2025年12月23日

【リレー時評】「歴史的分析、評価」欠いた戦後80年=吉原 功(JCJ代表委員)

 毎日新聞の伊藤智永専門編集委員が「小和田氏の戦後80年批判」(9月20日付朝刊コラム「土記」)と題し、元国際司法裁判所長官の小和田恒氏が9月12日講演し、「戦後80年報道のあり方に直球の疑問を投じた」ことを紹介した。

 日本記者クラブの「各界長老に『戦後80年を問う』」企画に応じての講演を伊藤氏は「『カミソリ』衰えず」と評した。
 登壇の小和田氏は、日本国民受難の体験に集中したメディアの戦後80年報道を「それが悪いというのではないが、全てなのか。日本に加害者の立場はなかったのか」と問い、「外交は相手の見方を踏まえた外交の技術」「被害者と加害者の見方は相当違う」と指摘。戦後80年の歴史が日本外交に課した3つの課題と、それが並行し絡み合って進んできたことを説いて「戦争に至った日本の行動に対する厳格な歴史的分析と評価こそ80年になされねばならなかったと感じます」と結んだ。

 まさにその通りであり、メディアは「日本の行動」に自らの報道が含まれることも忘れてはならないであろう。
伊藤氏はコラムで「小和田氏はそれ以上言わないが」と、断りながらも「戦後80年報道も、長く深く時代を見通す洞察が問われた」「戦後処理問題に『戦後70年安倍晋三首相談話』がもくろんだ虫のいい終わりはない。そんな幼稚な了見で外交はできない」と、さらに一歩踏み込んだ。                                      

 日本にとっての「戦後80年」は、中国にとっては「抗日戦争勝利80年」である。それを記念し北京で9月3日実施された軍事パレードは日本でも大きく報道された。中露朝のトップが公式の場で66年ぶりに勝利を称揚したのだから、メディアがその軍事的脅威、米国に代わる新たな国際秩序形成への意気込みなどに注目するのは当然だが、なぜ「抗日」なのかの深い洞察が報道には読み取れない。それこそが最も大きな問題であろう。

 9月18日は、かつて日本軍(関東軍)が鉄道を爆破し、それを中国軍の仕業として戦線を拡大した柳条湖事件の日である。「731部隊」の細菌戦や人体実験もその後の展開の中で行われた。日本メディアは中国の「抗日」軍事パレードを大きく報じたが、総じて「反日キャンペーン」の一環として捉えていた。「731部隊展示館」を取材し、「こうした展示を見て、中国人はどう受け止めているのか」と書いた記者がいたが、その問いは自らに対して発するべきだったのではないか。

 今年1月、岩波ジュニア新書として出版された宇田川幸大著『歴史的に考えること 過去と対話し、未来をつくる』は、「ジュニア」に限らずジャーナリストにも読んでもらいたい本だ。メディアの「戦後80年企画」担当者たちが「わたしたちは近代日本の戦争の『後』を生きている」とする本書を読んでいたら、報道はより「長く深く時代を洞察」するものになっていただろう
         JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年11月25日号 
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2025年11月04日

リレー時評】遺族の怒り 裁判所を動かすか=白垣 詔男

 最高裁が「保釈運用議論」を始める。
 10月初め、マスコミが一斉に報じた。私は、「やっと最高裁が動き出すのか、遅きに失する」と思った。それでも、最高裁にしては「人権重視」の姿勢が少しでも前進したのかとも考えた。

 最高裁が「保釈運用論議」のきっかけとなったのは、「大川原化工機えん罪事件」の一連の経緯を考えてのことだとは容易に推測が付く。
 拘留中だった大川原化工機の元顧問・相嶋静夫さんに、がんが見つかったにもかかわらず保釈が認められず、病院での有効な治療が受けられないままに亡くなった。弁護側は8回も保釈申請をしたが裁判所が認めなかった。検察側が「保釈すると証拠隠滅の恐れがある」と主張したのを裁判所は「是」としたためだろう。相島さんは有効な治療をうけられないままに、がんを悪化させた。人権より捜査を優先させた検察とそれを認めた裁判所の犠牲になったとも言える。多くの国民は「人権を認めないこの国の司法はひどい」と痛感したのではないか。相島さんへの深い同情とともに裁判所への憤りの念を強く抱いただろう。

 結局、この「事件」は、大川原化工機の社長らが逮捕・拘留され、検察官による公訴提起が行われ、約11カ月もの間、身体拘束された後、公訴提起から約1年4カ月後、初公判直前の2021年7月30日に検察側が控訴を取り消した。異例の経過をたどった。完全な「えん罪事件」だった。控訴取り消し時には、相島さんは既に亡くなっていた。遺族は、無念というより、大きな憤りを覚えたことは、その後の民事訴訟時の記者会見で訴え、明らかになった。

 もう1つ、私が「裁判所の不当決定」と感じた事例は、福岡市に本部があるニュースサイト「ハンター」に対する鹿児島県警の家宅捜索だ。昨年4月、鹿児島県警は、「ハンター」(中願寺純則代表)の事務所兼自宅を捜索した。数人の警察官が突然やってきて、捜索令状をひらひらさせ、応対に出た中願寺代表に満足に提示もせず、いきなり上がり込んできて強制捜索した。

 メディアに対する捜索は、「取材源の秘匿を脅かす」として、日本ペンクラブや新聞労連が抗議非難する声明を出している。
 この強制捜索も、鹿児島県警が裁判所に「強制捜索令状」を請求したものを裁判所が何の抵抗もなく認めたために鹿児島県警は、その令状を手に、福岡市にやってきたものだ。鹿児島県警は、大手メディアだったら捜索令状を裁判所に請求しただろうか。ここにも、裁判所が、世間の常識よりも警察の請求を認めたことが、「ハンターへの強制捜索」につながった。

 その後の鹿児島県警の一連の対応は、身内に甘く外部に厳しい経過をたどって、今なお「晴れ間」にはほど遠い状態が続いている。「ハンター」に強制捜索令状を認めた裁判所は、どう考えているのだろうか。
        JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年10月25日号 
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2025年10月05日

【リレー時評】 なぜ日本は、対米開戦をしたのか=藤森 研(JCJ代表委員)

 戦後80年の夏。テレビ各局は戦争関連の番組を競作した。NHKスペシャル「シミュレーション 昭和16年夏の敗戦」も、評判になった。
 日米開戦前、若い頭脳を集めた内閣の「総力戦研究所」が、鉄鋼生産、石油など彼我の国力差を机上演習した史実を、ドラマとドキュメンタリーで描いた番組だ。
 計算の結果、日米の国力比は少なく見ても1対12。仮に南方の石油を確保しても運ぶ船が足りなくなる。彼らの報告は、「日本必敗」だった。

 だが東条首相は、国力比、天皇の意向、陸、海軍の思惑、中国撤兵を巡る日米交渉などに煩悶した末、「多大な犠牲で勝ち取って来たわが国の権益の一切を捨てることはできん」と対米開戦を決断する、というのがドラマのあらすじだ。
 歴史学者の加藤陽子は『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で、こうした国力の絶対的な差を「日本の当局はとくに国民に隠そうとはしなかった。むしろ、物的な国力の差を克服するのが大和魂なのだ」と精神力を強調した、と書く。

 経済史学者の牧野邦昭は『経済学者たちの日米開戦』で、秋丸次朗中佐らの陸軍省戦争経済研究班(秋丸機関)に注目する。有沢弘巳ら一流の経済学者を動員し、各国の経済抗戦力を調べた組織だ。牧野によれば、「秋丸機関だけでなく、陸軍省戦備課、総力戦研究所の演練など『対英米開戦の困難さ』を示す研究は無数にあった」という。
 当時の指導者が直面していた選択肢を、牧野はこんな風にまとめている。
〈米国の石油禁輸などで日本は2~3年後には「ジリ貧」になる。強大な米国と戦えば、非常に高い確率で日本の致命的な敗北を招く(ドカ貧)。しかし非常に低い確率だが、もし独ソ戦に短期間でドイツが勝ち、英国が屈服すれば、米国は講和に応じるかもしれない〉
 他力本願の賭け。牧野は武藤章陸軍省軍務局長の言葉を紹介する。
 「俺は今度の戦争は、国体変革までくることを覚悟している。(しかし)追い込まれてシャッポを脱ぐ民族は、永久にシャッポを脱ぐ民族だ」

 東条は「過去数十万の犠牲」を開戦の理由にした。だが開戦は、その数十倍の犠牲を生んだ。
 では、どうすべきだったのか。“後世の論”は承知の上で、私は中国撤兵だったと思う。加藤も書くように、「日本が戦争をしかけて、中国の対日政策を武力によって変えようとしたことからすべては始まっている」。

 敗戦は、日本の謀略での満州占領に始まる15年戦争の帰結だ。石橋湛山の「満蒙放棄論」などに耳を貸さず、指導者は国策を誤り続けた。メディアも片棒を担いだ。
 そんな痛苦の歴史を戦後日本は克服しようとして来たはずだ。しかし今、自民党実力者の麻生元首相は台湾での講演で日台米の抑止力強化を訴え、「戦う覚悟」を強調する。その言葉の軽さに、唖然とする。
           JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年9月25日号
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2025年09月11日

【リレー時評】戦争とメディア 二重の危機=米倉 外昭(JCJ沖縄)

 戦後80年を迎えた今年、新たな戦前状況にあらがうため沖縄のメディアは、過去の戦争や戦後史を検証して教訓とし、再び戦争をさせない報道に懸命に取り組んでいる。
 市民運動も新たな展開をしている。「戦争止めよう! 沖縄・西日本ネットワーク」が結成され、6月に東京行動を実施するなど、活動の規模を拡大してきた。

 しかし、日本の軍事費は拡大を続け、米軍と一体となった戦争準備を着々と進めている。軍事演習が日常化し、生活の場に軍事が無遠慮に入り込み、全国でミサイル配備、弾薬庫整備などの計画が目白押しだ。
 8月12日には、昨年7月に日本の海上自衛隊艦が中国領海に侵入して威嚇砲撃を受けていたと報じられた(共同通信)。戦争になっていたかもしれない事態が、1年以上たって国民に知らされるとは、恐怖と言うほかない。沖縄から見ると、1972年の日本復帰以後、今が最も戦争に近い状況にあると感じる。

 しかし、新たな戦前、戦争準備にあらがう取り組みは、日本の中でうねりになっていない。国民は戦争の惨禍を忘れてしまったのだろうか。7月の参議院議員選挙は、沖縄県民さえもそうなのかと考えさせる結果だった。
 沖縄選挙区では「オール沖縄」が擁立した高良沙哉(さちか)氏が自公候補に3万票余りの差をつけて当選、「平和の1議席」を死守した一方、参政党候補が12万票余を獲得した。勝利した高良氏の得票率は40%にとどまった。

 比例代表の結果も驚きだった。得票率を多い順に見ると自民16・92%に次ぐのは参政12・87%だった。そして公明10・64%、れいわ10・36%と続いた。既成政党が軒並み減らし、参政、れいわが大きく増やした。おおむね全国と同じ傾向だった。
 6月、「復帰50年の沖縄世論」(筑摩選書、熊本博之・田辺俊介編著)という本が出版された。
 編著者らが2022年に実施した世論調査などに基づいて沖縄の世論を分析した。若い世代ほど基地問題を重視しない理由として、ローカルメディアに接触せず、「右傾化」する「本土」のインターネットの言論空間にのみ接触するようになっていることを挙げた。復帰50年、戦後80年で「沖縄の心」が、日本に取り込まれそうになっている。

 これは、日本でも沖縄でも、「戦争の危機」と「メディアの危機」が同時進行していることを意味している。新聞、テレビなど既存メディアの影響力が低下し、経営も厳しさを増している。特定の記者を排除する政党や政治家が現れ、ネットにはヘイトとうそがあふれ、リンチが横行している。これらが「戦争の危機」助長につながっていく。

 この二重の危機に立ち向かい健全な民主主義を支えるために今一番必要なのは、ジャーナリスト、メディアの連帯ではないだろうか。そして市民との連帯だ。ここにJCJの役割があると思う。
          JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年8月25日号
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2025年08月06日

【リレー時評】JCJ70年 時代の底流見すえて=山口昭男(JCJ代表委員)

 作家の井出孫六は、中央公論社に入社した1958年、やはり同年岩波書店に入った安江良介との最初の出会いを次のように記している。
 「中央公論社から道路二本ほどへだてたビルに「新聞労連」の本部があり、同じフロアの一郭に『日本ジャーナリスト会議』の事務所が同居していた。警職法改正問題は、戦前の言論抑圧の記憶のなまなましい当時にあっては、新聞人、出版人のあいだに反対の声が強く、ジャーナリスト会議の事務所はそういう意見のセンターになっており、取材にも便利だった。吉野源三郎さんはジャーナリスト会議の発企者のひとりとして、会合にもよく顔を見せていたが、わたしが安江さんに初めて出会ったのも、その会合の席でだった。」

 それより2年前の1956年にヘルシンキで開かれた国際ジャーナリスト会議に代表を送ろうという運動が、日本でも起こり、それを契機として1955年に日本ジャーナリスト会議が設立され、吉野源三郎はその初代議長に就任した。
 私が岩波書店に入社した1973年、吉野は編集顧問として会社に来ており、『世界』編集部に配属された私は、入社初日、安江編集長から「今日は吉野さんが来ているから挨拶に行きなさい」と言われた。

 会ってみると、小柄だが、笑顔とは裏腹に威厳を感じた。緊張した私が挨拶をする間もなく、「ジャーナリストは24時間仕事だ」と言われた。いまでは問題発言だが、この言葉はいまも私の心に残っている。
 もう一つ言われたのは「本当の問題は、ただどうなるかということではなく、どうするかにある」ということだった。当時「成注」(成り行きが注目される)と称される報道が多く、こんな記事を書いていてはダメだ、とよく言われた。
 かつては情報量が少ないなかで、いかに多くの情報を手に入れるかがカギだった。いまは情報氾濫のなかで必要な情報をどのように選び取るかが求められている。かつては「見えないものを見る」想像力が求められた。しかしSNS時代のいまは「見えるものをキチンと見る」想像力が必要な時代かもしれない。時代は変わった。

 編集者には、決まったマニュアルがあるわけではなく、修業などというものもない。先輩たちの背中を見ながら、自分で考える以外ない。自分だけが頼りなのだ。しかし、私たちの目指す方向に変わりはない。吉野は、時代の底流を見すえることこそジャーナリストの使命だとの確信を持っていた。

 吉野はまた次のように言っていた。「必要なのは勇気です。しかし、その勇気は、今日ではおそらく、私たち一人一人が歴史に対するもたれかかりを断ち切り、孤立をも恐れずに現実を直視し、今日の状況をまともから受け止める、というところから出発する勇気のほかにないと思われます」と。
          JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年7月25日号
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2025年07月10日

【リレー時評】ベトナム戦争「終結50年」訪問記=中村 梧郎(JCJ代表委員)

 ベトナム戦争が終わ って半世紀が過ぎた。
1975年4月30日、 サイゴンが陥落、アメリ カは完全な敗北を喫した。

 米軍の侵略は195 4年に始まった。その間 南ベトナムの人々は連日 の殺戮におびえ、北は無 差別爆撃で焦土と化した。 死者は北で360万人、 南で100数十万人とさ れる。

 戦勝と南北統一を記念 して、ベトナム外務省新 聞局は戦時中にベトナム を取材したジャーナリス トらをこの4月ホーチミ ン市に招待した。戦場か らの事実報道が米国と世 界を揺るがし、ベトナム の勝利に貢献したと評価 したからである。記者総 数は600名に上るとさ れる。日本からは70余 名(うち15名は戦場死) だった。戦後、鬼籍に入 ったか闘病中で、招きに 応じたのは各国から20 数名である。日本からは 私と石川文洋の二人だけ であった。新聞局は60 名を招いていたが、その 多くは戦後に取材した記 者たちであった。

 私は1970年、北爆 下のハノイに入ったのが 最初だった。当時は北に 入りにくかったが、ジャ パンプレスが ベトナム 通信社と契約があったた めスムーズに実現できた。 日本電波ニュース社や赤 旗はすでにハノイに支局 を設けていた。1965 年には毎日の大森実外信 部長が、67年にはTBS の田英夫 キャスターや 古谷綱正もハノイ入りし ていた。ジョーン・バエ ズやジェーン・フォンダ も入った。これを米側は 睨んだ。大森、田、古谷 らは職を変え、後に次々 と他界してゆく。ピュー リッツァ賞の沢田教一や 作家の開高健も鬼籍に入 った。朝日で解放区潜入 をスクープした本多勝一 氏は闘病中である。ベト ナムはこうした人たちを 招きたかったに違いない が間に合わなかった。

 アメリカからはAPや UPI等の特派員たちが 招かれていた。その一人、 70年からNYタイムズ などに寄稿していたT・ フォックス氏が注目され た。戦時に覚えたベトナ ム語で「私たちは戦争が 無数の悲しみを引き起こ したことを知っています。 良心あるアメリカ人を代 表して、米国が貴国に行 なったことをお詫びしま す。」と挨拶したからだ。 こうした率直さがベトナ ム人の心を掴む。本来な ら米大統領がやるべき謝 罪なのだ。

 戦争中に米メディア が果たした役割は秀逸だ った。特筆すべきは「国 防総省秘密報告」の暴露 だ。1971年、NYタ イムズのニール・シーハ ン記者がエルズバーグ博 士から入手して連載。米 側がトンキン湾事件ので っち上げをやった事実も そこには記されていた。

 政府はNYタイムズ を訴えたがその頃には W・ポストにコピーが渡 っていた。そこも訴えら れると次はボストン・グ ローブがというように連 携しての抵抗だった。連 邦最高裁がメディア側勝 訴の判決を下したのはい うまでもない。教訓はそ こにある。

 翻って日本。戦争へとつき進む政 権をメディアの結束で糾 弾できているだろうか。
     JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年6月25日号
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2025年06月01日

【リレー時評】下からの民主主義を目指す国=吉原 功(JCJ代表委員)

 日本では中南米についての報道が極めて少ない。あってもマイナス・イメージを植え付ける情報がほとんどである。ベネズエラはその典型だ。日本のメディアが同国を報道するとき、必ず「反米独裁国家」という枕言葉が付く。その国で「下からの民主主義」確立を目指す住民運動=「コムーナ運動」が拡がっている。

 長い間、米国の支配下にあって植民地同様の状態であった同国は、1999年の革命によって独自の道を歩み始めた。憲法が改正され地域住民の自治、政治参加による地域課題解決などが国の基本と定められた。同時に新政権は「教育:成人のリテラシー向上」「低価格の基本的食料の供給」「医療の届いていない地域へのヘルスケア」「土地改良―貧困者への土地返還」「低コスト住宅建設」などの「ミッシオン」を掲げた。これら社会政策は当面、政府が実施するのだが、チャベス大統領は、改正憲法の精神に基づき地域住民自身が実現していくものと展望していたと思われる。全国にコムーナ(地域住民組織)創設を呼びかけるからである。 

 コムュナル評議会法(06年)、コムーナ法(10年)が制定され、コムーナ運動の法的な整備が整う。評議会はコムーナの基礎組織であり、それらが集まってコムーナが構成される。評議会が担当地域の調査を行い住民の取り組むべき解決課題の優先順位を住民集会で決定する。コムーナは評議会で決定された解決課題を調整してコムーナとしての優先順位を決め住民投票によって取り組む課題を決める。決められた課題について国家予算が割り当てられる。という仕組みである。
 
 チャベス大統領が死亡した2013年にコムーナ数は13であったが現在は全国で3万6千を超え、評議会は4万1千も設立されているという急成長ぶりだ。
 「南は存在する」という名称を持つコムーナの活動ぶりを見てみよう。この名称は「帝国主義・ネオリベ・グローバリゼーションに抗するという意味が込められているという。首都カラカスの北100マイルに位置するこのコムーナには27の評議会が結集し、放棄された元競馬場の訓練場・牛舎の管理権を取得、縫製工場(5000校の制服生産)、食料雑貨店・文具店(地域で生産、連帯価格で販売)などを運営している。
 コムーナでは課題設定から管理運営、生産、販売などすべてを住民参加で行っており、自らの必要のみならず近隣住民の必要を満たす活動を行っているわけで、デモクラットとして成長する場にもなっているといえよう。コムーナそのものが「民主主義の学校」なのである。

 日本を含めた西洋(オクシダント)は、今浮足立っている。地域紛争や経済戦争があちこちに飛び火して抑止力という名の戦争準備に余念がない。西洋型民主主義が音を立てて崩壊過程に入ったといっていいだろう。ジャーナリズムがその名に恥じない活動をするためには、少なくともコムーナ運動のような試みを積極的に報道する必要があると思う。
       JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年5月25日号
 

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2025年05月02日

【リレー時評】「鹿児島県警の闇」は特異なものか=白垣詔男(JCJ代表委員)

 JCJ福岡支部が団体会員になっている「NHKを考える福岡の会」の総会と記念講演が3月22日にあった。記念講演の講師は、福岡市に拠点を置くニュースサイト「ハンター」代表の中願寺純則さん。「これでいいのか、日本のマスコミ」と題して話してもらった。
 中願寺さんは最初に「顔出しはダメ」と断って、これまでも顔写真はどこにも出していないと説明した。理由は「65歳になりましたが、この齢になっても張り込みに行くことがあり、顔が知られると困る」という。しかも、「金銭にはきれいにしたいので講演謝礼は、どこからも受け取らない、訪問者の手土産も」と徹底している。

 それを痛感したのが、講演時間を「70分ぐらいで」とお願いしたら、きっちり70分で話し終わった。その後の質疑応答は、質問がある限り、丁寧に答えてくれた。その誠実さに感心しながら快い時間を過ごすことができた。
 さて、講演で中願寺さんは、鹿児島県警の元生活安全部長が北海道在住のジャーナリストに送った、同県警が隠ぺいしている「不祥事」の内容を書いた手紙の中身を紹介した。この手紙の1枚目には「闇を暴いてください」と書かれており、その2枚目から「不祥事」4件が書かれていた。この4件を明らかにするのは、この講演が2回目という。

 そこには、「警察の保有する情報を悪用したストーカー事案」「警察官による盗撮」「警視による超過勤務詐取事案」「署員のストーカー事案2件を発生させた署長が生安部長着任」の4件が書いてあったという。
 それらについて中願寺さんは鹿児島県警本部に直接取材したほか、「被害女性」にも面会して話を聞いた。
 その中で、元生活安全部長ら地元警察官は逮捕、起訴されたが、警察庁から赴任してきた若い元捜査二課長は、「停職1カ月」で決着している。その決着について、鹿児島県警は3月21日、記者会見をして発表。中願寺さんの講演があった当日(3月22日)朝刊で、各紙は報道した。その中で西日本新聞は社会面トップ、解説まで付けて「『内部告発』は逮捕、対応に差」との見出しで、鹿児島県警が警察庁からのキャリア警察官に「大甘の処分でバランスを欠く」と指摘している。しかも、ジャーナリスト大谷昭宏氏の談話「告発は正義のためだった可能性が高く、行為の悪質さを考えても安部警視(筆者注=キャリア警察官)の処分と比べて非常に公平性を欠く。組織が明らかに機能不全を起こしている」まで付けている。

 この扱いを中願寺さんは絶賛。「権力側から報道する記者が多い現状の中で西日本新聞には真のジャーナリストがいる」と発言。他のマスコミの大半の記者は「真のジャーナリストとは、かけ離れているものが大半だ」と結論付けた。

 鹿児島県警が一貫して「内部組織を守る」姿勢を取ったうえで、警察庁に悪い印象を持たれないように、出向警察官に対して、甘い処置を貫くのは、同県警の特異なものなのか、それとも、「鹿児島県警警察官の闇」が表に出たばかりに目立ったものなのか―。
             JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年4月25日号
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2025年04月04日

【リレー時評】団結し、ジャイアンをとっちめたい=藤森 研(JCJ代表委員)

 だだっ広い殺風景な部屋に簡易ベッドが10余り。素泊まり専用のロンドンの安宿だ。その日の客は、青い目の白人青年と日本人学生の二人だけだった。
 日本人が「どこの国から来たの?」と聞くと、相手は「ユークレイン」と答えた。え、どこだって?と聞き直すが、長身の青年は遠くを見る目で、「ユークレイン!」と繰り返した。英語力の貧しい日本人学生は「ウクライナ」の英語読みだとその時は分からなかった。
 
 50年余り前の筆者の経験だ。
 ウクライナは当時はソ連の一部。青年が答えに込めたのは、民族としての誇りだった。彼らは古くからウクライナ語を話し、ロシア帝国やソ連の下でも自らの文化を守ってきた。ロシア革命の直後に独立を求めたが、敗北。ソ連崩壊の1991年にようやく念願の独立を果たす。
 そのウクライナに2022年、ロシアが全面侵攻して3年が過ぎた。狙いは属国化だ。
 懸命に抗戦するウクライナ人は「3日も持たないと思ったが、3年も持ちこたえた」と自負する。だが、領土の2割は占領され、ウクライナ兵の死者は4万6千人超。ロシアの執拗なインフラ攻撃によって、国力に劣るウクライナは追い詰められつつある。

 キーウ国際社会学研究所の世論調査では、「いかなる状況であれ、領土を諦めるべきではない」と答える人が3年前は82%だったが、昨年末は51%に減少。「できるだけ早く平和を達成し、独立を維持するため、領土の一部を諦めても仕方がない」と答える人が38%に増えた。
領土を守り抜く信念と、日々命が失われる痛みに、ウクライナ国民は引き裂かれている。
 降ってわいたのが有力な支援国アメリカでのトランプ政権の登場だ。バイデン政権から一転、ロシアにすり寄り、「ボス交」の停戦交渉に走り出した。

 20世紀以来の「侵略の否定」は、2つの核超大国に無視され始めた。まるで、帝国主義の19世紀に世界が逆戻りするかのようだ。
 国連総会は今年2月24日、「ロシア軍即時撤退」決議を日本や欧州など93か国の賛成で採択した。だが、米国は反対に回り、その顔色を見るように賛成は23年から、50か国近く減った。
 たとえていえば、自分勝手にいじめを続けるジャイアンAの肩を、ジャイアンBがたたいてやり、それにへつらうスネ夫のような連中が悪行を傍観する。醜悪な図だ。

 しかし、侵略者が罰されなければ、ウクライナ人はたまったものではない。次の犠牲者も出るだろう。あいまいな現状追認の「解決」ではなく、有志連合など正気の皆が団結して、「間違ってるぞ」とジャイアンAをちゃんととっちめるほかに、正義を実現する道はないと私は思う。まず、日本政府の姿勢を厳しく注視したい。 
    JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年3月25日号
 

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2025年03月15日

【リレー時評】沖縄戦から80年「この国」の現実は=金城正洋(JCJ沖縄世話人)

 沖縄は旧暦で各種行事を行う。今年の旧正月は1月29日だった。県内各地の漁港では漁業者(ウミンチュ)たちが航海安全と豊漁、家族の健康を願い、漁船に大漁旗を掲げるのが習わしだ。
 旧正月のころ台湾や中国、香港など中華圏は新年の「春節」。ベトナムは「テト」。韓国、東南アジアも新年に沸く。民族の大移動といわれる春節。沖縄も海外の観光客であふれている。

 カンヒザクラ(緋寒桜ともいう)の淡いピンクの花が青空に映える中、初春の沖縄の風物詩・プロ野球の春季キャンプも真っ盛り。どの球場も県内外からのファンで連日賑わいをみせている。
 「球春」で沸く沖縄。今年は住民を巻き込んだ沖縄戦から80年が経とうとしている。東京大手や各県問わずマスメディアでは80年を振り返る記事が動き出した。不思議なのは沖縄を含め一部に例外はあるものの、そのほとんどが戦争終結を起点とした「戦後80年」モノで埋め尽くされている感があることだ。

 そもそも「戦後」とは何なのか。戦後という前提には「戦前・戦中」という時代があった。それは第二次世界大戦に至る前の15年戦争であり、忘れてはならないこの国の負の歴史である。
 1945年以前にこの国が何をし、自国、他国を含めてどれだけの尊い命が失われたのか。物心ついた80年前の10歳の子は90歳になる。戦争体験の記憶は風化していく。しかし、糸満市摩文仁の「平和の礎」に刻銘された24万人余りの犠牲者の名前は、戦争の歴史を問い続けていくだろう。

 ところがだ。「台湾有事は日本の有事」「南西諸島防衛」「住民避難計画策定」とか先走り、台湾に行って勇ましく「戦う覚悟」までぶち上げて「戦意高揚」に行きつこうとする勢力が台頭。戦後80年の「この国」の現実でもある。
 「戦う覚悟」とは台湾は中国と戦え、台湾の後ろには日米同盟が控えているという意味だろう。他国への干渉は国際法上ご法度だが、台湾と中国の戦争をけしかけるようなモノ言いはもってのほかではないか。
 戦場は東京圏から遠く離れた台湾に近い沖縄諸島。だから沖縄諸島に自衛隊基地を造ったとでも言いたいのかと勘ぐってしまう。沖縄をウクライナやパレスチナのガザ地区などと同様の戦場にしようとでも考えているだろうか。軍需産業への支援だろうか。浮かれている場合ではない。

 この国の保守陣営が息巻く「中国憎しと台湾有事」という点に関し、果たしてアメリカは動くのか。大国アメリカと大国中国が真正面からぶつかることはあり得ない。それは第三次世界大戦への出口の見えない終わりの始まりであることを、米中とも熟知しているはずだからだ。
 戦後80年、さび付いたこの国の指導者たちに対抗するのは、戦争のない平和と自由と平等を諦めない気構えだ。
        JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年2月25日号
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2025年01月30日

【リレー時評】=SNSでの情報氾濫に読書で対抗=山口 昭男(JCJ代表委員)

 今年は敗戦80年、昭和100年。いま世界各地では戦火が絶えない。歴史は繰り返すのか。
 大佛次郎は『敗戦日記』の「昭和20年正月13日」に「五時のニュウス。マニラの戦争について一語も触れず、……戦果のあった時だけ勝った勝ったでは戦争をしているとは云えない話だ」と書き、2月12日には「政治は皆無の如くに見える」と書いている。
 井上ひさしは「反核運動を指導したイギリスの歴史家が『抗議せよ、そして生き延びよ』と言った。ぼくはこれに一つ加えた『記憶せよ、抗議せよ、そして生き延びよ』を信条にしている」と書く(『朝日新聞』2000年8月6日付)。

 またSNS政治元年といわれた昨年末、戦後新聞界を牽引してきた渡辺恒雄読売新聞主筆が亡くなった。100年前、80年前は、いかに情報を制限するかが権力の手法であった。現在はどうだろう。昨年の東京都知事選挙、衆議院議員選挙、米大統領選挙で見られたのは、SNSによる情報の氾濫、影響力の強さであった。SNSによって多くの人がつながり、情報を共有し、誰もが深く調べて判断している。しかし下村健一氏がいうように「今、私達の社会は情報を《真か偽か》ではなく《快か不快か》で選ぶ」ようになっている(『ジャーナリスト』801号)。

 それでは真偽の区別はどうすればできるのか。受け取る側に、その信憑性を確認するリテラシーが求められるということはしばしば指摘される通りである。その能力を育てるのは、人類の歴史遺産としての知識ではないか。それを獲得する手段が「本」だと思う。
 しかし紙の本の市場は年々急速に縮小している。全国の書店数は、出版科学研究所によると、2003年に20880店あった書店が、2023年には10918店になっているという。毎年1000店が閉店していることになる。

 文化庁の調査によると、16歳以上で1カ月に1冊も本を読まない人は62.6%にのぼり、これが50%を超えたのは調査開始以来初めてという。本を読まなくなっていることは、長い文章を読むことができなくなっていることに通じ、それは考えることの減退に通じるのではないだろうか。

 本を読まなくなった理由として「情報機器に時間がとられる」が43.6%を占め、その影響力の強さがうかがえる。
 しかし、アメリカでは紙の本の売れ行きが伸びているといい、アイスランドでは人々が1カ月に平均2.4冊の本を読むという。
 『理想なき出版』の著者アンドレ・シフレンは次のように語っている。「書籍とその思想にのしかかる脅威は、職業としての出版のみが直面する問題ではない。私たちの社会そのものに関わる危機なのだ。」

 本はもはや絶滅危惧種だと言われる今日、もう一度本を披き、歴史に学んではどうだろうか。
           JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年1月25日号
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2025年01月10日

【リレー時評】PFAS汚染 放置してはならない=中村 梧郎

  1967年7月29日、ベトナム戦争に出撃した米空母フォレスタルがトンキン湾で炎に包まれた。甲板上には北爆に向かう艦載機が燃料と爆弾を満載して待機していた。その時なぜかF4ファントムがロケット弾を誤射。それは友軍機に命中、連鎖反応のように爆弾も炸裂した。流れ出た燃料は20機を包み甲板は火の海と化した。

 US・NAVAL研究所によれば、この事故でパイロットを含む134人が焼死、数百の水兵が重傷を負っている。消防隊員は全滅。慌てた兵らが火炎めがけて放水した結果、燃える燃料は水に浮いて甲板穴から船内に流入、多数が焼死した。鎮火に効果的だったのは泡消火剤であった。

 これを教訓として米軍は消防対策を改変、「全軍が泡消火剤を完備せよ」との指令を出した。こうして、米国内だけでなく世界に展開する米軍基地の全てでPFAS泡消火剤を使用することとなった。人体影響はまだ不明なときだった。
 PFASの撥水性が好都合と、デュポンは焦付き防止フライパンを発売、ハンバーガーの包装紙などにも使われた。
 PFAS はフッ素の有機化合物で1万余の種類がある。そのうちで特にPFOAとPFOSに発がん性が懸念されるとWHO が先年発表した。
 米国は厳しい対応を始めた。飲み水や地下水に対してPFOAとPFOSそれぞれ4㌨c/㎖という規制値を定めた。規制だから判ればすぐ措置しなければならない。ところが日本は合計50㌨cを上限目標値とした。目標にすぎないから発覚しても放置できる。

 この11月末、政府は全国の水道水3755カ所の調査結果を公表した。各紙とも概ね「目標値を超えていない」と書き、安全宣言とおぼしき報道となった。だが、アメリカの規制値を当てはめると多くの地点で遥かに超えているのである。
 岡山県吉備中央町では浄水場で目標値の16倍の汚染が4年前に見つかった。それが町民には知らされず、皆が水道水を飲み続けるという事態となった。取水源を変えたため、事態はおさまったが、その間の集団汚染に国は責任を負わない。

 危険はがんだけではない。環境中で分解せず、人体に蓄積する。ダイオキシン同様「永遠の化学物質」と呼ばれる。懸念は胎児への影響や脂質異常、免疫力低下にもある(NAS 2022)。
 重大なのは沖縄や本土の米軍基地からのPFAS漏洩が続いている点である。日米地位協定があって基地に立ち入れないからと、政府は調査しようとさえしない。横田基地からの滲出で、東京都の地下水はほとんど汚染されてしまった。各務原など自衛隊基地からの汚染も起きている。加えて半導体工場、産廃処理場からの漏出もある。
 国民の命が脅かされる問題である。規制は急がれなければならない。
      JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年12月25日号
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2024年12月13日

【リレー時評】「リベラルな国際秩序」理念の実質化=吉原 功(JCJ代表委員)

 自民党・立憲民主党の党首選に続く衆院議員選挙、さらには米国の大統領選挙でこの夏から秋まで日本メディアは選挙報道に明け暮れた。衆議院選挙では自公政権が過半数割れ、米大統領戦ではトランプ元大統領が大方の予想に反して圧倒的勝利を収めて帰り咲いた。

 与党の過半数割れで日本の国会は従来のように閣議決定ですべて決まることはなくなるとの期待の声が高い。だが懸念もある。野党が全体的に保守側にシフトしており、主要野党の殆どが日米同盟を日本外交の基軸だと表明していることだ。メディアもそれが当然という風情で、安全保障問題、軍拡問題を争点として提起しなかった。

 米大統領戦では両候補の非難合戦ばかりが目についた。難民問題や関税問題、「もしトラ」などに注目が集まったが重要問題が素通りされたような選挙戦であり報道であったように思う。
 世界的に焦眉の問題はウクライナ戦争とガザからレバノンへと戦禍が拡大する中東問題だろう。この両者に米国は深く関わっているが大統領戦では、イスラエル支援を止めるよう求める若者たちの運動が拡がったものの、両陣営で政策を闘わせることはなかった模様だ。

 そのため日本のメディアでも米国との関連はほとんど報道していない。見落としがあるかも知れないが唯一の例外が11月1日放送のBS-TBS「報道1930」である。
 同番組は、米国がイススラエルに、この1年間で178億ドル(2.7億円超)の軍事支援をし、殺傷能力の高い武器の提供を続けてきたこと、それらの武器群が、多数の子ども、女性、市民を殺傷していることなどを明らかにしていた。和平努力の姿勢を見せながらジェノサイドの手助けを続けていることを、同番組としてもめずらしく明確に示したのである。
 大統領選での大混乱、ジェノサイドを支援する米国、フェイクを厭わない大統領の2度目の選出。日本はこのような国と同盟を結びさらにそれを深化しようとしている。

 ガザでのイスラエルの所業はかつて欧米諸国がアジア・アフリカ・ラテンアメリカで行ったことと同類であり、その所業を支援・支持する諸国も同じ国々である。これらの国々は未だにに植民地主義を克服してないことを暴露している。
「リベラルな国際秩序」は第二次世界大戦後、米国を盟主とし西側諸国が主導する民主主義・法治主義・人道主義などを旨とした国際的秩序を指す概念とされる。

 国際法に違反してパレスチナの地に、イスラエルの国家建設を強行したのも、建国後のイスラエルが国際法違反を繰り返していることを黙認してきたのもこれらの国々である。

 日本は、軍事同盟の強化に走るのではなく「リベラルな国際秩序」が掲げた理念を実質化する新たな国際秩序の確立に努力・貢献すべきではないろうか
      JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年11月25日号
 


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2024年10月29日

【リレー時評】 罪に問われない「証拠捏造」=白垣詔男(代表委員)

 袴田巌さんが58年ぶりに「自由の身」になった。
 これまで、彼を「不自由な境遇」に追いやっていたのは「司法」のほかマスコミにも大きな責任がある。深く反省しなければならない。
 
 私も記者時代、警察・司法を担当したことがあるので、袴田さんの逮捕、死刑判決の過程を取材していたら同じ過ちをしていただろう。「犯罪情報」は、捜査当局が一手に握っており、自ら捜査しない記者は、その情報を信じないわけにはいかない。その際、その捜査が誤りかどうかを疑うことは、なかなかできないものだ。
 しかも、かつては、「容疑者」段階では呼び捨てで、「容疑者は真犯人」という世論形成に大きな役割を果たし、それが、裁判段階で裁判官の心証に与える影響も多かれ少なかれあっただろう。

 「袴田事件」は、まさにそうした「愚」の連続で、無罪の人間に対する死刑判決から長期収監につながったのだと確信している。
 以上のような点を、今回、袴田さんが無罪確定した段階で、新聞各社は「反省と謝罪の弁」を大きく掲載した。西日本新聞は、「袴田事件」の記事はすべて共同通信からの配信を使っていた(一部は提携紙の中日新聞の記事を使ったか)ので、共同通信の「お詫び・反省」を前書き付きで目立つように載せた。

 ところで、今回、「袴田事件」の静岡地裁判決(国井恒志=こうし=裁判長)は検察の「証拠捏造」を認めた。検察に対する「誤認捜査」を痛烈に批判した。
 こうした場合、証拠を捏造した検察の行為は「犯罪」ではないのか。「袴田さん無罪」の判決理由の大きな柱として「証拠捏造」報道を知ったとき、私はまず、そのことを考えた。捜査当局以外の人が「証拠隠滅」した場合は「証拠隠滅等罪」が適用されて逮捕される。これは検察当局には適用されないのだろうか。

 初の女性検事総長になった畝本直美さんは、発表された談話で「『捏造』断定には大きな疑念と不満がある」と。「袴田事件捜査」について、今後、改めて検証するとも表明した。この談話は「何を今ごろ検証するのか」と批判したくなる。そのうえで、再審決定から初公判までの長い時間を考え、なぜ司法関係の時間は、こんなに長く掛かるのかという疑問も、いつものように抱いた。もっと迅速に裁判が進まないものだろうか。

 今回の「袴田裁判」に関連して、司法改革が叫ばれているが、それがいつ動き出すのか、見通しはない。国民の疑念が多い司法が「国民本位」に改革されることを強く望む。それを「聖域」にしてはならない。
        JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年10月25日号
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2024年10月08日

【リレー時評】「君死に」の響き合い 改憲阻む歩み=藤森 研

 自民党総裁選の9月。乱立した候補は、口々に「憲法改正」を言う。保守票が目当ての下心が見えて、浅ましい。
 今から120年前の1904年9月。雑誌『明星』に、有名な反戦詩が載った。
〈清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき〉と清新に歌ってデビューした若手歌人・与謝野晶子が、唐突に〈君死にたまふこと勿(なか)れ〉と反戦をうたいあげ、世を驚かせた。日露戦争の真っ最中である。

 自宅への投石や、文壇の重鎮の批判にも、晶子は毅然とこの作品を護った。詩は、戦地にある弟を思う姉の真情だが、同時に、尊敬してやまないロシアの文豪トルストイへの「返し歌」だった。
 トルストイは日露戦争に対し烈々たる反戦論文を書いた。さすがにロシア国内では出版できず、1904年6月、英紙『タイムズ』に発表した。
【「汝、殺すなかれ」の戒めに背き、人と人が野獣のように虐殺し合うとは、そも何事か。この戦争は、宮殿に安居し栄誉と利益を求める野心家らが、ロシアと日本の人民を犠牲にしているのだ】
「君死に」の第三連にはこうある。〈すめらみことは戦ひに おほみづからは出でまさね かたみに人の血を流し 獣(けもの)の道に死ねよとは〉

 天皇自らは戦場に行かれない。戦争は安全な場所にいる指導者が起こし、獣のように殺し合いをさせられるのは両国の人民だ――。庶民の立場からの反戦の理が、トルストイと晶子で見事に響き合っている。
 与謝野家が購読していた東京朝日新聞に、「トルストイ伯 日露戦争論」が訳出連載されたのは、04年8月2日から20日までだった。「君死に」が載る『明星』の締め切りは8月20日(一説に22日)。他にも符合する点があり、晶子はトルストイの反戦論文を読んで、「君死に」を書いたと推認できる。新聞にそう書くと、何人かの晶子研究者が賛同してくれた。
 タイムズのトルストイ反戦論文は当時、世界に反響を呼んでいた。米、仏、英の作家や学者が同感を表明。晶子の詩も、世界的反響の一つに位置づけられる。ただトルストイと晶子の場合は、勇敢にも戦争当事国内から挙げた反戦の声だった。

「戦争は悪だ」というその思想は、戦争違法化論の源流となる。それは連盟規約、不戦条約、国連憲章へと発展し、日本の憲法9条を生んだ。
いま、イスラエルによるガザ市民の虐殺に、米国の学生運動をはじめ世界で抗議の輪が広がっている。翻って、日本の動きは実に乏しい。
 保守的な日本の気分に悪乗りし、総裁選後の新首相は、軽躁に明文改憲を企てるかもしれない。
 だが、軍拡を進める政府が今でも「専守防衛の枠内で」と言わざるを得ないのは、多少傷ついたとはいえ平和憲法がなお厳然と生きているからだ。改憲は、平和へ向かう世界の歩みに明らかに逆行する。日本の市民が、止めなければならない。
   JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年9月25日号
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2024年08月30日

【リレー時評】どこから生まれる「台湾有事」という思考=金城 正洋(JCJ沖縄世話人)

 「なんだかな〜」というため息しか出てこないのはなぜだろう。この言葉はTBS「報道特集」特任キャスターの金平茂紀さんが取材で沖縄に来るたび、泡盛を吞みながら語り合う中で必ずこぼす言葉だ。

 取材をして報じても。報じても報じても、底が抜けたこの国の歪みはまるでブラックホール化し、常識を詭弁と権力で踏みつぶす。そして暗闇へ放り投げて都合のいい歴史へと変えていく。いったい何がしたいのかさえ説明しない。だから「なんだかな〜」というため息しか、わたしにも出てこないのはどうしたことだろう。

 「台湾有事」という怪しげな造語が跋扈する。中華人民共和国(中国)が中華民国(台湾)に武力介入するはずだから、与那国島、石垣島、宮古島、沖縄本島の自衛隊基地にミサイル攻撃のための装備を整えておきましょうね、と。

 「台湾有事」なるものが起きたとして、中国と日本が果たして戦争状態に突入するというのだろうか。どちらも経済連携の互恵関係は切っても切り離せないほどの深度に達しているという現実からしても、どこから「台湾有事」は「即、日本の有事」という、極めて狭い思考が生まれてくるのか、不思議でならない。
 コロナ禍を経た世界中の人々が、コロナ禍以前のように国境を越えて観光で交流を取り戻している。沖縄だって例外ではない。那覇空港には中国や韓国、台湾、東南アジア諸国からの便が離発着し、国際通りは外国客であふれている。
 スーパーでは中国産の食料品が大半を占め、市民の食卓を潤す。と同時にこの国の食料自給率の低さを、いやが上でも知らされるのだ。
 こういった現実社会を直視せずに、「中国が嫌い」だから「台湾有事は日本の有事」だと短絡的思考に陥るのはどうだろうかと考える。

 沖縄から見ていると、軍事力増強と排外主義的な風潮が台頭し、この国は戦前、いやそれ以前の「鎖国状態」に還ったのかと、ふと思わずにはいられない。
「なんだかな〜」。
 ところがだ、自衛隊は駐屯地(基地)を造った石垣島で、こともあろうに公道で「行軍」を実施した。そして石垣島と宮古島の中間に位置する駐屯地のない多良間島でも公道を使った「行軍」を行った。
 与那国島に基地を造る当初は「沿岸警備監視」が名目だった。それがミサイル配備基地になり、今後は与那国空港滑走路の延長、島の南中心部を大幅に掘削して軍港とする計画まで出ている。すべて「有事」のための指定空港・港湾とするためのものである。

 駐日米大使の与那国島視察、米軍と自衛隊の机上訓練、石垣市と与那国町の首長による住民避難計画策定要請などは、まさに戦前ではないか。
 これは沖縄だけの問題なのか。戦争になればすべてが犠牲者になるのですよ。
       JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年8月25日号

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2024年08月10日

【リレー時評】「つばさの党」と「言論の自由」=山口 昭男(JCJ代表委員)

 4月の衆院東京15区補欠選挙で、「つばさの党」が他陣営の選挙カーを追いかけるなどしたとして、6月28日に代表ら3人が公職選挙法違反容疑で再々逮捕された。選挙期間中、黒川代表はテレビのインタビューで「言論の自由」と語っていたが、こうした場面でこの言葉が聞かれるとは思ってもみなかった。

 いうまでもなく「言論の自由」は「知る権利」とともに民主主義社会の根幹をなす権利であり、日本国憲法第21条で保障されている。遡って1889年発布の明治憲法でも第29条において保障されていたが、現実にはすべての出版物は出版条例によって検閲されていた。明治以降の言論活動はまさに「言論・表現の自由」を獲得するための戦いの歴史だったといっても過言ではない。とりわけ日中戦争、太平洋戦争中の言論圧殺は著しく、1933年の桐生悠々による論説「関東防空大演習を嗤う」事件、1935年の美濃部達吉による「天皇機関説」事件など事例には事欠かない。

 評論家加藤周一は、1936年2・26事件の直後に、矢内原忠雄教授の講義を聴いて、「そのとき私たちは今ここで日本の最後の自由主義者の遺言を聞いているのだということを、はっきりと感じた」(『羊の歌』岩波新書)と語っている。
「言論の死」という言葉は、私の編集者生活のなかで何回となく聞かされた言葉である。作家城山三郎は「言論・表現の自由は、自由社会の根本で、いわば地下茎のようなもの。この地下茎をダメにすれば芽は出ず、枯れてしまいます」(『表現の自由と出版規制』出版メディアパル)と語っている。

 戦後の現憲法下でも、「言論の自由」を巡る戦いは数多くみられる。たとえば1961年の「風流夢譚事件」とそれに続く「嶋中事件」、また1987年の「朝日新聞阪神支局襲撃事件」は衝撃的だった。「言論の自由」はいまだ獲得途上の権利と言ってよい。
 その中で想定外ともいえる「つばさの党」問題が起きると、私たちは改めてSNS全盛時代の「言論・表現の自由」問題を考えざるを得なくなる。名誉棄損を口実に「言論の自由」を束縛する可能性も大きく、SNS書き込みの炎上による、また弾圧が続くことによる言論の萎縮、自己規制、これらが同時進行で起こりかねない。

 50年前私が新米編集者だったころ教えられたのは「どうなるかではなく、どうするかを考えろ」だった。そのためにはいかに多くの情報を得るかが必須だった。いまの人々は、端末に溢れる情報に翻弄されていて、まるで過剰情報社会を当てもなくさまよっているようだ。
世の中のAI化が進むにつれ、SNSを巡る新たな犯罪、悪用、情報遺漏などがますます増大するであろう。ここをどう突破するかは極めて難しい問題だが、いまこそ「情報リテラシー」教育が必要なことは間違いない。
     JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年7月25日号
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2024年07月11日

【リレー時評】「戦死手当」まで検討⁉ 経済的徴兵だ=中村 梧郎(JCJ代表委員)

 北富士演習場で、手榴弾訓練中の陸自隊員が5月末に被弾死した。岐阜の日野射撃場では昨年、3人を殺傷する兵が出た。演習は戦争ごっこ≠ナはない、敵を殺す能力を新兵に叩き込む場であり、危険と紙一重である。自衛隊のポスターはカッコ良さを演出し、若者らのあこがれを煽る。でも戦場は甘くはない。敵と遭遇したら殺すか殺されるかの世界である。

 銃弾も爆弾も大量殺害の手段である。だから軍はそれを扱う殺人のプロを育てる。戦艦も戦車も殺人装置。その最上位にある戦闘攻撃機の輸出を岸田内閣は決めた。明白な憲法違反である。

 ウクライナやガザではクラスター爆弾が使われている。50年前に終わったベトナム戦争で登場したこの爆弾(当時はボール爆弾)は何なのか、という解説が日本のメディアの多くで誤っている。
 「カプセルから野球ボール大の子爆弾数百が飛散し広域を破壊する。その3割が不発で地雷と化すから非人道的」という説明だ。だが地雷を凌ぐ残虐兵器なのだ。子爆弾は無数の弾丸を内包、爆発で放射状に飛び散る。ビルは破壊できないが、人間は全身に弾を浴びて即死、遠くでも何発かは貫通する。つまり殺害専門の「対人殺傷爆弾」なのだ。非人道性はそこにある(もっとも人道的兵器≠ヘありえないが…)。  

 自衛隊への応募者が減った。一昨年6月、野田聖子・内閣府大臣は日経日曜サロンで「少子化は自衛官の減少をもろに受ける。国の安全保障、国防にも影響する」と発言、少子化対策を急ぐ狙いが実は将来の自衛官の確保にあることを漏らした。

 機密保護法、経済安保法も揃った。だが権力を監視すべき新聞TVはなぜか糾弾を避ける。「防衛力の抜本的強化に関する有識者会議」には読売新聞グループ本社の山口寿一社長が名を連ねている。今年、日本のジャーナリズムの自由度は世界70位へと順位を下げた。先進国中最下位。政権広報機関への転落、という評価なのだろう。

 徴兵制をやめた米国では給与を増額、低賃金労働者を誘ってイラクやアフガンに送る兵とした。日本では兵役適齢の市民学生の情報が自治体から自衛隊に渡されている。北海道では、子ども食堂に隊員募集パンフを配布したことも発覚した。貧困家庭のはず、という勧誘である(『週刊金曜日』5月24日号)。
 徴兵制がなくとも貧しさがあれば兵は募れる。防衛省は奨学制度の拡大も図る。学生に月5万4千円を貸与し、卒業後に自衛官となれば返還免除。サイバー分野の人材なら幕僚長並みの給与支給が可能だという(「赤旗」1月20日)。その上なんと「戦争(戦死)手当」の導入を検討している。安心して死んでくれ、というわけだ。

 戦争遂行の具体的準備が進む。事あれば米・日統合軍司令部のもと、自衛隊が最前線に出る。
 日本はまさしく戦争をする国になりつつあるようだ。
 JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年6月25日号
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2024年06月04日

【リレー時評】ガザ・デモ対応 米民主主義の内実は=𠮷原 功

 4月末、日本の新聞・テレビは、米報道に基づいて、イスラエルが「恒久停戦提案」と大きく報じた。パレスチナ・ガザ地区でのハマスとの「戦闘」についてである。米国などの圧力を受け、これまで一貫して応じてこなかった強硬姿勢を譲歩したというのである。「ハマスはきわめて寛大な提案を受け取った。速やかな受け入れを」とブリンケン米国務長官。

 ガザへの激しい攻撃を続け多数の死者・犠牲者をだしながらの提案である。報道をよく読むと「恒久的停戦」とは「ガザの持続的な平穏」と表現されており、「戦闘終結が含まれる停戦は受け入れない」というのがイスラエル側の姿勢である。その後、仲裁国の修正がありハマス側は
 その受入れを表明、イスラエルは「要求からかけ離れている」と避難民あふれる南部ラファ地域への攻撃を継続している。
昨年10月、ハマスのイスラエル攻撃から始まった「戦争」であるが、イスラエル側の無差別攻撃は度を越しており、南アフリカが国際司法裁判所に提訴したように、まさに「ジェノサイド」そのものだ。当初、イスラエルを全面支持し武器供与などの支援をしていた米欧諸国は国内外の強い批判を受けて、停戦を説くようになってきてはいる。だが、軍事的・政治的なイスラエル支援は不変である。
 こうした状況を受け、コロンビア大学はじめ米国の大学で反戦運動が4月中頃から始まった。英・仏・加、豪など世界にも急速に拡大している。米学生たちはイスラエル関連企業への投資の停止、イスラエル支援組織・個人からの寄付拒否などを大学側に求めている。そのことによって「ジェノサイド」を止めさせるということらしい。

 学生の行動に対し「反ユダヤ主義」だとする者たちが乱入したり大学執行部が警察を導入したりで衝突や負傷者や逮捕者がでている。5月3日には、米30以上の大学で1600人超の若者が逮捕された。バイデン大統領は「反ユダヤ主義・違法行為を認めない」と言い、トランプ元大統領は「素晴らしい」と大学での強制排除を称賛している。
コロンビア大学の学長は議会の公聴会に召喚され「反ユダヤ主義の運動を学内で許している」と尋問された。学生たちの行動に共感を示す教員たちの解職やバッシングも各地でおこっているという。

 米国は第二次世界大戦後、自由と民主主義の国として世界に君臨してきた。上記の事例はその内実を赤裸々に示していると言わざるをえない。その米国にピッタリと寄り添ってきたのが日本の自民党政府である。4月初頭訪米した岸田首相は、日本は「世界のリーダーである米国のグローバル・パートナー」と、さらに踏み込んだ。
 「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」日本国憲法前文を締めくくる言葉だ。この日本の理念、世界の宝を葬ろうともしている。日本のメディアよ、戦争直後の決意を思い出せ! 
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2024年04月30日

【リレー時評】原発の新増設、能登地震あっても進めるか=白垣 詔男(JCJ代表委員)

 今年は元日に能登地震が起こり、「地震列島・日本」の恐ろしさを再確認した。発生時には「地元の志賀原発が休止中だったので、放射能汚染はコトなきを得た」と報道された。しかし、「油漏れがあった」と報じられ、「大したことがなかった」と胸をなでおろしたが、その後、「漏れた油は2万リットル以上」と分かった。「油漏れ」という軽い表現では想像できない「大きな事故」で海の汚染がひどかったのではと思ったが、続報がなかった。

 万一、志賀原発で事故があった場合、能登級の地震だったら、「東北」の二の舞になっていたと恐怖感に襲われた。原発事故があった場合、避難のための道路が寸断されて住民は逃げられず汚染されるしかないという「恐怖」を覚えた。
 能登地震は、原発事故がなく放射能汚染にさらされなかったので、「故郷を失う」「災害後は住んでいた場所に帰れない」ことはなく、地震で被害を受けた地域は、住宅が再建されれば、「元の生活」に戻れる。そこが「東北」と大違いだ。
 東北は、震災後13年たった今年3月11日現在でも「帰還困難地域」がなくならず、依然として「故郷に帰れない」住民も多数いるほか、帰宅をあきらめて「故郷を捨てざるを得ない人々」も相当数いて、心が痛くなる。
 東北と能登の2つの大地震を比較するだけで、原発がいかに危険なものか、「地震後の状況」をみれば容易に分かる。

 しかし、それでも岸田文雄政権は、「原発新増設」「稼働期間の大幅延長」を打ち出したままだ。狂気の沙汰と言うしかない。国民や原発周辺の住民の立場から考えていないことの表れだ。電力会社など原発を必要としている企業側からの発想しかないのは、そうした企業側からの「献金」を続けてもらうためとしか考えられない。「裏金問題」が指弾されている自民党だけに、国民全体のことを考えない姿勢は明らかだ。こうした自民党には退場してもらうほかはない。

 また、裁判でも、電力会社の責任を認めない判決は多いが、「監督責任がある国」に対しても免責判決が大半なのは、裁判官が国に忖度しているとしか思えない。3月7日に大分地裁であった「伊方原発差し止め訴訟」で、武智舞子裁判長は住民側の主張を認めず、運営する四国電力の言い分を受け入れた。3月29日の福井地裁の「美浜・高浜原発差し止め訴訟」でも、加藤靖裁判長が住民の仮処分申請を認めなかった。
 自らの出世を第一に考え、上(人事権を持っている政府)ばかりを見ている「ヒラメ裁判官」の典型と言えよう。
 日本のように、どこででも大地震が起こる恐れがある国で、原発を動かそうというのは、国民の命を「人質」にしていると言ってもいいだろう。
 「原発がなくても電気は足りている、だから地震国家・日本には原発は要らない」と考えるのが良識ではないのだろうか。
  JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年4月25日号
posted by JCJ at 02:00 | TrackBack(0) | <リレー時評> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする