。
 能登地震は、原発事故がなく放射能汚染にさらされなかったので、「故郷を失う」「災害後は住んでいた場所に帰れない」ことはなく、地震で被害を受けた地域は、住宅が再建されれば、「元の生活」に戻れる。そこが「東北」と大違いだ。
 東北は、震災後13年たった今年3月11日現在でも「帰還困難地域」がなくならず、依然として「故郷に帰れない」住民も多数いるほか、帰宅をあきらめて「故郷を捨てざるを得ない人々」も相当数いて、心が痛くなる。
 東北と能登の2つの大地震を比較するだけで、原発がいかに危険なものか、「地震後の状況」をみれば容易に分かる。

 しかし、それでも岸田文雄政権は、「原発新増設」「稼働期間の大幅延長」を打ち出したままだ。狂気の沙汰と言うしかない。国民や原発周辺の住民の立場から考えていないことの表れだ。電力会社など原発を必要としている企業側からの発想しかないのは、そうした企業側からの「献金」を続けてもらうためとしか考えられない。「裏金問題」が指弾されている自民党だけに、国民全体のことを考えない姿勢は明らかだ。こうした自民党には退場してもらうほかはない。

 また、裁判でも、電力会社の責任を認めない判決は多いが、「監督責任がある国」に対しても免責判決が大半なのは、裁判官が国に忖度しているとしか思えない。3月7日に大分地裁であった「伊方原発差し止め訴訟」で、武智舞子裁判長は住民側の主張を認めず、運営する四国電力の言い分を受け入れた。3月29日の福井地裁の「美浜・高浜原発差し止め訴訟」でも、加藤靖裁判長が住民の仮処分申請を認めなかった。
 自らの出世を第一に考え、上(人事権を持っている政府)ばかりを見ている「ヒラメ裁判官」の典型と言えよう。
 日本のように、どこででも大地震が起こる恐れがある国で、原発を動かそうというのは、国民の命を「人質」にしていると言ってもいいだろう。
 「原発がなくても電気は足りている、だから地震国家・日本には原発は要らない」と考えるのが良識ではないのだろうか。
  JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年4月25日号
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2024年03月29日

【リレー時評】米大統領選 陰謀論が跳梁する現代=藤森研(JCJ代表委員)

 米大統領選が進む。トランプ前大統領が共和党の候補になることは決定的だ。バイデン不人気もあって、トランプが復活した時に世界はどうなってしまうのか、という危惧が現実味を帯びている。
 トランプが支持される理由はさまざまにあろうが、岩盤支持層の一つに陰謀論集団「Qアノン」があるという。関連書や雑誌を読んでみた。
 「Q」は米国の最高機密、「アノン」はアノニマス(匿名の)の意味だ。ネットの匿名掲示板にQが初めて投稿したのは、2017年。民主党のヒラリー・クリントンが逮捕されるという荒唐無稽な内容だった。だが、信奉者は膨らんだ。

 藤原学思は『Qを追う』で、彼らの主張をこうまとめている。
――世界は、米民主党のエリートやハリウッドスターらの「ディープステート」に裏で操られている。彼らは児童虐待者らで、前大統領のトランプこそが、人々を救う救世主だ――
陰謀史観は昔からあるが、近代のそれはフランス革命が嚆矢(こうし)だった、と内田樹は書いている(『日本の反知性主義』)。
――フランス革命で一夜にして財貨を失った特権階級は、亡命先のロンドンで額を寄せ、秘密結社が革命を企んだと推論した。19世紀末、ドリュモンなる人物がこう書いた。「フランス革命後の百年で最も利益を受けたのはユダヤ人だ。彼らがフランス革命を計画実行したに違いない」――
 革命の原因は、統治の経年劣化、市民社会理論の登場などの複合だ。内田も書く通り、ドリュモンの論理は、風が吹いて儲(もう)かった桶屋が気象を操作した、と言うに等しい。
 米連邦議会侵入で逮捕された男性は、トランプが敗けた選挙に不正があったと信じる理由をこう語った。「トランプは多くの集会を持ち、いつも満員だった。バイデンはほとんど集会をせず、来ても支持者はわずかだった」
 だが、バイデン陣営が集会を制限し、人数も絞ったのは、コロナ対策だった。

 米NPOの世論調査ではQアノン流の陰謀論に、5%が「完全に同意」、11%が「おおむね同意」すると答えた。その属性は高卒以下、南部在住者らが比較的多かった。
 「Qアノン」拡大の理由についてはウォッチャーたちの見方が一致する。「トランプや共和党が否定するどころか奨励するような発言をした」「コロナ禍でパソコンに触れる人が増えた」などだ。
 だが、彼らの心象風景についての見方は多様だ。
「リベラルな価値観を内心で嫌悪し、差別表現の排除に辟易(へきえき)していたが、トランプが解き放った」
「彼らは社会から見下されていると感じている人々だ」との見方もある。陰謀論は自我を守る、というわけだ。
 どう対すべきか。陰謀論の土壌になる不公正を減らすことも大事だろう。
 しかし、かつて統一教会信者にも感じたことだが、不確かな人間存在を考える時、そう簡単な解はないのかもしれない。
   JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年3月25日号
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2024年03月08日

【リレー時評】「国策」問い未来守った珠洲、沖縄もまた=次呂久 勲(JCJ沖縄)

 「コロナ禍が明けたら、金沢とか北陸にでも旅行行きたいね」と、事あるごとに、妻とそう話していた。
 2024年1月1日午後4時10分に発生した能登半島地震は、最大震度7を観測し、数多くの家屋が倒壊、さらには土砂崩れや津波などにより、200人以上もの命が失われるなど、甚大な被害を受けた。

 このような大地震が発生すると、福島第一原子力発電所の事故による大災害が思い起こされる。
 その能登半島の先端に位置する珠洲市にあった原子力発電所の建設計画が、住民らの反対運動により凍結されたと知った。
1975年に持ち上がった計画は、翌年公表。当初は、住民のほとんどが反対したが、関電側が住民の懐柔に動き、一人また一人と賛成に回り、地域は分断された。

 その後89年5月に関電は原発建設に向けた現地踏査に乗り出すが、反対住民は市役所で40日に渡る座り込み抗議を実施、調査を中断に追い込んだ。それ以降も反対運動を続け、ついに03年12月に計画は凍結。阻止活動は実に28年にも及んだ。
 未来の珠洲市の為にと、「国策」に抗い様々な苦難を乗り越え、凍結へと導いたこの住民運動がなければ、今回の地震で能登半島は想像もできないほどの大災害になっていただろう。
 東日本大震災後に、仲間たちと「国策を問う」という観点から沖縄の基地問題と原発の問題を議論しあうシンポジウムを開いたことを思い出した。

 あれから10年以上たつ今も自公政権は、「国策」の名のもとに、辺野古新基地建設を強引に進めている。さらには、先島諸島への自衛隊基地・ミサイル基地化を進め、日米の軍事拠点を狙う。

 辺野古新基地建設を巡っては大浦湾側に軟弱地盤が見つかり、18年に沖縄防衛局が設計変更を県に申請したが、県は不承認としそれを国土交通大臣が是正を指示、県は国の違法な関与な関与に対し裁判を起こした。だが、不承認の正当性についての判断は示されず、昨年9月に最高裁で県の敗訴が確定した。それをうけ昨年12月に、国が代執行で県に代わって設計変更を承認、大浦湾側での工事が可能となった。

 軟弱地盤に関しては、海底に7万1千本もの砂の杭を打つ計画だが、今回の大浦湾での90mの深さの改良工事は国内において実績がない。
 いつまでも平和な島であってほしいと、今もな多くの県民が基地建設に対し反対の民意を示し続けている。未来のために反対し続けたあの珠洲市民のように・・・

「輪島朝市」は、地震直後に発生した火災で全焼し、復興までにどれだけの歳月と費用がかかるか見通せない。妻と私が描いていた姿は、今そこには存在していない。
 国会は、自民党議員の裏金問題で紛糾、辺野古では、これから12年もの歳月をかけ、9300億円もの税金が注ぎ込まれていく。
    JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年2月25日号
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2024年02月04日

【リレー時評】安倍派の瓦解と政治家の「話す力」=山口昭男(JCJ代表委員)

 能登半島地震に見舞われた年明けの日本列島、岸田政権はますますレームダック化している。
 いま改めて岸田文雄首相の「話す力」の乏しさを思う。ひるがえってみれば、菅義偉の言葉は迫力がなかったし、安倍晋三は饒舌だったが、中身がなかった。というより安倍の場合は、その場限りの無責任な言葉だった。

 私は一度だけある書籍の出版記念会で、安倍の挨拶を間近に聴いたことがある。5分余り、何のメモも見ず、800頁を超える大部な学術書のあらすじを簡潔に説明した後、自分はどこに感銘を受けたかを語っていた。誰かがメモを渡していたとしても、付箋の付いた本を掲げながら列席者に語りかける姿は見事なものだった。しかし、明日にはもうこのことは忘れているのではないかと思ってしまった。安倍の語りは、その日、そのとき聞いている人の耳にどう響くかだけに関心があるようだった。それは計算された上でのことというより、その場に最も合うパフォーマンスは何かというところから作られている。だから今日言ったことと明日言うことが違っていても気にならないのである。「桜を見る会」前日に開かれた夕食会の費用補填問題について、首相在任中118回の虚偽答弁があったというが、さもありなんである。安倍本人がいなくなれば、派閥自体が立ち行かなくなってしまうのも必然だろう。

 なぜ最近はこうも政治家の言葉が軽くなってしまったのか。
 武田泰淳の『政治家の文章』(岩波新書)を披くと、保守革新を問わず、政治家の真の言葉がいくつも出てくる。
 浜口雄幸の『随感録』には「政治が趣味道楽であつてたまるものか、凡そ政治ほど真剣なものはない、命がけでやるべきものである」とあるし、重光薫の回顧録『昭和の動乱』には、「いかに手際よく、その日の舞台劇をやつて見せるかに腐心するのが、また政治家であつて、国家永遠のことを考ふるの余裕を有つものが少い」などとある。

 近年では、福田赳夫の『回顧九十年』(岩波書店)を読むと、なるほどと思うような言葉も多い。また鯨岡兵輔には「核兵器で殺されるよりも核兵器に反対して殺される方を私は選ぶ」というような有名な言葉がある。こちらが年を重ねたせいだけでもあるまい。
 引退した後の回顧録は皆いいことばかり書くのではないですか、と言われそうだが、回顧録でも取るに足らないものもあるし、それだけではない。

 二二六事件直後に粛軍演説で陸軍を批判した斎藤隆夫のようにとは言わないまでも、最近与野党の政治家で研究会が発足したという石橋湛山に学ぶことも必要だろう。例えば1921年7月『東洋経済新報』の社説欄に掲げられた「一切を棄つるの覚悟」「大日本主義の幻想」などを読むならば、「話す力」は復権すると思うが、果たしていまの日本にそれらをきちんと受け止められる政治家はどのくらいいるのだろうか。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年1月25日号
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2024年01月09日

【リレー時評】撮影そのものが犯罪とされる恐れも=中村梧郎

撮影.jpg

 この刑法名は変えなくてはならない。2023年7月に施行された「性的姿態撮影等処罰法」という刑法である。その略称が撮影罪だ。背景には「盗撮」激増という事態があった。スマホや極小カメラの普及によって盗撮は悪質化、検挙者数は2012年の2000人から2021年の4000人へと倍増した(テレビ東京230531)。盗撮行為はこれまで自治体の迷惑条例などによって規制されていたが、不充分だとして刑法上の犯罪へと切り替えられたのである。
 法令の主旨は盗撮行為の処罰にある。しかしなぜか刑法名から「盗撮」が消され、「…撮影等」となった。長い名前だからメディアは “撮影罪”と略称するのであろう。

 刑法は普通「窃盗罪」「詐欺罪」「殺人罪」というように犯罪名が法令名となる。であるならば「撮影罪」という呼称は、撮影すること自体が犯罪なのだ、という誤った理解を広げることになる。それは表現や報道の自由を奪うことにもつながりかねない。

 写真は、汚職や犯罪、政界のスキャンダルなど事実を暴く力を具えている。当人らの許可を得ることなく秘かに撮影しなければならないケースも存在する。統一教会もBIGモーターもジャニーズ問題も社会問題化するまでに多くの情報が掘り起こされるという経緯があった。週刊誌にも数多の写真が掲載された。こうした写真の撮影は社会的な正義とみなされる。新刑法の問題は“盗撮罪”と名付けなかったことに隠されているのではないか。

 盗撮に限定せず、撮影一般に網をかけておけば、条文をわずかに手直しするだけで、不法行為や裏取引などの隠し撮りも、人格権の侵害だ、撮影罪だとして撮影者を犯罪者にすることさえ可能だ。そんな危険をはらむのが「撮影罪」と称される刑法である。
 戦前の軍機保護法は趣味の撮影も規制した。港に並ぶ船の話をするだけでも検挙された。北大生の宮沢が米人教師のH・レーンに根室空港の話をしたというだけで懲役15年とされ、病死した例もある。
 2014年12月に施行された特定秘密保護法は、秘密の概念をあいまいにしているため、軍機保護法よりも広く網を掛けることが可能だという。それに加えて2007年にはGSOMIA(日米軍事情報保護一般協定)が締結されており、米軍基地を公道から撮影するだけで規制される事態となっている。

 盗撮事件を好機とし、隠し撮りや撮影一般を規制してゆこうという意図が背後にあるのだとすれば重大である。
 日本写真家協会は「“性的姿態撮影罪”の呼称についての(メディアへの)お願い」を出した。日本リアリズム写真集団も「撮影罪と呼ばれる罪名は変えよ」との声明を出している。刑法名は「盗撮等処罰法」とすべきなのだ。
     JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2023年12月25日号

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2023年12月25日

【リレー時評】米政府、ガザ侵攻支持で信用失墜=吉原 功(JCJ代表委員)

 パレスチナのガザ地区を実行支配しているイスラム組織ハマスがイスラエルへの大規模攻撃を仕掛けた。イスラエル軍報道官が「米同時多発テロと真珠湾攻撃を合せたような衝撃だ」と述べたというから、その怒りが如何ばかりか想像に難くない。
 イスラエルは直ちに反撃をはじめた。ネタニヤフ同国首相の「ハマス絶滅戦争だ」という言葉どおりイスラエルの攻撃はパレスチナ全体を絶滅させるような激しさだ。バイデン米大統領は「まさに悪の所業だ」とハマスを断罪し、ブリンケン国防長官をイスラエルに送った。「イスラエルの自衛権に対するアメリカの揺るぎない支持を明確に示す」ために。
 市民を殺害したり、人質として連れ去ったりしたハマスの暴挙が、無論許されることではないだろう。しかし世界大戦後突然やってきてパレスチナ人の生活空間に突然入り込んで以降、イスラエルは何をやってきたのか。ホロコーストの怨念をパレスチナ人に向けてはらし続けてきたのではないか。

 米欧を中心にハマスの暴挙を非難して止まなかった国際世論はしかし、急速にイスラエル批判に転じつつあるようだ。子供だろうが病人だろうがハマス抹殺のためには殺害するというイスラエルの「戦争」は許せないとの声が大勢を占めつつありその批判はバイデン米政権にも向けられている。同大統領はネタニヤフ首相を訪ねて、「その勇気と決意と勇敢さは驚くべきもの」と称賛し、イスラエル支援継続を鮮明にしているからだ。
 ウクライナに侵攻したロシアに対しては厳しく断罪し、パレスチナに侵攻しているイスラエルは支援するなど米国の二重基準も問題になっている。

 インド、トルコなどが疑義を申し立て、共同声明を出せなかったマルタでの第3回ウクライナ和平会議がその象徴だ。」
 米国内でのイスラエル、米政権批判は、政権、否米国にとってもっと深刻だろう。イスラエル建国以来、米国内のユダヤ社会は米国政治の重要な要素だが、1996年設立の「平和を求めるユダヤ人の声」という、米国内に70組織、会員約44万人の運動体が「パレスチナのジェノサイド止めろ」と声を上げているという。国務省の高級役人が政府のイスラエル政策を批判して辞職したという話題もある。バイデンに投票したイスラム教徒は当然のことに次回選挙では別の投票行動をするだろう。

 国内的にも国際的にも米政府は信用を失い、国内の分裂は深刻になりつつある。このような国とピッタリと寄り添う日本の選択はそろそろ変えなくてはなるまい。
      JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2023年11月25日号
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2023年11月03日

【リレー時評】「人間の尊厳」は口先だけなのか=白垣詔男(JCJ代表委員)

 岸田文雄首相は9月20日(日本時間)の国連総会演説で、「人間の尊厳こそが2023年以降の国際目標を今後検討する上でも、国際社会の未来を照らす中核的理念となるべきだ」と指摘、「人間の尊厳を強化するために協調する国連を実現したい」と「人間の尊厳」を前面に打ち出して力説した。
 ところが、自らの政権ではどうだ。「人間の尊厳」など頭にないようにみえる差別発言を繰り返してきた自民党の杉田水脈衆議院議員を何度も重用する不可解な人事を重ねている。

 杉田は2016年、国連女性差別撤廃委員会に日本から参加した人たちについて「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場。完全に品格に問題があります」などとブログに差別的な内容を投稿した。これについて札幌法務局は、当事者らが「人権侵犯だ」と訴えていたことを受けて9月7日付で「人権侵犯」と認定、救済を申し立てた当事者が9月20日に明らかにして「ニュース」として世間に知られるようになった。

 岸田政権は昨年、杉田を総務政務官として任命。野党などは杉田議員のブログ発言を国会で追及、昨年12月になって、杉田議員はこの「発言」を撤回、謝罪した。岸田首相はその後、彼女を更迭したが、杉田発言が「人権侵犯」と認定された後の9月29日に自民党は環境部会長代理の要職に起用した。岸田が総裁として反対した形跡はない。岸田が国連演説して10日もたっていなかった。「杉田発言の人権侵犯ニュース」が広まった20日、茂木敏充自民党幹事長は記者会見で記者からの質問に「残念だと思う」と一言述べただけで、自民党の「人権感覚」の浅さを露呈させた。

 他人の尊厳を傷つけるような言動を杉田議員は、これまで数多く見せた。2018年に月刊誌への寄稿で、性的少数者について「彼ら彼女らは子供をつくらない、つまり『生産性』がない」と書いた。20年には自民党の部会で、性暴力被害を巡って「女性はいくらでも嘘をつけますから」と。ジャーナリストの伊藤詩織さんを中傷する投稿に「いいね」を押したことに関して賠償を命じられる判決も受けている。
 こうした「前歴」があるにもかかわらず、自民党が杉田議員を重用するのは「愛国保守をアピールする杉田氏に好意的な保守層を刺激すれば、選挙でマイナスになる」ので岸田政権内に杉田議員を批判する声は広がらない、と10月2日付の西日本新聞は書いている。

 しかし、「杉田氏に好意的な保守層」は、人権を侵犯する発言に対しても「好意的」なのか。「保守層」からは杉田発言についての意見は出ない。そうした「保守層」に支えられているとしたら自民党の人権感覚は岸田首相の国連発言は口だけで、国民いや全世界の人々を欺くものだと言わざるを得ない。
   JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2023年10月25日号

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2023年10月04日

【リレー時評】「著しく公益を害する」のは誰か=黒島奈美子(JCJ沖縄世話人)

 都道府県が国策と異なる判断をした場合、国がその判断を拒否すれば、都道府県は国に従わなければならない―。
 沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡り最高裁は4日、国と地方の関係性にかかわる一つの判決を下した。
 「国側が取り消す裁決をした場合、同じ理由で県が再び承認しないことは地方自治法の規定に違反する」と指摘。「それが許されるなら、紛争の迅速な解決は難しくなる」とも断じた。

 新基地建設問題で県と国が争った訴訟は13件に上る。そのうち今回で7件で県の敗訴が確定したことになる。
 いずれも県と国の関係性を問う裁判だ。発端は2015年11月、国側の提訴に始まる。
 故翁長雄志知事が前知事の埋め立て承認を取り消したことに対し、国側が翁長氏の処分を取り消すための代執行を求めて訴訟を提起した。「承認の取り消しを放置すれば、著しく公益を害する」という理由だった。
 当時の安倍晋三政権が、県との対話を避け裁判闘争に持ち込んだのである。同様の態度はその後の菅義偉政権や岸田文雄政権にも引き継がれている。

 あれから8年が経過。2度目の抗告訴訟で最高裁が示したのは、当初の国の主張をなぞらえた結論だった。
 建設の妥当性には一切触れず、ひたすら公共工事の遂行を後押しする。公権力の行使に対して不服がある場合に提起するという抗告訴訟の存在意義すらも危うくする判決だ。
 そもそも新基地建設問題とは何か。
 国内では沖縄県宜野湾市にある米軍普天間飛行場の移設先として1997年に持ち上がった。沖縄の基地負担軽減策を沖縄に負わせるという矛盾した計画に、県民は当初から反発した。
 工法の問題や政権交代などで計画案が浮上しては消えるを繰り返し、現行計画に固まったのは2010年。仲井真弘多元知事が埋め立てを承認したのは13年12月だった。

 一方、米軍は1966年すでに辺野古沖合を埋め立て3千b級の滑走路を建造する計画をもっていた(2001年6月3日付『沖縄タイムス』)。
 「海軍施設マスタープラン」で、当時の図面は現行計画とほぼ重なる。実現しなかった背景には土地収用に地元の反発が予想されることや、当時1億3千万jという巨額の費用があったという。
 こうした経緯を見れば「基地負担軽減」という国民向けの説明とは全く異なる新基地建設の実態がうかがえる。
 軟弱地盤の発覚で総工費は計画の3500億円以上から9300億円以上に跳ね上がった。
 国民をだまし「著しく公益に害する」のは誰なのか。司法が見定めるべきはその点にこそあった。(沖縄タイムス論説委員会副委員長)
     JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2023年9月25日号
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