2020年12月29日

【福島第一原発事故】 いま被災地で何が オンラインで福島交流会 片山さん 苦しむ下請け作業員 谷さん 牛を生かし農地保全=坂本充孝

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 コロナ禍で明け暮れた2020年は東日本大震災、東京電力福島第一原発の事故から10年目となった年でもある。今、福島県の被災地で何が起きているのか。JCJは11月7日、オンラインで福島交流会を開催し、現地の事情を知るゲストから話を聞いた。
 ゲストは東京新聞福島特別支局記者の片山夏子さん(写真下)と、帰還困難区域内で被災牛を飼育し続けてきた谷咲月さん(写真上)の2人。

  居酒屋で胸中を
片山さんは原発事故から5カ月後の2011年8月から、高線量のイチエフで収束作業にあたる作業員の取材を開始。「ふくしま作業員日誌」を9年間に渡って連載し、今年2月、「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」大賞を受賞した。
 連載をまとめた著書「ふくしま原発作業員日誌〜イチエフの真実、9年間の記録〜」は講談社本田靖春ノンフィクション賞に輝いた。
 片山さんは取材を始めた動機を「現場で苦闘する作業員の人間としての横顔を知りたかった」と話した。英雄と称えられたのは事故直後だけで、健康被害、家族崩壊などに苦しむ多重下請け作業員は、かん口  令をくぐり抜け、居酒屋などで心の内を語ったという。
 交流会に参加した青山学院大学・隈元信一ゼミの学生たちからも「作業現場で放射線教育はなされているのか」「外国人労働者の実態は」など活発な質問が飛んだ。
 「病気で話せなくなり、ホワイトボードを持って取材に行く夢を見た」と語る片山さんの記者魂に参加者は息を飲んだ。
 谷さんは、被災地の農地の荒廃と復興の現状を「牛」を通じて語った。

  牛の糞など効果
原発事故直後に無人の旧警戒区域に入り、山野をさまよっている牛の存在を知った。家畜としての価値を失い、殺処分を迫られた牛たちを生かすために、牛に雑草を食べさせて農地保全に役立てる方法を考案した。
 ボランティアを頼み、汗を流した結果、田んぼ2枚から始まった牧場「もーもーガーデン」は8fに広がり、本来の農地の景観を取り戻した。牛の糞などの効果で土壌の線量も下がったという。
 こうした活動で、谷さんらは2018年に日本トルコ文化協会日本復興の光大賞を受賞。今夏から帰還困難区域の外の栃木県那須町に活動の場を広げ、休耕農地を保全するプロジェクトを展開している。
 「人、動物、自然が共存共栄するシステムを被災地から発信したい」と話す谷さんに、学生は「牛に震災によるトラウマ(心的外傷)は残っていませんか」と尋ねた。
 谷さんの答えは「牛がおびえていたのは地震よりも殺処分を迫った人間でした。今はもーもーガーデンの11頭の牛たちは人を信じています」。希望に満ちた言葉に、参加者から「コロナ騒動が治まったら、もーもーガーデンを訪ねたい」という声が相次いだ。      
坂本充孝
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JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年11月25日号


posted by JCJ at 02:00 | 福島第一原発事故 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月15日

終わらない福島第一原発事故 10年目 今この瞬間も放射線との闘いは続く=片山夏子

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 東京新聞・片山夏子記者の連載「ふくしま原発作業員日誌」と原発作業員から得た独自の記事は、安倍晋三首相が世界についた大嘘「アンダーコントロール下」の実像を暴き出し、「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム大賞」、講談社ノンフィクション賞を受賞した。「福島原発事故を終わったことにはさせない」。8月1日付で、福島特別支局長として赴任する片山さんに寄稿をお願いした。

 何年たっても、忘れられない言葉がある。「私が原発で働いていると知られれば、孫たちが放射能を持ってくると、いじめられるのではないかと思うと怖くて言えなかった」。東京電力福島第一原発事故前から働く56歳の地元作業員にあったのは、8年前だった。 彼には一緒に住む2人の保育園に通う孫がいた。「じいじどこで働いているの」と聞かれ、とっさに「ガソリンスタンドだよ」と答えたという。彼は原発作業員であることを誇りにもてないと話した。その理由を「低賃金で過酷な労働の現状を考えると胸をはることができない。それに原発作業員と言うと下にみられる」と口を引き結んだ。
「線量役者だ」
  事故当時「一日40万円」で募集しているとの報道もあったが、7次や8次の下請け作業員の中には日当が6千円という人もいた。危険手当なんてついたこともないという人も。その上、被ばく線量が国の定めた上限に近づいたり、会社が競争入札で仕事が取れなければ、下位の下請け作業員は解雇された。「今週末まででいいから」「あしたWBC(内部被ばく検査。原発を離れる前に必ず受ける)を受けて」などと突然言い渡された。
  作業員を取材していて繰り返し聞く言葉がある。「俺たちは使い捨てだ」「線量だけの存在だから、千両ならぬ線量役者だよね」。自嘲めいた言葉を聞くたびに、胸が痛んだ。チェルノブイリ原発事故から30年の年に、事故直後、爆発した4号機直下でトンネルを掘る作業をしたリクビダートル(元作業員)にその話をしたことがある。彼は「なぜ誇りに思わないのか。事故を止めたのは彼らだろう」と疑問をぶつけてきた。少しの沈黙の後、言葉は続いた。「人は忘れるもの。それはしょうがない。でもそれでいいのかもしれない」
15`のベスト着て
 事故から9年が過ぎ、事故直後、次々水素爆発をした原子炉建屋内の溶けた核燃料は安定的に冷やされるようになり、敷地全体の空間線量は事故直後から大きく下がった。けれど、今も原子炉建屋内は人が入れないほどの超高線量の場所がある。溶けた核燃量の取り出し準備は進むが、実際にどこまで取り出せるかはまだ見えてこない。
 ロボットで遠隔操作をするにも、ロボットを格納容器近くまで持って行くのは、生身の人間。事前に何枚も放射線を遮蔽する鉛板を運び、15キロものタングステンベストを着てダッシュで運ぶ。初期に鉛板を運んだ作業員は、顔全体を覆う全面マスクを着け、鉛板20キロを担いで「早く終われ、早く終われ」と祈りながら、建屋内の狭い階段を駆け上がった。
 溶けた核燃料の取り出しに近づくにつれ、高線量下の作業が増え、被ばく線量も高くなる。今、東電は作業員の被ばく線量を下げるために一人「年間20_シーベルト」内に抑えるように指導。その上限で高線量下での作業を考えると、働ける期間はかなり短い。
コロナ禍加わる
 放射線や放射能物質に加えて、目に見えない新型コロナが福島第一原発にも影響した。一時期は最前線の防護服まで代替品に変わり質が悪化。「汗でびしょびしょになり、汚染が出ている」(地元作業員)という状態になった。汚染を防ぐためにビニール製の雨がっぱを重ねると、さらに熱中症との闘いが加わった。
 ある地方から来た作業員は事故直後の福島に来る前に「死ぬかもしれない」と思い、故郷で墓参りをし、母校など楽しかった場所を巡った。原発から10キロも離れていない場所に住んでいた地元作業員は「俺たちまだ帰ることあきらめていないから」と笑顔を見せた。彼は今、周辺住民が戻らぬ中、一人で故郷の家に戻り、寂しいからと犬を飼い、防犯のためにバットを枕元において眠る。それでも「故郷はいい」と電話がかかってきた。
まだ見えぬ廃炉
 東京から事故後に駆けつけた作業員は、事故後に生まれた息子と長期間離れ離れの暮らしに。週末に帰って抱き上げた時に「パパいらない」と小さな手で顔を押しやられた。事故後、世間では絆という言葉が流行ったが、福島では離婚が増えた。そして今この瞬間も作業員たちは熱中症や放射線と闘いながら、まだ見えぬ廃炉に向けて作業をしている。十年目の今も安定して仕事をし続けることは難しく、危険手当も下降の一途。労災以外は何の補償もない。作業員の「福島を何とかしたい」という気持ちに頼るだけでは、いずれ人は集まらなくなる。
 福島第一原発の作業員の9年間をまとめた拙箸「ふくしま原発作業員日誌」が16日、講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞した。事故から10年の節目の年なのに、コロナ禍で福島の報道が全然ないと福島の人たちに言われたばかり。そんな時期だけに受賞したことをうれしく思う。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年7月25日号
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posted by JCJ at 01:00 | 福島第一原発事故 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする