取材する側と取材される側の考えは決して一致しません。取材する側はなにかに知りたい、出したいと思っている。取材される側は知られたくない、出されたくない。出したい側と出したくない側は、実は永遠に交わらなかったりする。
その時に取材する側が、説得しようとするとたいがい失敗します。そんなことで人の心は動かない。
待つのも大切なのは行動の一つ。相手の人の気持ちがいつか変わるのではないか。自分が変えるのではなく、相手の人が自分で変える。それを待つことができるかどうか。
わたしと赤木さんの間には1年4か月、せめぎあいがあって、今年の3月の「週刊文春」での手記全文公表という記事につながった。わたしは赤木さんを何も説得せず待っただけです。
待った結果、手記が全部表に出て、後は全て利害が一致して協力関係になるかというと、そんなことはない。せめぎあいはいまだに続いている。
つい昨日もある原稿を赤木さんに見せた。それは3月2日に朝日新聞が改ざんの記事を出した後、当時NHKにいた私やNHKの記者がどのように取材したかという部分を描いている原稿です。その原稿をみせたところ、「ここには夫の姿がありませんね。わたしや夫にとっては遠い世界の話に聞こえます」といわれる。
赤木さんが亡くなったという事実は書いていますが、赤木俊夫さんの人となりの部分がほとんど欠落していた。取材している自分たちの目線になって、取材されている人に目線がいっていない。この期に及んでとまだそれに気が付かない自分がいる。
でもせめぎあうのは悪いことではない。
悪いのは、関係が断ち切れることです。一切のやりとり、関係性が無くなると話がならなくなる。せめぎあっているうちはお互いに相手が何を考えているのかがわかるし、また話が進行する。
多分、せめぎあったまま裁判にすすみ、裁判が終わっても関係性は変わらない。わたしは初任地が山口でしたが、そこでできた人間関係はいまだに生きている。
ちゃんとつながった人は永遠につながっていきます。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年10月25日号
赤木雅子さんからのメッセージ
手記を公表したいと思った時、信頼できる記者に出会えるかが重要です。
わたしは運がついていました。相澤さんに出会うことができました。
その上、相澤さんには「週刊文春」がついてきました。
私は運がついています。長い裁判もうまくいく気がします。
赤木雅子