2020年05月29日

政府批判と多様性消えた コロナ危機下で変わる報道 戦争心理が人権を駆逐 内側からジャーナリズム縛る=小笠原みどり

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 カナダ政府が新型コロナウイルス対策として、3月16日に外国からの旅行者の入国を禁止し、トゥルードー首相が人々に「家にいるように」と呼び掛けてからすでに9週間、私は「緊急事態」下で暮らしている。 
  緊急事態は州知事によって宣言され、私が暮らす人口最多のオンタリオ州では食料品店と薬局以外はほぼすべての事業所が閉鎖、学校は休校、5人以上の集まりが罰則付きで禁じられるなど、日本より厳しい制限が私生活の細部にまで課されている。
 カナダのコロナ報道は中国で感染が広がった1月に始まっていたが、イタリアで死者が急増すると明らかに危機感が強まり、国境閉鎖とともに報道はコロナ一色に染まった。初めは人権に配慮した多様な感染対策を紹介していたが、国境閉鎖とともに読者・視聴者に対して「手を洗え」「人から2メートル離れろ」と命令調になり、さらには「コロナウイルスとの闘い」を第二次世界大戦になぞらえる戦争用語を連発するようになった。その変化を報告する。
当初は差別に警鐘
 1〜2月、メディアは至って冷静だった。中国・武漢の封鎖や、横浜港のダイアモンド・プリンセス号の隔離で帰国できなくなったカナダ住民に、政府は帰国便を手配し、メディアは戻ってきた人たちの安堵の声を伝えた。帰国者たちは軍の施設などに14日間隔離されたが、公共放送C B Cラジオはこの隔離が本当に必要なのか、隔離が及ぼす精神的・身体的な悪影響はないのかを公衆衛生の専門家らに取材。隔離よりも治療体制の拡充に力を入れた方が有効である、という見方も報じた。
 やはり中国から始まった2003年のS A R S流行時に、トロントの中華街は閉店が相次ぎ、中国出身者への差別が強まったことから、感染症がもたらす社会的な分断にも警鐘を鳴らした。カナダのメディアには日本に比べて、日頃からよく大学の研究者が登場するが、「伝染病には生物学的側面だけではなく、政治的、経済的、社会的な影響を考えて対処しなければ、より多くの人を傷つける」と語った感染学者の言葉が、今では重く響く。
鎖国ドミノで一変
 個人の自由と社会の多様性を尊重する姿勢は、新型コロナウイルスが欧米内部を直撃するとともにメディアから失われた。米国のトランプ大統領が欧州からの入国者の拒否を発表した際、C B Cはまだ「こんな独断的な手法は、国際協調が必要なパンデミック対策に有効ではない」という専門家の批判を報じていた。が、自国政府が鎖国ドミノに加わるや、政府の対策に疑問をさしはさむ発言は消えてしまった。
 全国紙グローブ・アンド・メールは社説で「ウィルスを止めるためにいま行動するか、後で悔やむか」(3月16日)、「先回りしてウィルスを殺せ」(17日)、「いい市民になろう、距離を保って」(18日)、「ウイルスとの戦争の準備はいいか?」(19日)と連日、読者を総動員体制に組み込むことに精を出した。同紙のコラムニストが「現在のパンデミックをある種の戦争として考えることには、奇妙な心地よさがある。それは私たちの多くがすでに知っていて、よく理解できる概念だからだ。戦争なら私たちは前にしたことあり、何を乗り越えなければいけないのか思いつく」(19日)と書いた時には目を疑った。
実情を覆い隠した
 医療関係者もスーパー従業員もひとまとめに「前線要員」と呼ぶなど、粗雑な戦争の比喩は広がるばかりだ。戦争の心理が、コロナ対策の実像を覆い隠している。カナダのコロナによる死者の約8割が介護療養施設の高齢者と職員だという事実は、明らかに福祉制度の失敗を示し、カナダ史上最悪の連続銃撃事件(22人殺害)は緊急事態下で発生したというのに、原因に深く切り込んだ報道はない。戦争心理がジャーナリズムを内側から縛ることを目の当たりにしている。
小笠原みどり(ジャーナリスト、社会学者)
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年5月25日号

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2020年05月18日

コロナ感染拡大 医療崩壊は「人災」 病床削減や病院統廃合 対策では後進国か=杉山正隆

  新型コロナウイルスの感染拡大に備える改正特別措置法(新型コロナ特措法)に基づき福岡など7都府県に緊急事態宣言が4月7日発出された。商業施設が休業するなど生活への影響が既に出ている一方、安倍首相は憲法改正への議論が進むよう期待感をにじませるなど、危険な動きが見え隠れする。
 同宣言は8日から5月6日までの約1カ月間だが延長される可能性が高い。臨時医療施設のための土地・建物の使用が所有者の同意無しに出来るなど住民の私権の制限もできる。感染爆発等には効果が期待される一方、その実効性より心理的な悪影響が大きく、中小企業等の多くの資金繰りが困難になりつつある。制度的な保障策を政府は打ち出す必要があり一部は実行もされているが、タイムラグが大きく、必要な資金が十分に供給されるか否か疑いがある。
 今回、感染拡大が続く「新型コロナウイルス」(SARS-CoV-2)は、SARS(重症急性呼吸器症候群)、MERS(中東呼吸器症候群)の呼吸器に重篤な症状をもたらす2種類のほかに、「風邪」として知られる4つの計6種類がある。人類に馴染みの深いウイルスだ。今回の感染症(COVID-19)は80%ほどは軽度で推移する「軽症者が多い」特徴がある一方、20%ほどが増悪し2〜3%ほどが非常に重篤化する。甘く見ると怖い感染症でもある。
 自分が感染したと気付かないまま治癒する無症状感染者が多く、想定されている「新型インフルエンザ」に比べると「コントロールできない感染症ではない」との見方も強い。ワクチンなど根本的な治療法が開発されなければ、半年ほどで一旦収まるとしても強弱を繰り返し、二、三年は流行の可能性が指摘されている。ただ、「それでも、コロナはありふれたウイルス。怖がりすぎるのは間違っている」とも。
 そもそも新たな感染症が予想されるとして対策を求める声が医療関係者から常々上がっていたのに、安倍首相は昨年10月、「病床の削減」をあらためて指示するなど入院病床を減らし続けていた。公立・公的病院の統廃合も強力に進め、保健所数は半減、医師・看護師数も抑制を続けていた。これらは全てほぼ一貫して自民党政権の手によるものだ。つまり、今回の「医療崩壊」は自民党政権による「人災」なのだ。
  閣僚に専門家集団を揃える台湾はじめ、韓国、シンガポール、欧米などはあっという間に保障や援助策を策定し実行に移した。日本は後手後手に終始したうえ、弱い人から犠牲者が出始める「アベノ・コロナ恐慌」が庶民を襲っている。その政策を監視するメディアの役割は予想以上に大きい。
 「新型コロナはしょせん、新型の風邪に過ぎない」(感染症専門家)との声もあるが、強毒性の鳥インフルエンザ流行の懸念が強まっている中、日本での混乱ぶりに各国メディアから注目が集まっている。死者が少ないことへの関心が集まる一方、医師の少なさや病床削減政策を紹介して「日本は感染症対策の後進国だったのでは」などと驚く論調が少なくない。
 インフルエンザの例を見ても、開発が期待されるワクチンも万能では無い可能性が高い。オリンピックを始め介護労働者なども来日外国人に頼る経済政策等に大きく舵を取った日本で、感染症を水際で完全で止めることは期待できない。
 当面、無症状者に2週間限定の「避難所」を各地に作る必要があるが、しっかりとした予算を取ったうえで、医療抑制政策を抜本的に見直さなければ感染症との闘いには勝てない。医師や看護師などを増員し、病床を増やし、公的公立病院の機能を強化する必要がある。憲法25条(生存権)を活かし、国民の健康や生命を守る政策を打ち出すべきなのだ。
杉山正隆
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年4月25日号

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2020年05月06日

「常識・良識」を信じる報道を 緊急事態宣言 強権に頼る必要なし=徳山喜雄

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 新型コロナウイルスの拡大感染を受け、政府は7日、特別措置法に基づく緊急事態を東京、大阪など7都府県に宣言。さらに16日には対象地域を全国に拡大した。実施期間は5月6日まで。
 安倍晋三首相は感染者の急増、医療崩壊への危機的な状況を理由にあげた。知事への権限賦与に伴い、憲法が保障する自由や権利、たとえば教育を受ける権利や営業の自由、移動の自由などの私権を制限することができ、国家による公衆衛生と個人の人権がぶつかりあう事態となった。
小池発言で混乱
 宣言によって、強制的に外出が禁止され、公共交通機関もストップするという誤解が生じ、デマも飛び交った。この無用な混乱の大きなもととなったのが、3月下旬の小池百合子・東京都知事の発言だ。
 記者会見で「ロックダウン(都市封鎖)など強力な措置を取らざるを得ない状況がでてくる」と強調し、聞き慣れない横文字の「ロックダウン」という言葉を連発。「緊急事態宣言」イコール「都市封鎖」という見方が広まり、スーパーに買い物客が殺到した。しかし、日本の法律では、欧米のような強制力を伴う都市封鎖はそもそもできない。
  小池知事が高みから都民や国民を見下ろすように記者会見し、「ロックダウン」の恐怖をあおった姿勢は政治家としていかがなものか。政治ショーともとれる独断的な会見が混乱を招いた。
 報道は小池氏の発言を垂れ流すだけでなく、異を唱えるべきであった。医療従事者やスーパー従業員ら国民の支援にあたる人たちをねぎらい、同じ目線で語りかけることが、いま求められている政治家の姿ではないか。
「正しさ」の衝突
 確かに感染拡大を防ぐためにイベント中止や自宅待機を国民に求めるのは間違っていない。この間、多くの医療関係者らがエビデンスに基づいて訴えた。かたや経済学者らは自粛が長引けば経済が悪化し、場合によれば死者がでるとも指摘した。いずれも正しい見解であろう。異なる「正しさ」の衝突のなかで、いかに民主主義を守る「解」を導きだすのか。
 世界的なベストセラーとなった『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、「『全体主義的な監視』と『市民の権限強化』のどちらを選ぶのか」(日経3月31日朝刊)と迫り、「我々にとって最大の敵はウイルスではない。敵は心の中にある悪魔です」(朝日4月15日朝刊)ともいった。
 いまのところ、日本は強権を発動するのではなく「穏やかな抑制」をめざしている。「補償したくないから」ということでなく、情報の透明性をはかりつつ、私権制限を最小限にとどめたいということなら、歓迎したい。
強権に頼らない
 一方で、自民党が憲法改正にあげる「緊急事態条項」を促す動きも活発化している。コロナ禍に乗じる発想は、「火事場泥棒」との批判もある。国民民主党の玉木雄一郎代表は外出規制違反の罰則化など、欧米諸国並みの都市封鎖ができる法整備に言及した。私権制限について野党が先行するという逆転現象は警戒しなければならない。
 直ちに強権に頼る必要はあるのか。大きな災害に繰り返し見舞われ、鍛えられた日本人の「常識」や「良識」を信頼する政治や報道で、この難局を皆で乗り越えたい。
  徳山喜雄
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年4月25日号

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2020年04月07日

【新型コロナ ショック・ドクトリン2】 民放番組へ「反論」の名で圧力 官邸が委縮効果ねらう 宮下答弁「テストラン」=河野慎二

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 新型肺炎コロナウイルス報道を巡り、内閣官房国際感染症対策調整室や厚生労働省、自民党が目を光らせ、番組を名指しして「反論」するという形で事実上の圧力を加え、問題となっている。
テレ朝標的
 内閣官房の調整室が問題にしたのは、「羽鳥慎一モーニングショー」が5日に放送したコメンテーターの発言。安倍首相が、新型インフルエンザ等対策特措法の改正(以下改正特措法)にこだわる理由について、政治アナリストの伊藤敦夫氏が「『後手後手』批判を払しょくするために総理主導で進んでいるというアピールをしたい」からと見るコメントを寄せた。
 同調整室は6日「法律改正をする理由はそうではありません。あらゆる事態に備えて、打てる手は全て打つという考えで法律改正をしようとしています」と公式ツイッターで反論した。
 羽鳥の「モーニングショー」は狙い撃ちされる形で、政府機関の「反論」の対象になっている。
なぜ「名指し」
 同番組は4日、供給が滞っているマスクについて「まずは医療機関に配らないとだめ。医療を守らないと治療ができない」と強調した。すると厚生労働省は5日、公式ツイッターで「医療用マスクの優先供給は行った」と反論したが、事実ではなかった。厚労省はフェイク反論≠フ訂正に追い込まれ、醜態を演じた。
 これについて、レギュラーコメンテーターの玉川徹氏が「僕が疑問なのは、なぜうちの番組を名指しでこの時期にツイッターを出したかなんですよ」「なんで、ちゃんと事実確認もしないで、厚労省が名指しでやったのか。僕は回答が欲しい」とコメントした。
「Nスタ」も
 反論に名を借りた番組への圧力はTBSの基幹ニュース「Nスタ」(4日)にも向けられた。
 「Nスタ」に出演した岡田春恵白鴎大学教授が「私たちは基礎的な免疫力がないから、新型コロナウイルスは普通のインフルエンザより罹り易い」とコメントした。
 これについて、厚労省のツイッターは5日「新しいウイルスのため、普通のインフルエンザより罹り易いということはない。そういうエビデンスはない」と反論した。
 これに関連して「毎日」が7日、「官邸幹部が『事実と異なる報道には反論するよう指示した』と明かした」と伝えた。
 問題となるのは、13日に成立した改正特措法との関連だ。
聞き流すな
 安倍首相は16日の参院予算委員会で、改正特措法による「必要な指示」が民放テレビ局にできるかについて「報道事業者は、本特措法による指示の対象にはならない」と「民放除外」を答弁した。
 しかし、11日の衆院法務委員会で宮下一郎内閣府副大臣は「法律の枠組みとしては『いま、この情報を流してもらわないと困る』と指示を出す。放送内容を変更、差し替えてもらうことはあり得る」と答弁。首相はこの答弁の是非については言及していない。
 内閣調整室などの反論は「放送したコメントは事実と異なる」などに留めているが、宮下答弁にある「放送内容の変更、差し替え」を念頭に置いた「テストラン」であることは間違いない。
 「反論」を偽装した圧力を軽視してはならない。毅然と対応せず、聞き流していては、メディアの規制、介入に異常な執念を燃やす安倍首相に危険な武器を与えるだけだ。
その先には、あの「大本営本部発表」の世界が待っている。
河野慎二
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年3月25日号

posted by JCJ at 15:13 | 新型コロナ禍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする