戦後80年、日本国憲法施行78年の憲法記念日を迎えた5月3日、東京・有明防災公園に3万8000人を集めた「憲法大集会」に対抗して開かれた改憲派の集会「公開憲法フォーラム」には、石破首相がビデオメッセージを寄せた。厳しさを増す日本の安全保障下「緊急事態対応、自衛隊明記を最優先に取り組んでまいりたい」「衆参の憲法審査会での議論がさらに進み、国会による発議が早期に実現するよう、党として尽力する」とし、今年の自民党の運動方針に条文案の起草を盛り込んだことなどをアピール。自公に加え維新、国民民主の代表も出席した。
憲法審運営にいら立ち
改憲派の集会公「開憲法フォーラム」の主催は、「民間憲法臨調」「美しい日本の憲法をつくる国民の会」。「危機に立つ日本―各党は改憲の共同作業に着手せよ!」のスローガンの下、会場の東京・平河町の砂防会館に800人、オンライン視聴約2万人が参加した。
登壇した自民党の古屋圭司改憲実現本部長、濱地雅一憲法調査会事務局長や日本維新の会の青柳仁士政調会長、国民民主党の川合孝典憲法審査会らには、「憲法改正を求める声明文」を国民の会が提出した。
西修・駒沢大名誉教授、百地章・日大名誉教授らに加え有元隆志特別記者の司会で始まったフォーラムでは国民民主の川合憲法調査会長が全体として「起草委員会を作り、条文を提起して多数決で決める」ことを提起したが、「審査会の議論は言いっぱなしで、徒労感が強い」と審査会の審議にいら立つ「タカ派」の焦りを感じさせる発言もあった。
憲法審査会の審議は発足当時の中山太郎会長(自民党・元外相)が提起した@政局とは一定の距離を保つ、 A野党第1党の幹事を会長代理とし、会長とともに運営に責任を持つ、B少数会派の発言権を保障する―などを内容とする紳士協定(いわゆる「中山方式」)が運営の建前とされてきた。
改憲派側にも無理に改憲を「発議」しても、国民投票で否決されては何にもならない、との判断もあり、ある程度これが守られてきた。
ところが、審査会で議論が始まると、自民党内での意見がまとまっていない状況が浮き彫りになっている。特に昨年の総選挙後、枝野幸男氏が会長になって以降それが目立っている。
進む日米軍事一体化
石破首相は「わが国を取り巻く安瀬保障環境はかつてないほど厳しい」「自民党は、自衛隊明記、緊急事態対応、参院選の合区解消、教育の充実を掲げている。特に、緊急事態対応、自衛隊明記を最優先に取り組んでいきたい」と表明。「戦争を体験した世代が元気なうちに、国民に問うていかなければならない」と訴えたが、問題なのは、着々と進む日米軍事一体化と、自治体を巻き込んだ戦争準備態勢の形成だ。
安倍内閣がスタートさせた集団的自衛権容認、安保法制を受けて、後継の菅―岸田両政権は安倍政治の「日米同盟強化・軍事一体化」をさらに推し進めた。「敵基地攻撃」論展開は、安保3文書改定以後ますます強化され、いまや日本は戦争前夜へのまっしぐらだ。
対米自立の意識鮮明
こうした中、注目されるのは世論が示す方向だ。
朝日新聞の戦後80年調査は、対米外交について、「なるべく自立した方がいい」は68%「なるべく従った方がいい」は24%だった。同時に「いざというとき米国は本気で日本を守ってくれるか」の問いには、「本気で守ってくれる」の15%に対し、「そうは思わない」は77%だった。
さらに「世界の平和維持で国際社会が米国にどの程度頼ることが出来るか」の質問には、「大いに」が3%、「ある程度」が40%だったのに対し、「あまり頼ることが出来ない」48%、「全く」が6%だった。(同紙4月27日)
そして、憲法記念日の各紙世論調査では、「朝日」の「憲法を変える機運が高まっていると思うか」には、「大いに」3%、「ある程度」28%、「あまり高まっていない」56%、「全くない」9%だ。
9条について「変える方がよい」35%、「変えない方がよい」56%だ。
毎日の「石破首相在任中の改憲について」では、「賛成」21%、「反対」39%。読売の「9条2項の改正は必要か」でも「ある」47%、「ない」49%―だった。
一方で抽象的な「いまの憲法を変える必要があるか」との問いだと、「ある」53%、「ない」35%だ(朝日)。国民の憲法意識はまだ曖昧で、不確実性だと言えよう。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年5月25日号
2025年06月25日
【オピニオン】納得できない事例あれば記者が対処 ファクトチェックより早い=木下 寿国
その人がどういう人なのかは、その人の本棚を見ればわかる、という言い方がある。要するに、人がその人生で接してきた情報の総体が、その人の人格を形づくるということだろう。元の情報があやふやなものであれば、当然ながら形作られるものはいい加減なものにならざるを得ない。
では人々に日々大量の情報を発信し続けているマスコミをめぐる状況はどうなっているか。私は機関紙「JCJ神奈川」の最新号に送った原稿で、その実態はかなり公正さに欠けるのではないかと書いた。ここで改めてその内容を引きつつ、もう一歩踏み込んでみたい。
パレスチナの地で、配給所に集まってきた住民を狙い撃ちするかのようにイスラエル軍が発砲。日テレがこれを同軍とガザ住民との「衝突」と報じたことに、イスラエル・パレスチナ問題に詳しい早尾貴紀東京経済大教授は「大量虐殺以外にあるか」と怒りを爆発させた(X、6・12)。ジャーナリストの鈴木耕氏も「一方的虐殺」だとした(同上)。食料を求めに集まってきただけの人々をイスラエル軍が攻撃する例は、5月末以降、毎日のように起きていたともされる(「人道支援か『死の罠か』」、JBpress、6・13)。素直に見れば、これを「衝突」というのは、事実から目を背けさせようとする「ミスリード」ではないか。
この間、国会を取り巻いた学術会議法案に抗議する行動をマスコミはほとんどスルーした。武器取引反対ネットワーク(NAJAT)代表の杉原こうじ氏は、6月9日に研究者らだけで約40人もが路上に座り込んだ行動を朝日、毎日、東京の紙版は一切報じなかった、と批判(X、6・10)、また悪法が成立してから報じるのは「ジャーナリズムでは決してない」と憤った(同、6・11)。
成立後に報じたNHKは、同法案によって「国から独立した法人」が生まれると逆さまとしか思えないような伝え方をした。これは「フェイク」と呼びたいくらいだ。
教職調整額をわずかに上乗せするだけで公立学校教員を働かせ放題のままにする仕組みを残した教員給与特別措置法(給特法)案の成立を、朝日は「教員給与、10%上乗せへ」と、まるで事態が前進したかのように描いて見せた。一方、NHKはこれには「残業代の代わり上乗せ分引き上げ」とより正確に報じている。朝日の見出しは「ミスリード」か「一部誤り」だと言いたい。
朝日は、昨今ネットでデマが飛び交う状況などを踏まえ、「ファクトチェック編集部」を新設したという。上述したような事例が、その対象に該当するかどうかはわからない。最初と3番目の事例はほぼ見出しのレベルで、内容自体の正確さを問題にしたわけではない。だが、そこには明らかに記者や編集者の価値判断が現れている。単なる表記の問題では済ませられないのだ。事実、朝日の場合は、17日付紙面に氏岡眞弓編集委員が法案をまとめた側の人物を登場させ、法案の成立を評価させるインタビューを載せている。“確信犯”だったというわけだ。
私たちが日々の報道で気になるのは、根拠がよくわからない言説だけではない。“お上”の言うことをそのまま垂れ流したり(最近のXには「大本営発表」との表現も見られる)、本質をそらしかねない安易なキャッチコピーで視聴者の気を引こうとしたり(「小泉米」はその典型)、日テレやNHK、朝日のようにさり気なく体制の側に視点を誘導したり、学術会議法案審議の際に見られたように、報じるべきことを報じなかったり、それらすべてが問題なのだ。そうしたまだら模様の情報は、やがて国民の描くイメージをいっそう不確かなものにつくりかえていくだろう。したがってそれらは本来、すべて検証される必要がある。遠回りのように見えても、より普遍的な結論を得るためにはそれが一番の近道になるはずだ。
ファクトチェックは大事なことだと思う。が、いまの日本の入り組んだ言論状況は、それだけで対応するには無理がある。私はむしろ、納得しがたい事例に遭遇したら記者や編集者がその都度ジャーナリズム精神を発揮して、機動的に対処したほうがより有効なのではないかと思っている。
そこで大事になるのは、形式的公平ではなく社会的な公正さ(どこかで権力側や多数派に流されてはいないか)や、それが本当に国民のためになっているかという権力監視の視点を自覚することだろう。そこがさまざまな時代の変化の中で弱まっていることが、今日の脆弱な言論空間を生み出す一番の元になっているのではないかと考えている。
では人々に日々大量の情報を発信し続けているマスコミをめぐる状況はどうなっているか。私は機関紙「JCJ神奈川」の最新号に送った原稿で、その実態はかなり公正さに欠けるのではないかと書いた。ここで改めてその内容を引きつつ、もう一歩踏み込んでみたい。
パレスチナの地で、配給所に集まってきた住民を狙い撃ちするかのようにイスラエル軍が発砲。日テレがこれを同軍とガザ住民との「衝突」と報じたことに、イスラエル・パレスチナ問題に詳しい早尾貴紀東京経済大教授は「大量虐殺以外にあるか」と怒りを爆発させた(X、6・12)。ジャーナリストの鈴木耕氏も「一方的虐殺」だとした(同上)。食料を求めに集まってきただけの人々をイスラエル軍が攻撃する例は、5月末以降、毎日のように起きていたともされる(「人道支援か『死の罠か』」、JBpress、6・13)。素直に見れば、これを「衝突」というのは、事実から目を背けさせようとする「ミスリード」ではないか。
この間、国会を取り巻いた学術会議法案に抗議する行動をマスコミはほとんどスルーした。武器取引反対ネットワーク(NAJAT)代表の杉原こうじ氏は、6月9日に研究者らだけで約40人もが路上に座り込んだ行動を朝日、毎日、東京の紙版は一切報じなかった、と批判(X、6・10)、また悪法が成立してから報じるのは「ジャーナリズムでは決してない」と憤った(同、6・11)。
成立後に報じたNHKは、同法案によって「国から独立した法人」が生まれると逆さまとしか思えないような伝え方をした。これは「フェイク」と呼びたいくらいだ。
教職調整額をわずかに上乗せするだけで公立学校教員を働かせ放題のままにする仕組みを残した教員給与特別措置法(給特法)案の成立を、朝日は「教員給与、10%上乗せへ」と、まるで事態が前進したかのように描いて見せた。一方、NHKはこれには「残業代の代わり上乗せ分引き上げ」とより正確に報じている。朝日の見出しは「ミスリード」か「一部誤り」だと言いたい。
朝日は、昨今ネットでデマが飛び交う状況などを踏まえ、「ファクトチェック編集部」を新設したという。上述したような事例が、その対象に該当するかどうかはわからない。最初と3番目の事例はほぼ見出しのレベルで、内容自体の正確さを問題にしたわけではない。だが、そこには明らかに記者や編集者の価値判断が現れている。単なる表記の問題では済ませられないのだ。事実、朝日の場合は、17日付紙面に氏岡眞弓編集委員が法案をまとめた側の人物を登場させ、法案の成立を評価させるインタビューを載せている。“確信犯”だったというわけだ。
私たちが日々の報道で気になるのは、根拠がよくわからない言説だけではない。“お上”の言うことをそのまま垂れ流したり(最近のXには「大本営発表」との表現も見られる)、本質をそらしかねない安易なキャッチコピーで視聴者の気を引こうとしたり(「小泉米」はその典型)、日テレやNHK、朝日のようにさり気なく体制の側に視点を誘導したり、学術会議法案審議の際に見られたように、報じるべきことを報じなかったり、それらすべてが問題なのだ。そうしたまだら模様の情報は、やがて国民の描くイメージをいっそう不確かなものにつくりかえていくだろう。したがってそれらは本来、すべて検証される必要がある。遠回りのように見えても、より普遍的な結論を得るためにはそれが一番の近道になるはずだ。
ファクトチェックは大事なことだと思う。が、いまの日本の入り組んだ言論状況は、それだけで対応するには無理がある。私はむしろ、納得しがたい事例に遭遇したら記者や編集者がその都度ジャーナリズム精神を発揮して、機動的に対処したほうがより有効なのではないかと思っている。
そこで大事になるのは、形式的公平ではなく社会的な公正さ(どこかで権力側や多数派に流されてはいないか)や、それが本当に国民のためになっているかという権力監視の視点を自覚することだろう。そこがさまざまな時代の変化の中で弱まっていることが、今日の脆弱な言論空間を生み出す一番の元になっているのではないかと考えている。
2025年05月26日
【オピニオン】「ヒロシマ」を取り戻そう 8・6「規制撤廃」広島アピール=藤元康之(広島支部)
8月6日の広島平和記念式典は、アメリカの世界初の原爆投下の犠牲となった幾多の市民を悼む遺族や被爆者の祈りの場であり、被爆都市ヒロシマの核兵器廃絶、戦争反対の平和への願いを世界に発信する場に他ならない。広島市はそれゆえに「国際平和文化都市」をうたい、核兵器廃絶の取り組みを行政の柱にかかげてきたのではなかったのか。
だが昨年、広島市は「参列者の安全確保のため」として、広島平和公園全域を入場規制し、持ち物検査を導入。戒厳令下のような光景が現出した。その結果起きたのは、年老いた遺族の早朝のお参りからの締めだしだった。また、持ち物検査は公園内の多くの原爆供養塔で営まれる慰霊行事への市民参加の制約へと働き、式典会場に入れない人が出る一方、会場内の被爆者・遺族席には500席もの空席ができた。
広島弁護士会は今年1月31日、市が一昨年の8月6日、市職員が市民団体構成員に押し倒された「事件」で逮捕・起訴者が出たとして導入した「公園全域の入場規制」とその結果起きたことは表現、信教の自由(憲法21条)違反だと、会長声明で断じた。入場規制そのものも「明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必用」とした最高裁(1995年3月7日、第三小法廷)判例の条件を満たしていないと指摘している。
JCJ広島支部は3月31日、松井一実・広島市長に今年8月6日の平和記念式典に際しては@平和公園の入場規制を絶対に行わないことA被爆80年にあたる8月6日に何をするべきか、市民の意見を聞く場を設けることを文書で申し入れた。それは、市民の先頭に立って世界に核兵器廃絶と戦争反対を訴える責務のある広島市が、表現の自由や信教の自由侵害の旗を振る事態は、「新しい戦前」どころか「戦争前夜」だと感じたからである。
昨年の8月6日当日、私たちは早朝から現地で取材した。新たに規制区域とされた公園北東端の原爆ドーム周辺広場では規制に反対するデモ隊が前夜から座り込み、黙とうが終了する朝8時15分のデモ出発まで市職員や警官隊と対峙したが式典に影響はなかった。一方で40年以上も原爆ドーム前広場で「ダイイン」に取り組んできた市民たちは場所を奪われ、移動を余儀なくされた。
私たちは全国の皆さんとの幅広い連帯で、広島平和公園を市民の手に取り戻す運動を広げたい。問題の拡散に声と力を貸してくださるよう皆さんに呼びかける。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年4月25日号
だが昨年、広島市は「参列者の安全確保のため」として、広島平和公園全域を入場規制し、持ち物検査を導入。戒厳令下のような光景が現出した。その結果起きたのは、年老いた遺族の早朝のお参りからの締めだしだった。また、持ち物検査は公園内の多くの原爆供養塔で営まれる慰霊行事への市民参加の制約へと働き、式典会場に入れない人が出る一方、会場内の被爆者・遺族席には500席もの空席ができた。
広島弁護士会は今年1月31日、市が一昨年の8月6日、市職員が市民団体構成員に押し倒された「事件」で逮捕・起訴者が出たとして導入した「公園全域の入場規制」とその結果起きたことは表現、信教の自由(憲法21条)違反だと、会長声明で断じた。入場規制そのものも「明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必用」とした最高裁(1995年3月7日、第三小法廷)判例の条件を満たしていないと指摘している。
JCJ広島支部は3月31日、松井一実・広島市長に今年8月6日の平和記念式典に際しては@平和公園の入場規制を絶対に行わないことA被爆80年にあたる8月6日に何をするべきか、市民の意見を聞く場を設けることを文書で申し入れた。それは、市民の先頭に立って世界に核兵器廃絶と戦争反対を訴える責務のある広島市が、表現の自由や信教の自由侵害の旗を振る事態は、「新しい戦前」どころか「戦争前夜」だと感じたからである。
昨年の8月6日当日、私たちは早朝から現地で取材した。新たに規制区域とされた公園北東端の原爆ドーム周辺広場では規制に反対するデモ隊が前夜から座り込み、黙とうが終了する朝8時15分のデモ出発まで市職員や警官隊と対峙したが式典に影響はなかった。一方で40年以上も原爆ドーム前広場で「ダイイン」に取り組んできた市民たちは場所を奪われ、移動を余儀なくされた。
私たちは全国の皆さんとの幅広い連帯で、広島平和公園を市民の手に取り戻す運動を広げたい。問題の拡散に声と力を貸してくださるよう皆さんに呼びかける。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年4月25日号
2025年05月22日
【オピニオン】トランプ関税の誤り 経済学からの視点 金融危機の道 毅然と望め=志田義寧
トランプ米大統領は9日、同日発動したばかりの相互関税の上乗せ分について、報復措置を取らない国・地域に対しては90日間効力を停止すると発表した。足元では株だけでなく、米国債が急落(利回りは急上昇)するなど、金融危機に発展しかねない状況だっただけに、軌道修正を余儀なくされた可能性が高い。日本はこれから本格交渉に入るが、標準的な経済学とは相入れない誤った関税政策に対して、毅然とした態度で臨むべきだ。脅かせば屈する国という印象を与えれば、将来に禍根を残す。本稿では経済学の観点からあらためてこの問題を整理したい。
2国間の不均等は当然
「完全に狂っている」。ノーベル経済学賞を受賞した著名経済学者であるポール・クルーグマン氏は自身のニュースレターで、トランプ大統領の関税政策を痛烈に批判した。クルーグマン氏に限らず、今回の関税政策を前向きに評価する経済学者はほとんどいない。経済学の観点からポイントを4つ紹介する。
まず、2国間の貿易不均衡の是非についてだ。トランプ大統領は2国間の貿易不均衡を問題視しているが、国際分業の観点でみれば不均衡があるのが当然で、国別にバランスさせることにまったく意味はない。貿易は多国間で行われるものであり、特定の国だけを切り取って黒字や赤字を論じるのは本質を見誤っている。日本はサウジアラビアから原油を輸入しているため、同国との貿易収支は赤字だが、これを不公平だと思う人はいないだろう。
貿易赤字だけは無意味
次に貯蓄・投資バランスの観点から見てみよう。一国の経済は(GDP―租税―消費)+(租税―政府支出)―投資=(輸出―輸入)と表すことができる。ここで(GDP―租税―消費)は民間貯蓄、(租税―政府支出)は政府貯蓄なので、これらを合わせて貯蓄とすると、(貯蓄―投資)=(輸出―輸入)と変換できる。この式が意味するところは、投資が貯蓄を上回っている場合、貿易収支は必然的に赤字になるということだ。米国の経済構造について触れず、貿易赤字だけを取り上げて議論することに意味はない。
【関税収入超す余剰消失】
3つ目に、余剰(市場取引によって得られる便益)の観点から検討する。一般的に関税をかければ、余剰の一部が消失する。これを死荷重という。関税により、仮に生産者の余剰が増えたとしても、死荷重が発生して国全体で見れば余剰は減少する。トランプ大統領は関税収入が1日20億jにのぼると胸を張ったが、それ以上に余剰が減少している可能性から目を背けてはならない。
双方の利益の貿易崩す
最後に比較優位の観点から眺めてみる。貿易のメリットを説く理論に比較優位という考え方がある。英国の経済学者デビッド・リカードが打ち立てた理論で、各国は得意な財を輸出することで、輸入する側も含めた双方に利益をもたらすというものだ。第2次世界大戦後の世界はこの考えに基づいた自由貿易の枠組みの中で成長してきた。
以上、経済学の観点から整理したが、どの点から見ても今回の措置は正当化できない。グローバル化が進む現代において、経済の持続的な発展には開かれた市場と健全な競争が不可欠だ。輸入制限で競争がなくなれば、米企業のイノベーションが停滞し、経済の活力が失われる。中国のように相手国が報復関税を課せば、輸出産業にも影響が及ぶ。貿易戦争に勝者はいないことを肝に銘じるべきだ。
日本は米国依存下げよ
トランプ大統領によると、交渉に向けてすでに75カ国超から接触があったという。日本もこれから本格交渉に入るが、拙速な妥協は避けるべきだ。90日という期限も意識すべきではない。持久戦になれば、米経済も負の影響が無視できなくなるだろう。中間選挙が近づいてくれば尚更だ。日本は欧州やアジア等と連携しながら米国と粘り強く交渉する一方で、これを好機と捉え産業構造の転換に着手し、米国依存度を下げていくことが求められる。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年4月25日号
2国間の不均等は当然
「完全に狂っている」。ノーベル経済学賞を受賞した著名経済学者であるポール・クルーグマン氏は自身のニュースレターで、トランプ大統領の関税政策を痛烈に批判した。クルーグマン氏に限らず、今回の関税政策を前向きに評価する経済学者はほとんどいない。経済学の観点からポイントを4つ紹介する。
まず、2国間の貿易不均衡の是非についてだ。トランプ大統領は2国間の貿易不均衡を問題視しているが、国際分業の観点でみれば不均衡があるのが当然で、国別にバランスさせることにまったく意味はない。貿易は多国間で行われるものであり、特定の国だけを切り取って黒字や赤字を論じるのは本質を見誤っている。日本はサウジアラビアから原油を輸入しているため、同国との貿易収支は赤字だが、これを不公平だと思う人はいないだろう。
貿易赤字だけは無意味
次に貯蓄・投資バランスの観点から見てみよう。一国の経済は(GDP―租税―消費)+(租税―政府支出)―投資=(輸出―輸入)と表すことができる。ここで(GDP―租税―消費)は民間貯蓄、(租税―政府支出)は政府貯蓄なので、これらを合わせて貯蓄とすると、(貯蓄―投資)=(輸出―輸入)と変換できる。この式が意味するところは、投資が貯蓄を上回っている場合、貿易収支は必然的に赤字になるということだ。米国の経済構造について触れず、貿易赤字だけを取り上げて議論することに意味はない。
【関税収入超す余剰消失】
3つ目に、余剰(市場取引によって得られる便益)の観点から検討する。一般的に関税をかければ、余剰の一部が消失する。これを死荷重という。関税により、仮に生産者の余剰が増えたとしても、死荷重が発生して国全体で見れば余剰は減少する。トランプ大統領は関税収入が1日20億jにのぼると胸を張ったが、それ以上に余剰が減少している可能性から目を背けてはならない。
双方の利益の貿易崩す
最後に比較優位の観点から眺めてみる。貿易のメリットを説く理論に比較優位という考え方がある。英国の経済学者デビッド・リカードが打ち立てた理論で、各国は得意な財を輸出することで、輸入する側も含めた双方に利益をもたらすというものだ。第2次世界大戦後の世界はこの考えに基づいた自由貿易の枠組みの中で成長してきた。
以上、経済学の観点から整理したが、どの点から見ても今回の措置は正当化できない。グローバル化が進む現代において、経済の持続的な発展には開かれた市場と健全な競争が不可欠だ。輸入制限で競争がなくなれば、米企業のイノベーションが停滞し、経済の活力が失われる。中国のように相手国が報復関税を課せば、輸出産業にも影響が及ぶ。貿易戦争に勝者はいないことを肝に銘じるべきだ。
日本は米国依存下げよ
トランプ大統領によると、交渉に向けてすでに75カ国超から接触があったという。日本もこれから本格交渉に入るが、拙速な妥協は避けるべきだ。90日という期限も意識すべきではない。持久戦になれば、米経済も負の影響が無視できなくなるだろう。中間選挙が近づいてくれば尚更だ。日本は欧州やアジア等と連携しながら米国と粘り強く交渉する一方で、これを好機と捉え産業構造の転換に着手し、米国依存度を下げていくことが求められる。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年4月25日号
2025年05月16日
【オピニオン】自衛隊に「統合作戦司令部」=丸山 重威
「トランプ関税」に世論の注目が集まっている陰で、日本の3自衛隊を束ねる「統合作戦司令官」発足を受け、日米同盟の下での日米軍事一体化がまた一段進んだ。在日米軍の構想は横田に統合軍司令部を置き、六本木に戦闘司令部の拠点を置く。日本を米国の世界覇権戦略に組み込んだ危険な戦争路線がいよいよ現実化しつつある。そこで懸念されるのは、過去の「統帥権の独立」を思い起こさせる「軍令」の独走だ。沖縄では台湾有事の際、先島諸島から住民らを九州などに避難させる計画まで浮上した。公然たる「戦争準備」が罷り通っている。
「共に戦う」と米長官
自衛隊統合作戦司令部の新設が決定したのは昨年5月、防衛省設置法の改正だった。
3月24日の「統合作戦司令部」発足式典で中谷元・防衛相は「日本を取り巻く安全保障環境も複雑となり、日本に期待される役割も重くなっている。統合作戦司令部の新設は、日本の安全保障上、極めて大きな意義を持つ」と強調した。統合作戦司令部が果たす役割について、中谷防衛相は@各部隊を一元的に指揮し、あらゆる事態に24時間365日即応する、A同盟国、同志国の司令部との運用面での連携と情報共有などがあげられるとしている。
米軍側も日本と連動し、ヘグセス米国防長官が3月29日来日して、中谷防衛相と会談した。31日には在日米軍を「統合軍」に格上げし、港区六本木の赤坂プレスセンターに拠点を置くことが公表された。司令部は横田基地に置かれるとみられ、日米軍事一体化の一層の緊密化がさらに押し進められた。
ヘグセス長官は「在日米軍を戦闘司令部として再編、新司令官に新しい任務と権限を与える」と明言。「自衛隊と米軍が戦闘能力、殺傷力、即応性を向上させながら、緊密に協力していくのが楽しみ。日本は西太平洋でいかなる不測の事態に直面しても、最前線に立ち、互いに支え合いながら共に戦う」とも表明した。こうした日米双方の指揮体制の強化について、柳澤協二元内閣官房副長官補は「圧倒的な情報量を持つ米軍に攻撃対象を割り振られ、政治が熟慮する暇なく武力衝突に巻き込まれる恐れは強まる」(3月24日付東京新聞)と指摘している。
「作戦統制権」と「軍令」
一方、2月5日の衆院予算委省庁別審査で「現職自衛官(制服組)の国会出席桃源を」と求めた橋本幹彦委員(国民民主)発言は波紋を広げた。安住淳委員長は「文民統制」の観点からこれを認めなかったが、同様の主張は三井康有元防衛庁官房長によって「時代に即した文民統制だ」(3月28日付朝日新聞「私の視点」=『自衛官も国会答弁すべきだ』)として展開された。
三井氏は戦前の「軍令」と「軍政」を引き合いに、「旧軍時代はともに天皇直属で内閣も議会も関与が許されなかったがいまは違う」と強調したが、「作戦統制権」(軍令)が「指揮権」(軍政)=を越えて一人歩きして満州事変を引き起こし、その後の戦争も拡大していったことは歴史の事実だ。作戦統制権者が国会で、独自の判断や主張を報告するようになれば、どうなるのか…。問題は決して、小さくない。これも気になる動きだ。
「台湾」想定、避難計画
政府は3月27日、有事の際、沖縄の先島諸島から、住民11万人と観光客1万人の計12万人を避難させ、九州7県と山口の計8県32市町が受け入れ先とする計画をホームページで公表した。
「避難」自体は22年12月の「防衛3文書」の「国家安全保障戦略」で政府がすでに「住民の迅速な避難」を明記しており、その具体化だ。軽計画は「台湾有事」を想定し、船舶や航空機を利用して1日約2万人を輸送、6日間で完了させるという。住民らは民間フェリーや航空機で福岡や鹿児島に移動、それぞれの避難先に向かうこととし、福岡市が2万7千人、北九州市に1万2300人、熊本県は5市町で1万2800人を避難させるとし、期間の中長期かを見据えた就学、就労支援計画も作るという。
避難させられる先島の住民たちも、受け入れる各県自治体も戸惑う状況だが、九州までは500`から1000`。かつての戦争で、学童避難船「対馬丸」が撃沈され、1万5000人もの子供らが犠牲になった記憶もある。
住民を避難させて戦争を遂行する….そんな計画を作ることこそ問題ではないだろうか。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年4月25日号
「共に戦う」と米長官
自衛隊統合作戦司令部の新設が決定したのは昨年5月、防衛省設置法の改正だった。
3月24日の「統合作戦司令部」発足式典で中谷元・防衛相は「日本を取り巻く安全保障環境も複雑となり、日本に期待される役割も重くなっている。統合作戦司令部の新設は、日本の安全保障上、極めて大きな意義を持つ」と強調した。統合作戦司令部が果たす役割について、中谷防衛相は@各部隊を一元的に指揮し、あらゆる事態に24時間365日即応する、A同盟国、同志国の司令部との運用面での連携と情報共有などがあげられるとしている。
米軍側も日本と連動し、ヘグセス米国防長官が3月29日来日して、中谷防衛相と会談した。31日には在日米軍を「統合軍」に格上げし、港区六本木の赤坂プレスセンターに拠点を置くことが公表された。司令部は横田基地に置かれるとみられ、日米軍事一体化の一層の緊密化がさらに押し進められた。
ヘグセス長官は「在日米軍を戦闘司令部として再編、新司令官に新しい任務と権限を与える」と明言。「自衛隊と米軍が戦闘能力、殺傷力、即応性を向上させながら、緊密に協力していくのが楽しみ。日本は西太平洋でいかなる不測の事態に直面しても、最前線に立ち、互いに支え合いながら共に戦う」とも表明した。こうした日米双方の指揮体制の強化について、柳澤協二元内閣官房副長官補は「圧倒的な情報量を持つ米軍に攻撃対象を割り振られ、政治が熟慮する暇なく武力衝突に巻き込まれる恐れは強まる」(3月24日付東京新聞)と指摘している。
「作戦統制権」と「軍令」
一方、2月5日の衆院予算委省庁別審査で「現職自衛官(制服組)の国会出席桃源を」と求めた橋本幹彦委員(国民民主)発言は波紋を広げた。安住淳委員長は「文民統制」の観点からこれを認めなかったが、同様の主張は三井康有元防衛庁官房長によって「時代に即した文民統制だ」(3月28日付朝日新聞「私の視点」=『自衛官も国会答弁すべきだ』)として展開された。
三井氏は戦前の「軍令」と「軍政」を引き合いに、「旧軍時代はともに天皇直属で内閣も議会も関与が許されなかったがいまは違う」と強調したが、「作戦統制権」(軍令)が「指揮権」(軍政)=を越えて一人歩きして満州事変を引き起こし、その後の戦争も拡大していったことは歴史の事実だ。作戦統制権者が国会で、独自の判断や主張を報告するようになれば、どうなるのか…。問題は決して、小さくない。これも気になる動きだ。
「台湾」想定、避難計画
政府は3月27日、有事の際、沖縄の先島諸島から、住民11万人と観光客1万人の計12万人を避難させ、九州7県と山口の計8県32市町が受け入れ先とする計画をホームページで公表した。
「避難」自体は22年12月の「防衛3文書」の「国家安全保障戦略」で政府がすでに「住民の迅速な避難」を明記しており、その具体化だ。軽計画は「台湾有事」を想定し、船舶や航空機を利用して1日約2万人を輸送、6日間で完了させるという。住民らは民間フェリーや航空機で福岡や鹿児島に移動、それぞれの避難先に向かうこととし、福岡市が2万7千人、北九州市に1万2300人、熊本県は5市町で1万2800人を避難させるとし、期間の中長期かを見据えた就学、就労支援計画も作るという。
避難させられる先島の住民たちも、受け入れる各県自治体も戸惑う状況だが、九州までは500`から1000`。かつての戦争で、学童避難船「対馬丸」が撃沈され、1万5000人もの子供らが犠牲になった記憶もある。
住民を避難させて戦争を遂行する….そんな計画を作ることこそ問題ではないだろうか。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年4月25日号
2025年04月19日
【オピニオン】立ち位置問われるメディア 「政局」より「政策」国民の指針を 報道の使命と役割とは=丸山 重威
「政局報道より政策報道を」―と言われたのはいつごろからだっただろう? 日本の政治報道が、とかく政治家の動きを追うことに終始して、肝心の「政策」を報じないで、結局、問題を永田町・霞ヶ関・国会‥‥の人間模様に落とし込んでしまっている。マスコミの政治報道へのそんな批判だった。
トランプ大統領が再登場して、改めて「米国第一」を掲げ、自国の覇権のために世界中に無理難題を押しつけている中で、問われているのは「日本国民の生活をどう守るか」に他ならない。深刻に考えている国民に、政治もメディアも国と国民の「指針」を示さなければならない。そんな状況なのに、また「政局」の雲行きだ。私たちはいまメディアに「これでいいのか」と改めて立ち位置を問いかけなければならない。
石破さん、あなたも?
新人8議員に商品券
3月13日、米国がロシアに30日間の停戦を持ちかけ、ウクライナ停戦が実現するかどうかが問われている時期に、朝日、毎日などが「石破首相が今月3日新人議員に対し10万円の商品券を配っていた」と電子版で一斉に報じ大騒ぎになった。ネットによると、朝日は20時24分、毎日は21時03分で、石破首相も23時22分には各社とのインタビューに応じ事実を認めたうえで「違法ではない」と述べたが、一挙に「石破降ろし」がスタートした。
「政治とカネ」は自民党・安倍派の政治資金パーティ裏金問題に始まり、まだ事件も火種も収束していない中で、首相自身が新たな火種を作った形で、メディアに材料を提供した。
昨年秋の総選挙で、過半数割れの敗北を喫した自民党政権は、野党第一党の立憲民主党などとのまともな政策論議を避け、維新や国民民主党が主張する所得税課税の「カベ」や高額医療費問題などで政策修正に応じながら両党を取り込み、通常国会を乗り切るはずだった。ところがこの騒ぎだ。もちろんそれは大問題だが、主食のコメまでも含めた物価高が続き、産業界はトランプ関税への対処で、それどころではない。夏の東京都議選や参院選を控え、不安定な情勢が続いている。
交戦国と共同演習
中国へは「挑発」?
7日の参院予算委で共産党の山添拓議員は、海上自衛隊が紛争当事国のウクライナとの「多国間軍事演習」に参加していた事実と、これを防衛省が公表しなかった問題を追及した。
海上自衛隊は昨年9月、黒海で行われた米国とウクライナが共催した多国間演習「シーブリーズ」に参加。ウクライナ軍などと機雷の水中処分などの訓練をした。自衛隊が紛争当事国ウクライナとの軍事演習に加わること自体、他国から「参戦」と疑われかねない憲法違反行為だが、防衛省はこれを公表せず、中谷防衛相は「艦艇を派遣せず、派遣も少人数にどまったから」と答弁した。
米国が日本に対して、対中国の包囲網へのコミットを求めていることは間違いはないが、3月1日には海自の自衛艦「あきづき」が、2月上旬、単独で台湾海峡を通過していたことも明らかになった。昨年9月、豪州とニュージーランド海軍の艦艇と一緒に通過したのに続く台湾海峡通過で、中国外務省は「日中関係や台湾海峡の平和と安定を乱さないように」と釘を刺した。
日本は「中国への牽制」のつもりだろうが、中国側から見ればこれは「挑発」ということになる。
国会論戦は「軍拡抜き」
高額医療費は基本抜き
今国会の提出の予算案では、防衛費は8兆7000億円。GDPの1・3%余に達している。岸田内閣が「27年度にはGDP2%」を目指し、に、47兆円の防衛費確保を米国に「約束」した路線のもとでの予算編成だが、国会審議ではほとんどこうした論議は行われていなかった。
そんな中で、問題になったのが高額医療費問題だ。この制度は、医療機関や薬局の窓口で支払う医療費が決まった上限額を超えた場合、超えた分の差額を支給する制度 だが、年齢などで制限されている。この上限を切り上げ、支給せずに済まそうとする計画が問題になった。しかし、必要な治療を必要な期間受けて、「健康で文化的な生活」を維持するのは国民の権利だし、これを保障していくのが国の責任であり、それが憲法に定める基本的人権のはずだ。
患者団体の行動などを受けて、石破首相は「見直し」をやめることにしたが、「特殊な一部の人の問題」と思われたのか、大きな論議とはならなかった。だが「生きる権利」は誰でも享受されるべきものだ。必要なのは「制度」を「人権」の面から見直していくことである。
主体性持ち真の国益を
トランプ対応は冷静に
米国大統領に就任したドナルド・トランプの帝国主義的旋風が吹き荒れている。領土・勢力圏拡張、数世紀前の「帝国主義」「植民地主義」を露骨に見せながら、国政を運営、関税を武器に、世界にさまざまな要求を突きつけている。
2月初め訪米した石破首相は、日本企業の巨額な米国投資を首脳会談で表明した。だが「同盟関係」の進展などを約束した日本にも3月12日から、アルミ、鉄鋼などの追加関税が例外なく適用された。
日本は武藤容治経産相が3月10日、ラトニック商務長官らと会談したが、日本を適用外とさせることはできなかった。すでに追加関税では、中国、カナダなどが問題をWTO(世界貿易機関)に提訴したが、4月には自動車についても追加関税を予定しており、「関税を使った国際覇権追求」がどうなっていくかはまだ未知数だが、日本は間違いなく対応を迫られる。
関税を取引のカードとして使いながら、国際世論をも巻き込んでいくトランプの手法に対してやはり重要なのは、日本はあくまで冷静に、そして日本なりに主体的に取り組んでいくことだろう。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年3月25日号
トランプ大統領が再登場して、改めて「米国第一」を掲げ、自国の覇権のために世界中に無理難題を押しつけている中で、問われているのは「日本国民の生活をどう守るか」に他ならない。深刻に考えている国民に、政治もメディアも国と国民の「指針」を示さなければならない。そんな状況なのに、また「政局」の雲行きだ。私たちはいまメディアに「これでいいのか」と改めて立ち位置を問いかけなければならない。
石破さん、あなたも?
新人8議員に商品券
3月13日、米国がロシアに30日間の停戦を持ちかけ、ウクライナ停戦が実現するかどうかが問われている時期に、朝日、毎日などが「石破首相が今月3日新人議員に対し10万円の商品券を配っていた」と電子版で一斉に報じ大騒ぎになった。ネットによると、朝日は20時24分、毎日は21時03分で、石破首相も23時22分には各社とのインタビューに応じ事実を認めたうえで「違法ではない」と述べたが、一挙に「石破降ろし」がスタートした。
「政治とカネ」は自民党・安倍派の政治資金パーティ裏金問題に始まり、まだ事件も火種も収束していない中で、首相自身が新たな火種を作った形で、メディアに材料を提供した。
昨年秋の総選挙で、過半数割れの敗北を喫した自民党政権は、野党第一党の立憲民主党などとのまともな政策論議を避け、維新や国民民主党が主張する所得税課税の「カベ」や高額医療費問題などで政策修正に応じながら両党を取り込み、通常国会を乗り切るはずだった。ところがこの騒ぎだ。もちろんそれは大問題だが、主食のコメまでも含めた物価高が続き、産業界はトランプ関税への対処で、それどころではない。夏の東京都議選や参院選を控え、不安定な情勢が続いている。
交戦国と共同演習
中国へは「挑発」?
7日の参院予算委で共産党の山添拓議員は、海上自衛隊が紛争当事国のウクライナとの「多国間軍事演習」に参加していた事実と、これを防衛省が公表しなかった問題を追及した。
海上自衛隊は昨年9月、黒海で行われた米国とウクライナが共催した多国間演習「シーブリーズ」に参加。ウクライナ軍などと機雷の水中処分などの訓練をした。自衛隊が紛争当事国ウクライナとの軍事演習に加わること自体、他国から「参戦」と疑われかねない憲法違反行為だが、防衛省はこれを公表せず、中谷防衛相は「艦艇を派遣せず、派遣も少人数にどまったから」と答弁した。
米国が日本に対して、対中国の包囲網へのコミットを求めていることは間違いはないが、3月1日には海自の自衛艦「あきづき」が、2月上旬、単独で台湾海峡を通過していたことも明らかになった。昨年9月、豪州とニュージーランド海軍の艦艇と一緒に通過したのに続く台湾海峡通過で、中国外務省は「日中関係や台湾海峡の平和と安定を乱さないように」と釘を刺した。
日本は「中国への牽制」のつもりだろうが、中国側から見ればこれは「挑発」ということになる。
国会論戦は「軍拡抜き」
高額医療費は基本抜き
今国会の提出の予算案では、防衛費は8兆7000億円。GDPの1・3%余に達している。岸田内閣が「27年度にはGDP2%」を目指し、に、47兆円の防衛費確保を米国に「約束」した路線のもとでの予算編成だが、国会審議ではほとんどこうした論議は行われていなかった。
そんな中で、問題になったのが高額医療費問題だ。この制度は、医療機関や薬局の窓口で支払う医療費が決まった上限額を超えた場合、超えた分の差額を支給する制度 だが、年齢などで制限されている。この上限を切り上げ、支給せずに済まそうとする計画が問題になった。しかし、必要な治療を必要な期間受けて、「健康で文化的な生活」を維持するのは国民の権利だし、これを保障していくのが国の責任であり、それが憲法に定める基本的人権のはずだ。
患者団体の行動などを受けて、石破首相は「見直し」をやめることにしたが、「特殊な一部の人の問題」と思われたのか、大きな論議とはならなかった。だが「生きる権利」は誰でも享受されるべきものだ。必要なのは「制度」を「人権」の面から見直していくことである。
主体性持ち真の国益を
トランプ対応は冷静に
米国大統領に就任したドナルド・トランプの帝国主義的旋風が吹き荒れている。領土・勢力圏拡張、数世紀前の「帝国主義」「植民地主義」を露骨に見せながら、国政を運営、関税を武器に、世界にさまざまな要求を突きつけている。
2月初め訪米した石破首相は、日本企業の巨額な米国投資を首脳会談で表明した。だが「同盟関係」の進展などを約束した日本にも3月12日から、アルミ、鉄鋼などの追加関税が例外なく適用された。
日本は武藤容治経産相が3月10日、ラトニック商務長官らと会談したが、日本を適用外とさせることはできなかった。すでに追加関税では、中国、カナダなどが問題をWTO(世界貿易機関)に提訴したが、4月には自動車についても追加関税を予定しており、「関税を使った国際覇権追求」がどうなっていくかはまだ未知数だが、日本は間違いなく対応を迫られる。
関税を取引のカードとして使いながら、国際世論をも巻き込んでいくトランプの手法に対してやはり重要なのは、日本はあくまで冷静に、そして日本なりに主体的に取り組んでいくことだろう。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年3月25日号
2025年04月10日
【オピニオン】核廃絶こそ「ヒロシマ」の責務だ 安保ただ乗り論再燃 日本の米追従岐路に=難波健治(広島支部)
3月16日朝、テレビの報道番組が速報を伝えた。「米軍がイエメンを空爆。首都サヌアで民間人13人が死亡した」。世界の各地で戦争が続発する時代に入ったのか――そんな不安が頭をよぎった。問題はその約2週間前、ロシアへの対応をめぐるトランプ、ゼレンスキー首脳会談の決裂だ。
ウクライナ侵略後、「核使用」をちらつかせるプーチンを相手に、核超大国2国間主導の「停戦」を持ちかけるトランプの米国。「核廃絶」に背をむける米国の姿勢はトランプ再登場で、新たな局面に突入し、これまでの日本の米国追従が岐路迎え今後どうしていくべきかが改めて問われることとなった。
3月15日、広島では「教科書問題を考える市民ネットワーク・ひろしま」主催の市民シンポジウムが開かれた。シンポは、本紙でも報告してきた2年前の広島G7サミット開催の5月ごろから続く被爆地広島のありようを変質させる一連の出来事の発端に迫り、広島の平和教育を転換させようとする動きの「根っこ」を改めてあぶり出すものとなった。
シンポは広島市の平和教育の副教材『ひろしま平和ノート』の改訂問題を取り上げ、削除された内容と代わりに掲載された文章を比較検討した。
漫画『はだしのゲン』や第五福竜丸事件の記述などが消えた『ひろしま平和ノート』に載ったのは、米国の原爆投下を「許し」、「和解」をすすめる文章だった。
そこから浮かぶ改訂の狙いは、平和学習の課題を「核兵器廃絶」から「核軍縮」に後退させることだ。広島市教委が取り組んだのは、生徒に米国の核抑止政策を受け入れさせる平和教育だったのだ。
そして今、再登場を果たしたトランプ政権は「我々は日本を守らなくてはならないが、日本は米国を守らなくていい」と、日米安保条約に不満を表明した。
大統領令乱発など、やりたい放題の米国の盟主が蒸し返した持論に、私たちはどう対応すべきなのか。トランプ発言を受け、広島支部の仲間はSNSで発信した。
「石破首相は国会で『日本は米軍に基地を提供する義務を負っており、不平等とは思わない』と述べた。私は、トランプ氏がそこまで言うなら日本の米軍基地をすべて撤去してください、と石破首相には言ってほしかった」
「自宅から20`余りのところに、アジア最大級となった米軍岩国基地がある。戦闘機の騒音が聞こえない日はないくらいだ。米兵が事件を起こしても、基地に逃げ込めば日本の警察は原則手を出せない。女性の性被害も多発している。米軍住宅は日本の平均的な住宅よりも格段に立派で、電気代、水道代はタダ、高速道利用も無料だ。これらの経費はすべて私たちの税金から支出されている。『不平等』と言いたいのはこちらの方だ。トランプさん、今すぐ基地を撤去して米兵を本国に帰してください」
日本が米国言いなりで大軍拡を進める背景には、「中国脅威論」がある。その「脅威」は、現実にどのようなかたちで存在するのか、あるいは存在しないのか。その見極めが欠かせない。このことにも、彼は言及した。
混迷を深め、戦争への足音が日を追って高まりつつある世界にあって、私たちは日々起きる出来事の背景にあるものを浮かび上がらせ、事柄の本質を見極める報道を求めている。平和に向けて進むジャーナリズムの実現が、おそらく「戦争か平和か」の分かれ道だ。私たちは報道現場で活動する記者たちとの連携を深めていく努力を続けたい。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年3月25日号
ウクライナ侵略後、「核使用」をちらつかせるプーチンを相手に、核超大国2国間主導の「停戦」を持ちかけるトランプの米国。「核廃絶」に背をむける米国の姿勢はトランプ再登場で、新たな局面に突入し、これまでの日本の米国追従が岐路迎え今後どうしていくべきかが改めて問われることとなった。
3月15日、広島では「教科書問題を考える市民ネットワーク・ひろしま」主催の市民シンポジウムが開かれた。シンポは、本紙でも報告してきた2年前の広島G7サミット開催の5月ごろから続く被爆地広島のありようを変質させる一連の出来事の発端に迫り、広島の平和教育を転換させようとする動きの「根っこ」を改めてあぶり出すものとなった。
シンポは広島市の平和教育の副教材『ひろしま平和ノート』の改訂問題を取り上げ、削除された内容と代わりに掲載された文章を比較検討した。
漫画『はだしのゲン』や第五福竜丸事件の記述などが消えた『ひろしま平和ノート』に載ったのは、米国の原爆投下を「許し」、「和解」をすすめる文章だった。
そこから浮かぶ改訂の狙いは、平和学習の課題を「核兵器廃絶」から「核軍縮」に後退させることだ。広島市教委が取り組んだのは、生徒に米国の核抑止政策を受け入れさせる平和教育だったのだ。
そして今、再登場を果たしたトランプ政権は「我々は日本を守らなくてはならないが、日本は米国を守らなくていい」と、日米安保条約に不満を表明した。
大統領令乱発など、やりたい放題の米国の盟主が蒸し返した持論に、私たちはどう対応すべきなのか。トランプ発言を受け、広島支部の仲間はSNSで発信した。
「石破首相は国会で『日本は米軍に基地を提供する義務を負っており、不平等とは思わない』と述べた。私は、トランプ氏がそこまで言うなら日本の米軍基地をすべて撤去してください、と石破首相には言ってほしかった」
「自宅から20`余りのところに、アジア最大級となった米軍岩国基地がある。戦闘機の騒音が聞こえない日はないくらいだ。米兵が事件を起こしても、基地に逃げ込めば日本の警察は原則手を出せない。女性の性被害も多発している。米軍住宅は日本の平均的な住宅よりも格段に立派で、電気代、水道代はタダ、高速道利用も無料だ。これらの経費はすべて私たちの税金から支出されている。『不平等』と言いたいのはこちらの方だ。トランプさん、今すぐ基地を撤去して米兵を本国に帰してください」
日本が米国言いなりで大軍拡を進める背景には、「中国脅威論」がある。その「脅威」は、現実にどのようなかたちで存在するのか、あるいは存在しないのか。その見極めが欠かせない。このことにも、彼は言及した。
混迷を深め、戦争への足音が日を追って高まりつつある世界にあって、私たちは日々起きる出来事の背景にあるものを浮かび上がらせ、事柄の本質を見極める報道を求めている。平和に向けて進むジャーナリズムの実現が、おそらく「戦争か平和か」の分かれ道だ。私たちは報道現場で活動する記者たちとの連携を深めていく努力を続けたい。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年3月25日号
2025年03月28日
【オピニオン】大統領令乱発 トランプ政権2期目1か月 人類「共存」より「米第一」=丸山 重威
1月20日の就任から1カ月を経て、2期目のトランプ米大統領の政策が次第に明らかになっている。「ウクライナ戦争停戦」「ガザ休戦」などへの「努力」が宣伝されているが、「動機」は巨額な献金と引き換えに約束した「ウクライナのレアメタル開発」と「ガザ海岸のリゾート化」だとも取り沙汰されている。2月下旬までに発せられた大統領令や、覚書、宣言などは公私混同が目立ち、100本を超す乱発ぶりだ。並べてみると、その内容は、国際機関や取り決めからの脱退だけでなく、現代文明の歪みの中で、人類の将来を築くため合意されてきた原則を壊し、「共存」よりまさに「アメリカ第一」の路線を露骨に打ち出している。
目立つ「様子見」
石破首相は2月7日トランプ大統領と会談、共同声明を発表したが、普段政府寄りとされる新聞も「こうした独善的な言動まで、手放しで支持するわけに行かない。日本は、法の支配や国際協調の重要性を粘り強く米側に呼びかけていかねばならない」(読売)「トランプ氏に是々非々で対応すべきなのはいうまでもない。その中には‥‥気候変動や公衆衛生といったグローバルな課題も含まれる」(日経)と批判。多くの新聞の「トランプ流に物申したか」に同調した。しかしまだ就任後間もないこともあって、トランプ大統領の路線には「様子見」だ。
旧態然の国家観
トランプ氏が右翼的思想の持ち主であることは既に明解だが、2期目に当たっての言動は、「ガザは米国が領有する」「カナダを米国の州に」「グリーンランドを領有する」「パナマ運河を米国に」「メキシコ湾をアメリカ湾に」などいかにも旧態依然。
現地のネイティブ・アメリカンを武器で「制圧」して建国し、領土を拡張してきた旧帝国主義時代の発想だ。外国にも、国際法と将来の人類と地球を考える国際常識とは逆の軍隊とカネで世界を支配する政策ばかりだ。
関税にしても、米国の世界支配のために、他国のことは構っていられないという発想で、地球環境などはどうでもよくて「掘って掘って掘りまくれ」と宣言。「わが亡き後に洪水よ来たれ」の政策ばかり。しかもそのカネは、イーロン・マスクに代表されるように、自分に関わりがある大企業の経営者などが獲得する仕組み。戦争も、開発も、自分たちの利益のためには何でも進める構えだ。
問われる主体性
「トランプ流」は、問題を「実利」で考え、「ディール」で物事を処理する。大事なのは、日本が「日米同盟」頼みでなく、中国、東南アジア、韓国などと「立ち位置」を確認して、本当の国益のための外交を構築することだ。
外務省は「同盟国日本の防衛を確約させた」と得意げだが、中国、ロシアとの関係を優先する立場は、「アジアにおける米国の覇権」であって「同盟の絆」などではない。
戦後80年、戦争をしなかった日本、米国も戦争に使うことができなかった日本を改めて見つめ直し、「憲法9条を持つ日本」を旗印に、中国、韓国、東南アジア各国を米国と対等においた主体的な外交を取り戻すチャンスではないだろうか。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年2月25日号
目立つ「様子見」
石破首相は2月7日トランプ大統領と会談、共同声明を発表したが、普段政府寄りとされる新聞も「こうした独善的な言動まで、手放しで支持するわけに行かない。日本は、法の支配や国際協調の重要性を粘り強く米側に呼びかけていかねばならない」(読売)「トランプ氏に是々非々で対応すべきなのはいうまでもない。その中には‥‥気候変動や公衆衛生といったグローバルな課題も含まれる」(日経)と批判。多くの新聞の「トランプ流に物申したか」に同調した。しかしまだ就任後間もないこともあって、トランプ大統領の路線には「様子見」だ。
旧態然の国家観
トランプ氏が右翼的思想の持ち主であることは既に明解だが、2期目に当たっての言動は、「ガザは米国が領有する」「カナダを米国の州に」「グリーンランドを領有する」「パナマ運河を米国に」「メキシコ湾をアメリカ湾に」などいかにも旧態依然。
現地のネイティブ・アメリカンを武器で「制圧」して建国し、領土を拡張してきた旧帝国主義時代の発想だ。外国にも、国際法と将来の人類と地球を考える国際常識とは逆の軍隊とカネで世界を支配する政策ばかりだ。
関税にしても、米国の世界支配のために、他国のことは構っていられないという発想で、地球環境などはどうでもよくて「掘って掘って掘りまくれ」と宣言。「わが亡き後に洪水よ来たれ」の政策ばかり。しかもそのカネは、イーロン・マスクに代表されるように、自分に関わりがある大企業の経営者などが獲得する仕組み。戦争も、開発も、自分たちの利益のためには何でも進める構えだ。
問われる主体性
「トランプ流」は、問題を「実利」で考え、「ディール」で物事を処理する。大事なのは、日本が「日米同盟」頼みでなく、中国、東南アジア、韓国などと「立ち位置」を確認して、本当の国益のための外交を構築することだ。
外務省は「同盟国日本の防衛を確約させた」と得意げだが、中国、ロシアとの関係を優先する立場は、「アジアにおける米国の覇権」であって「同盟の絆」などではない。
戦後80年、戦争をしなかった日本、米国も戦争に使うことができなかった日本を改めて見つめ直し、「憲法9条を持つ日本」を旗印に、中国、韓国、東南アジア各国を米国と対等においた主体的な外交を取り戻すチャンスではないだろうか。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年2月25日号
2025年02月27日
【オピニオン】その場しのぎの公選法改正論議、選挙の本質を黙殺=木下寿国(ライター)
公職選挙法改正案が国会に提出された。背景には昨春行われた東京15区衆院補選以降における選挙の混乱がある。だが議論の成り行きを見ていると、その内容がどうも本質からずれているような気がしてならない。
補選やその後の都知事選、兵庫県知事選で何が起きたのかは、ここでは繰り返さない。しかし、法令に書いてなければ何をやってもオーライという風潮がまん延したことは、だれもが感じているところではないか。そこから公選法の見直しを、という声が出てくるのは当然でもあろう。
だが今のところ、国会で出てきているのは風俗店広告などの営業目的のポスターを掲示してはならない、女性がほぼ全裸になっているような品位を損なうポスターを掲示してはならないなどで、もっと大事だと思われるSNSによる誹謗中傷や「2馬力選挙」に関しては、今後の検討課題となっているようだ。いかにも中途半端だし、対症療法にとどまっているように見える。
そもそも筆者が選挙法っておかしいんじゃないのと最初に感じたのは、振り返ってみれば、大学を卒業して間もなくのころだった。東京銀座辺りのデモ行進で「平和を」とコールしていたら、通行人から「何を言っているんだ。日本はいま平和じゃないか」というような声が聞こえてきた。本当はもっと具体的なことを訴えたかったのだが、選挙期間中はダメだということのようだった。不自由なものだと思った。抽象的にしか口に出せないから、気持ちをはっきり伝えられず、はがゆい思いをしたことをいまでも覚えている。
公選法で本当によくわからないのは、戸別訪問の禁止だ。それをして支持を訴えると有権者の投票の自由を奪うことになるらしい。しかし自宅などに来た人に投票を依頼したり、知人などに電話掛けしたりすることはオーケイなのだ。両者の間になにか決定的な質の違いでもあるというのだろうか。
要するに、これは運動する側の“足”の有無にかかわることなのだろうと理解している。昔から草の根運動が得意なのは公明党や共産党ということに決まっている。戸別訪問も可ということになれば、地域をこまめに回る気もなくそんな部隊もない自民党などには圧倒的に不利になるだろう。だから、というわけだ。
選挙プランナーの大濱崎卓真氏は「戦後政治のほとんどの期間、自民党が与党です。そのため、選挙のルールも、自民党の思惑と密接に関係していると私は見ています」(「『コンテンツ化』した選挙を考える 普通選挙法100年の現在と未来」朝日新聞デジタル2・4、14:00)と述べている。公選法改正のこれまでの動きには野党の協力もあったという学者の指摘もあるが、基本的には与党・自民党の思惑や都合が反映されてきたのだろうと考えている。
選挙運動期間が公選法制定時の30日から9回の改正を経て12日(衆議員)と三分の一強まで短縮されてきたのは、金と労力を節約するため選挙運動をさっさと切り上げたい与党側の意識の露骨な表れとしか思えない。そんなに短い期間で、有権者は複雑な国政の何を理解できるというのだろうか。立候補者はといえば、いきおい名前を連呼するしかなくなる。
昨年の総選挙で弊害が目立ったのは、投票権の問題だったろう。地震で被害を受けた能登半島やその他の地方では、投票所が減らされたり投票時間の終わりが繰り上げられたりした。能登では投票に行くこと自体が難しい被災者もいたといわれる。にもかかわらず選挙は強行され、関係者の人手不足を理由に有権者の投票権が事実上制限される事態に追い込まれたのだ。筆者は、これはたいへんなことになりそうだと感じていたが、終わってみればほとんど問題にもされなかった。
いまの公選法をめぐる議論を眺めていると、表面的な部分をなぞっているだけのような気がする。問題は、ネットにかかわるものだけではない。立候補者がさまざまな政治課題を訴え有権者にじっくり判断してもらう、投票権を確保する、言い換えれば有権者に真の意味で政治に参加してもらうといった本質的な側面があまりにも軽んじられているのではないか。選挙本来の役割や機能を深めていくための議論がなおざりにされたままなのだ。いや、むしろその正反対に進んできたようにさえ見える。
補選やその後の都知事選、兵庫県知事選で何が起きたのかは、ここでは繰り返さない。しかし、法令に書いてなければ何をやってもオーライという風潮がまん延したことは、だれもが感じているところではないか。そこから公選法の見直しを、という声が出てくるのは当然でもあろう。
だが今のところ、国会で出てきているのは風俗店広告などの営業目的のポスターを掲示してはならない、女性がほぼ全裸になっているような品位を損なうポスターを掲示してはならないなどで、もっと大事だと思われるSNSによる誹謗中傷や「2馬力選挙」に関しては、今後の検討課題となっているようだ。いかにも中途半端だし、対症療法にとどまっているように見える。
そもそも筆者が選挙法っておかしいんじゃないのと最初に感じたのは、振り返ってみれば、大学を卒業して間もなくのころだった。東京銀座辺りのデモ行進で「平和を」とコールしていたら、通行人から「何を言っているんだ。日本はいま平和じゃないか」というような声が聞こえてきた。本当はもっと具体的なことを訴えたかったのだが、選挙期間中はダメだということのようだった。不自由なものだと思った。抽象的にしか口に出せないから、気持ちをはっきり伝えられず、はがゆい思いをしたことをいまでも覚えている。
公選法で本当によくわからないのは、戸別訪問の禁止だ。それをして支持を訴えると有権者の投票の自由を奪うことになるらしい。しかし自宅などに来た人に投票を依頼したり、知人などに電話掛けしたりすることはオーケイなのだ。両者の間になにか決定的な質の違いでもあるというのだろうか。
要するに、これは運動する側の“足”の有無にかかわることなのだろうと理解している。昔から草の根運動が得意なのは公明党や共産党ということに決まっている。戸別訪問も可ということになれば、地域をこまめに回る気もなくそんな部隊もない自民党などには圧倒的に不利になるだろう。だから、というわけだ。
選挙プランナーの大濱崎卓真氏は「戦後政治のほとんどの期間、自民党が与党です。そのため、選挙のルールも、自民党の思惑と密接に関係していると私は見ています」(「『コンテンツ化』した選挙を考える 普通選挙法100年の現在と未来」朝日新聞デジタル2・4、14:00)と述べている。公選法改正のこれまでの動きには野党の協力もあったという学者の指摘もあるが、基本的には与党・自民党の思惑や都合が反映されてきたのだろうと考えている。
選挙運動期間が公選法制定時の30日から9回の改正を経て12日(衆議員)と三分の一強まで短縮されてきたのは、金と労力を節約するため選挙運動をさっさと切り上げたい与党側の意識の露骨な表れとしか思えない。そんなに短い期間で、有権者は複雑な国政の何を理解できるというのだろうか。立候補者はといえば、いきおい名前を連呼するしかなくなる。
昨年の総選挙で弊害が目立ったのは、投票権の問題だったろう。地震で被害を受けた能登半島やその他の地方では、投票所が減らされたり投票時間の終わりが繰り上げられたりした。能登では投票に行くこと自体が難しい被災者もいたといわれる。にもかかわらず選挙は強行され、関係者の人手不足を理由に有権者の投票権が事実上制限される事態に追い込まれたのだ。筆者は、これはたいへんなことになりそうだと感じていたが、終わってみればほとんど問題にもされなかった。
いまの公選法をめぐる議論を眺めていると、表面的な部分をなぞっているだけのような気がする。問題は、ネットにかかわるものだけではない。立候補者がさまざまな政治課題を訴え有権者にじっくり判断してもらう、投票権を確保する、言い換えれば有権者に真の意味で政治に参加してもらうといった本質的な側面があまりにも軽んじられているのではないか。選挙本来の役割や機能を深めていくための議論がなおざりにされたままなのだ。いや、むしろその正反対に進んできたようにさえ見える。
2025年02月17日
【オピニオン】国家賠償と核廃絶 被団協の訴えにどう応える=藤元康之(広島支部)
「1994年12月、2法を合体した『原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律』が制定されましたが、何十万人という死者に対する補償は一切なく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けてきています。もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたいと思います」
日本被団協の田中煕巳代表委員のノーベル平和賞受賞式演説で、私が一番感動したところだ。しかし、中継したNHKニュースや直後のテレビ朝日報道ステーションでは、何の説明も解説もなかった。翌日からの報道で「もう一度繰り返します」のところは、用意した原稿にはなく、「いまの世界情勢を考えると、繰り返して言わなければと衝動的に思った」と田中さんは明かしている。
被団協の二つの基本要求は演説のなかで分かりやすく述べられている。一つは、日本政府の「戦争の被害は国民が受忍しなければならない」との主張にあらがい、原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償われなければならないという運動。二つは、核兵器は極めて非人道的な殺戮兵器であり人類とは共存させてはならない、すみやかに廃絶しなければならない、という運動である。
演説は、原爆死没者への日本政府の補償と言っているが、意味するところは戦争を起こす全ての国家の責任を断罪しているのだと思う。米国による原爆投下から80年も経つのに、再び核戦争の危機が充満する世界にあって、戦争は誤った国策によって国家が起こすこと、それを止める大きな役割をジャーナリストが担っていることを、再認識したい。
残念なことに、広島市の松井一実市長は記者会見で、国家補償を求める被団協の運動は、大切なことと述べながらも、世界から評価されたのは平和や核廃絶を訴える運動に限られているとの見解を述べた。この人は、パールハーバーと広島平和公園の「姉妹協定」締結や市職員研修で教育勅語を肯定的に引用するなど、私から見れば世間常識とはかなりずれていると思うのだが、今回も独自見解を披露してくれた。ただ、これも残念なことに広島のメディアでさえ大きく報じられなかった。
フリー記者の宮崎園子さんのYahooニュースによると、田中さんは「核兵器廃絶と国家補償という私たちの二つの基本要求によって『核のタブー』が形成されたということについて、ノーベル委員会は適切に理解してくださっている」と述べ、ノーベル委員会からは、事前原稿ではなく実際のスピーチの内容を正式文書として残すとの説明を受けたという。
日本国憲法前文は「日本国民は……政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し……」で始まる。80年前に終わった戦争は、政府=国家が起こしたと明記し、二度としないことを日本国民は決意した。しかし、自民党の憲法改正草案(12年)では、この大切な文言は削除され「平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する」と、戦争の反省も不戦の誓いも感じられないものになった。そして被爆地広島から選出された岸田文雄前首相は、米国の要求に従って、中国に対抗する軍事力増強に舵を切った。米国のトランプ新大統領は防衛費のさらなる増額を要求すると言われている。
昭和100年、戦後80年のことし、年老いた被爆者の訴えに私たちは、どう応えるのか、きわめて大切な1年になる。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年1月25日号
日本被団協の田中煕巳代表委員のノーベル平和賞受賞式演説で、私が一番感動したところだ。しかし、中継したNHKニュースや直後のテレビ朝日報道ステーションでは、何の説明も解説もなかった。翌日からの報道で「もう一度繰り返します」のところは、用意した原稿にはなく、「いまの世界情勢を考えると、繰り返して言わなければと衝動的に思った」と田中さんは明かしている。
被団協の二つの基本要求は演説のなかで分かりやすく述べられている。一つは、日本政府の「戦争の被害は国民が受忍しなければならない」との主張にあらがい、原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償われなければならないという運動。二つは、核兵器は極めて非人道的な殺戮兵器であり人類とは共存させてはならない、すみやかに廃絶しなければならない、という運動である。
演説は、原爆死没者への日本政府の補償と言っているが、意味するところは戦争を起こす全ての国家の責任を断罪しているのだと思う。米国による原爆投下から80年も経つのに、再び核戦争の危機が充満する世界にあって、戦争は誤った国策によって国家が起こすこと、それを止める大きな役割をジャーナリストが担っていることを、再認識したい。
残念なことに、広島市の松井一実市長は記者会見で、国家補償を求める被団協の運動は、大切なことと述べながらも、世界から評価されたのは平和や核廃絶を訴える運動に限られているとの見解を述べた。この人は、パールハーバーと広島平和公園の「姉妹協定」締結や市職員研修で教育勅語を肯定的に引用するなど、私から見れば世間常識とはかなりずれていると思うのだが、今回も独自見解を披露してくれた。ただ、これも残念なことに広島のメディアでさえ大きく報じられなかった。
フリー記者の宮崎園子さんのYahooニュースによると、田中さんは「核兵器廃絶と国家補償という私たちの二つの基本要求によって『核のタブー』が形成されたということについて、ノーベル委員会は適切に理解してくださっている」と述べ、ノーベル委員会からは、事前原稿ではなく実際のスピーチの内容を正式文書として残すとの説明を受けたという。
日本国憲法前文は「日本国民は……政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し……」で始まる。80年前に終わった戦争は、政府=国家が起こしたと明記し、二度としないことを日本国民は決意した。しかし、自民党の憲法改正草案(12年)では、この大切な文言は削除され「平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する」と、戦争の反省も不戦の誓いも感じられないものになった。そして被爆地広島から選出された岸田文雄前首相は、米国の要求に従って、中国に対抗する軍事力増強に舵を切った。米国のトランプ新大統領は防衛費のさらなる増額を要求すると言われている。
昭和100年、戦後80年のことし、年老いた被爆者の訴えに私たちは、どう応えるのか、きわめて大切な1年になる。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年1月25日号
2025年02月10日
【オピニオン】増える貧困若者、高齢者たたく世代間対立≠フ解決法は=木下寿国
今年は団塊の世代が75歳以上となり、社会保障財源などへの圧迫が強まるのだという。そこから「2025年問題」などという呼称まで生まれているらしい。
政府は、高齢者が増えると現役世代の負担増が必須になると強調してきた。それを擁護するかのように、成田悠輔氏による「高齢者の集団自決」論が世論をにぎわした。このような言説が、現役世代、最近ではとりわけ若い世代と高齢世代の利害は相いれないものだとする世代間対立の背景をなしている。
こうした状況の中でマスコミは、政府や一部野党の言い分である「税と社会保障の一体改革」を持ち上げ、財源となる消費税増税を主張する。それを回避すれば、ツケは将来世代に先送りされるのだという。
だが、ここには論点の大きなすり替えがある。社会保障や貧困問題の研究に取り組んできた唐鎌直義・佐久大学教授は、こう指摘する。「そもそも社会保障は、世代間で支え合うものではありません」(「赤旗」1.6)。税の社会的再配分(再分配)を行うものだという。わかりやすく言えば、同世代内で分かち合うものだということだ。経済的にゆとりのある層が、ない層を支える。つまり「応能負担の原則」、これが社会保障本来の基礎的概念だともいえる。
そこを意図的にゆがめているのが政府であり、マスコミは往々にしてそのお先棒を担いでいる。現実は、大企業減税や富裕層優遇税制が野放し状態にある。応能負担原則をないがしろにしたままで、低所得層により負担の重い消費税増税に頼る「一体改革」を進めれば進めるほど、社会的ゆがみは拡大してゆくしかない。
高齢世代をたたいたところで、いまある社会問題が解決しそうにないことは少し考えてみればわかりそうなものだ。だが、ここに一歩踏み込んでみるべき問題が存在する。筆者はこれに関連して「X」で少しばかりからまれた経験があるが、そこで気づいたのは、要するに高齢者を攻撃する多くの若者が本当に言いたいのは、自分たちが苦しんでいるということなのではないか。だから、頼るものが何もない自分たちからすれば、いろいろな制度があって恵まれているように見える高齢者をたたきたくなる。それでウサをはらしたくなる。
阿部彩・東京都立大学教授の貧困研究(「相対的貧困率の動向」2021、24)によると、この数年間に20代前半の相対的貧困率は目立ってアップした。若者の貧困状態が厳しさを増しているのだ。世代間対立を煽り立てているのは、政府やマスコミのミスリードによるところももちろんあろうが、同時に若者が実際に厳しい現実に追い込まれていることも大いに関連しているに違いない。
さきの唐鎌氏は「社会保障から遠ざけられている若い世代や非正規雇用に置かれた人の暮らしぶりにもっと目を向ける必要がある」と注意を喚起している。世代間対立をよりましな方向に持っていけるかどうかは、若い世代の悩みに具体的にこたえられるかどうかにもかかっているといえよう。
個人的には解決策の一つとして、住宅問題への取り組みを挙げたい。住宅政策を人々の貧困を包括する社会保障として立て直してゆくのだ。若い世代も公営住宅に入れるようにしたり(そのためには、現状の閉鎖的な公営住宅政策の見直しが必要だ)、普遍的な住宅補助の実現で住宅費負担を軽減したりできれば、それだけでも低収入の若い世代にとっては大きな助けになるだろう。何よりそれは、孤立感を抱いているかもしれない若い世代への社会の応援歌ともなるはずだ。
政府は、高齢者が増えると現役世代の負担増が必須になると強調してきた。それを擁護するかのように、成田悠輔氏による「高齢者の集団自決」論が世論をにぎわした。このような言説が、現役世代、最近ではとりわけ若い世代と高齢世代の利害は相いれないものだとする世代間対立の背景をなしている。
こうした状況の中でマスコミは、政府や一部野党の言い分である「税と社会保障の一体改革」を持ち上げ、財源となる消費税増税を主張する。それを回避すれば、ツケは将来世代に先送りされるのだという。
だが、ここには論点の大きなすり替えがある。社会保障や貧困問題の研究に取り組んできた唐鎌直義・佐久大学教授は、こう指摘する。「そもそも社会保障は、世代間で支え合うものではありません」(「赤旗」1.6)。税の社会的再配分(再分配)を行うものだという。わかりやすく言えば、同世代内で分かち合うものだということだ。経済的にゆとりのある層が、ない層を支える。つまり「応能負担の原則」、これが社会保障本来の基礎的概念だともいえる。
そこを意図的にゆがめているのが政府であり、マスコミは往々にしてそのお先棒を担いでいる。現実は、大企業減税や富裕層優遇税制が野放し状態にある。応能負担原則をないがしろにしたままで、低所得層により負担の重い消費税増税に頼る「一体改革」を進めれば進めるほど、社会的ゆがみは拡大してゆくしかない。
高齢世代をたたいたところで、いまある社会問題が解決しそうにないことは少し考えてみればわかりそうなものだ。だが、ここに一歩踏み込んでみるべき問題が存在する。筆者はこれに関連して「X」で少しばかりからまれた経験があるが、そこで気づいたのは、要するに高齢者を攻撃する多くの若者が本当に言いたいのは、自分たちが苦しんでいるということなのではないか。だから、頼るものが何もない自分たちからすれば、いろいろな制度があって恵まれているように見える高齢者をたたきたくなる。それでウサをはらしたくなる。
阿部彩・東京都立大学教授の貧困研究(「相対的貧困率の動向」2021、24)によると、この数年間に20代前半の相対的貧困率は目立ってアップした。若者の貧困状態が厳しさを増しているのだ。世代間対立を煽り立てているのは、政府やマスコミのミスリードによるところももちろんあろうが、同時に若者が実際に厳しい現実に追い込まれていることも大いに関連しているに違いない。
さきの唐鎌氏は「社会保障から遠ざけられている若い世代や非正規雇用に置かれた人の暮らしぶりにもっと目を向ける必要がある」と注意を喚起している。世代間対立をよりましな方向に持っていけるかどうかは、若い世代の悩みに具体的にこたえられるかどうかにもかかっているといえよう。
個人的には解決策の一つとして、住宅問題への取り組みを挙げたい。住宅政策を人々の貧困を包括する社会保障として立て直してゆくのだ。若い世代も公営住宅に入れるようにしたり(そのためには、現状の閉鎖的な公営住宅政策の見直しが必要だ)、普遍的な住宅補助の実現で住宅費負担を軽減したりできれば、それだけでも低収入の若い世代にとっては大きな助けになるだろう。何よりそれは、孤立感を抱いているかもしれない若い世代への社会の応援歌ともなるはずだ。
2024年11月16日
【オピニオン】最高裁はこれでいいのか 歪む司法制度=丸山重威
「裏金解散」の結果が注目される総選挙と一緒に投票される最高裁判所の国民審査は、その制度も含め考えられなければならない課題だ。
国民審査は憲法79条に規定され、「国民審査で過半数の信任を得られなかった裁判官は罷免される」。状況を考えると、罷免される裁判官が出てくるとは考えにくい。だが、「不信任」の投票は、裁判所に対する国民意識が判断される唯一の機会。考えてみる価値はある。
問われる司法
今年のJCJ賞、後藤秀典さんの「東京電力の変節 最高裁・司法エリートとの癒着と原発被災者攻撃」のベースになったのは,雑誌『経済』23年5月号の論文「国に責任はない 原発国賠訴訟・最高裁判決は誰がつくったか 裁判所、国、東京電力、巨大法律事務所の系譜」だった。
国の主張を容れ、巨大弁護事務所と癒着し、元最高裁裁判官の意見書を受け入れる…。後藤レポートで明らかにされた裁判所と巨大法律事務所との癒着は、司法の独立から見れば、まさに「スキャンダル」だ。
原発事故の国の責任を否定した22年6月17日の最高裁判決は、その結果、生まれた。それがいまの仕組みだ。
憲法と安保
全国で闘われている「安保法制違憲訴訟」も例外ではない。憲法学者にいわせれば、安保法制は明らかに違憲で、国会で、自民党推薦の学者まで「憲法違反だ」という意見が述べられていた記憶に新しい。米軍駐留を認めなかった「伊達判決」が改めて議論される状況にもある。
だが、「司法消極主義」の結果か、安保法制違憲の判決は出てこない。本来国民的論議が必要なはずで、憲法学からいえば「専守防衛」という考え方も問題にされなければならないはずだ。
裏金事件で問題になった企業,団体の政治資金拠出」も、「参政権」がない「法人」にも政治参加を認めるかのような論理だ。
これが認められた結果、政府・与党は大いばりで「禁止できない」というが、これまた明らかに問題だ。
「人権」に対する考え方も、国連からさまざまな形で国連から批判されている。問われているのは、「司法の在り方」である。
10回目の再審請求
今回の国民審査で対象になっているのは、宮川美津子(弁護士出身)中村慎(裁判官出身)今崎幸彦(裁判官出身)石兼公博(行政官、外務省出身)平木正洋(裁判官出身)の6人だ。石兼、平木裁判官は最高裁ではまだ関与事件がないが、他の裁判官はすでにいくつかの最高裁判決に関わった。「優生保護法違憲判決」は全員一致だったし、「統一教会念書無効」判決には尾島、今崎裁判官が、多数意見に加わった。今崎裁判官は「名張毒ぶどう酒事件」の10回目の再審請求を、「認めない」多数意見に加わった。
今回の国民審査で、どんな結果が出るのか。そのことは何を意味しているのか、改めて裁判所の在り方を論じていくことが重要だ。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年10月25日号
国民審査は憲法79条に規定され、「国民審査で過半数の信任を得られなかった裁判官は罷免される」。状況を考えると、罷免される裁判官が出てくるとは考えにくい。だが、「不信任」の投票は、裁判所に対する国民意識が判断される唯一の機会。考えてみる価値はある。
問われる司法
今年のJCJ賞、後藤秀典さんの「東京電力の変節 最高裁・司法エリートとの癒着と原発被災者攻撃」のベースになったのは,雑誌『経済』23年5月号の論文「国に責任はない 原発国賠訴訟・最高裁判決は誰がつくったか 裁判所、国、東京電力、巨大法律事務所の系譜」だった。
国の主張を容れ、巨大弁護事務所と癒着し、元最高裁裁判官の意見書を受け入れる…。後藤レポートで明らかにされた裁判所と巨大法律事務所との癒着は、司法の独立から見れば、まさに「スキャンダル」だ。
原発事故の国の責任を否定した22年6月17日の最高裁判決は、その結果、生まれた。それがいまの仕組みだ。
憲法と安保
全国で闘われている「安保法制違憲訴訟」も例外ではない。憲法学者にいわせれば、安保法制は明らかに違憲で、国会で、自民党推薦の学者まで「憲法違反だ」という意見が述べられていた記憶に新しい。米軍駐留を認めなかった「伊達判決」が改めて議論される状況にもある。
だが、「司法消極主義」の結果か、安保法制違憲の判決は出てこない。本来国民的論議が必要なはずで、憲法学からいえば「専守防衛」という考え方も問題にされなければならないはずだ。
裏金事件で問題になった企業,団体の政治資金拠出」も、「参政権」がない「法人」にも政治参加を認めるかのような論理だ。
これが認められた結果、政府・与党は大いばりで「禁止できない」というが、これまた明らかに問題だ。
「人権」に対する考え方も、国連からさまざまな形で国連から批判されている。問われているのは、「司法の在り方」である。
10回目の再審請求
今回の国民審査で対象になっているのは、宮川美津子(弁護士出身)中村慎(裁判官出身)今崎幸彦(裁判官出身)石兼公博(行政官、外務省出身)平木正洋(裁判官出身)の6人だ。石兼、平木裁判官は最高裁ではまだ関与事件がないが、他の裁判官はすでにいくつかの最高裁判決に関わった。「優生保護法違憲判決」は全員一致だったし、「統一教会念書無効」判決には尾島、今崎裁判官が、多数意見に加わった。今崎裁判官は「名張毒ぶどう酒事件」の10回目の再審請求を、「認めない」多数意見に加わった。
今回の国民審査で、どんな結果が出るのか。そのことは何を意味しているのか、改めて裁判所の在り方を論じていくことが重要だ。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年10月25日号
2024年09月19日
【79年目原爆忌】長崎 祈念式典に政治的圧力=関口達夫(元長崎放送記者)
8月9日の長崎市平和祈念式典は、原爆死没者を追悼する厳粛な儀式である。その式典に今年、欧米主要国が政治的圧力をかけ、被爆者らの反発を招く異例の事態となった。
長崎市がガザへの攻撃を続けるイスラエルを式典に招待しなかったことに日本を除くG7のアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、カナダとEU(欧州連合)が納得せず、駐日大使を式典に出席させなかったのだ。
ガザでは子どもや老人など約4万人が殺害されており、世界各地でイスラエルに対する抗議行動が続いている。この状況を踏まえ長崎市は、式典に対する抗議行動など不測の事態が懸念されるとしてロシア、ベラルーシに加え、イスラエルを招待しなかった。その一方でパレスチナは招待した。
欧米の主要国はこれに対して、長崎市に書簡を送り、「イスラエルのガザ攻撃は自衛権に基づくもの」で招待しないとロシア、ベラルーシと同列に扱うことになり、「誤解を招く」と牽制。式典当日には駐日大使を欠席させ、代わりに格下の領事などを出席させた。
鈴木史朗市長=写真=は、「イスラエルを招待しなかったのは政治的な理由ではない。式典を平穏に実施するためだ」と強調した。
長崎市の対応について被爆者団体代表田中重光さんは、「イスラエルのガザ攻撃は、自衛権の範囲を超え、虐殺だ。招待しなかったのは正しい判断」と評価した。別の被爆者団体代表川野浩一さんは、「アメリカなどが、原爆犠牲者を弔うという式典に政治的圧力をかけたのは許せない」と憤った。
広島市は、8月6日の平和記念式典にロシアとベラルーシ、パレスチナを招待しなかった一方、イスラエルは招待しており、長崎市と対応が分かれた。
結果だけ見ると長崎市は、欧米主要国の圧力に屈しなかったように写る。しかし、鈴木市長は、元国交省官僚で「平和宣言」では日本政府やアメリカに忖度した形跡がある。
長崎の「平和宣言」は、学識経験者や被爆者団体代表などで作る平和宣言起草委員会の意見をもとに作成される。
当初の宣言案では「核保有国ロシアと核保有疑惑国イスラエルによる大きな戦闘が進行している」と書かれていたが、最終の平和宣言では「中東での武力紛争」と変更された。
これについて起草委員会では「人間の痛みを知る被爆地は、イスラエルによる人権侵害を看過できない」として、イスラエル削除に批判的な意見が出された。
鈴木市長が、イスラエルを招待しなかったのはこうした市民の意見を無視できなかったためではないか。
だとすれば市民意識と発言が市長の判断に影響を与え、欧米主要国の圧力を跳ね返したことになる。
今回の問題は、国際政治と国内政治の影響を受ける被爆地の平和行政を市民が監視し、是正させる重要性を示したと感じている。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年8月25日号
2024年09月18日
【オピニオン】「核の傘」強化 日本が確認=丸山 重威
日米両政府は7月28日、東京で上川外相・ブリンケン国務長官、木原防衛相・オースティン国防長官による担当閣僚会議(2+2)を開き、自衛隊と米軍の指揮、統制の「連携強化」を確認した。今回は通常の「2+2」(日米安全保障協議委員会)と併せ、「核の傘」を具体化する「拡大抑止閣僚会議」も初めて開催。日本の有事に「核を含む米国の軍事力」で対抗することを確認した、とされる。
岸田内閣が「戦後安保政策の大転換」を打ち出し「専守防衛」から「同盟による拡大抑止」に踏み切り、「非核三原則」も捨てて、「核抑止論」に立った「日米防衛協力指針(ガイドライン)」の具体化に進んだ形だ。戦後79年、改めて、「核抑止論」では平和は守れない。核廃絶を」の声を広げていかなければならない。
核「先制不使用」反対は日本
米国では、2016年、終焉が近づいたオバマ政権が、戦略見直しの討議の中で「核兵器先制不使用宣言」を計画、実施しようとした。ところがこれに反対したのが日本。計画は頓挫した。
東京新聞2021年4月6日付ワシントン金杉電は、当時の国務省の担当官の証言を次のように紹介している。
「同盟国の一部の中でも特に日本が『宣言は同盟国を守る米国の決意について、中国に間違ったサインを送る』と懸念を示したと説明。『このことがオバマ大統領が当時、先制不使用政策の断念を決定した理由だった』と明らかにした。(トーマス・カントリーマン元国務次官補)
報道によると、この意見表明を契機に、日米韓の「拡大抑止協議」が始まったが、閣僚レベルの協議は今回が初めてで、結局、日本政府が米国に抱きつく形で認めさせた「核の傘」政策を、この際、閣僚レベルで再確認。「核廃絶」に傾く世界に「待った」を掛け、「核による平和」キャンペーンにしようとの米国の世界戦略にも沿った政策だ。
朝中露「警戒論」を展開
今回、共同発表では、@北朝鮮による安定を損なう継続的な行動と核・弾道ミサイル計画の追求A中国の加速している透明性を欠いた核戦力の拡大B北朝鮮への軍事協力を含むロシアの軍備管理態勢と国際的な不拡散体制の毀損―をあげ、「同盟の抑止態勢を強化し、軍備管理、リスク低減及び不拡散を通じて、既存の及び新たな戦略的脅威を管理する必要性を再確認した」と、朝中露3国への「警戒論」を展開。日本の非核三原則にも触れず、巧妙に「核抑止論」に誘導している。
岸田内閣は、昨年のサミットでは「核廃絶」ではなく「核抑止論」に立った宣言を主導したが、ことしの慰霊式でも、国連事務総長メッセージや平和宣言が、日本政府の「核廃絶」や「核兵器禁止条約」への行動を促しているのに背を向け、「核兵器保有国と非保有国の仲介をする」と言うだけ。国民的批判は高まっている。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年8月25日号
岸田内閣が「戦後安保政策の大転換」を打ち出し「専守防衛」から「同盟による拡大抑止」に踏み切り、「非核三原則」も捨てて、「核抑止論」に立った「日米防衛協力指針(ガイドライン)」の具体化に進んだ形だ。戦後79年、改めて、「核抑止論」では平和は守れない。核廃絶を」の声を広げていかなければならない。
核「先制不使用」反対は日本
米国では、2016年、終焉が近づいたオバマ政権が、戦略見直しの討議の中で「核兵器先制不使用宣言」を計画、実施しようとした。ところがこれに反対したのが日本。計画は頓挫した。
東京新聞2021年4月6日付ワシントン金杉電は、当時の国務省の担当官の証言を次のように紹介している。
「同盟国の一部の中でも特に日本が『宣言は同盟国を守る米国の決意について、中国に間違ったサインを送る』と懸念を示したと説明。『このことがオバマ大統領が当時、先制不使用政策の断念を決定した理由だった』と明らかにした。(トーマス・カントリーマン元国務次官補)
報道によると、この意見表明を契機に、日米韓の「拡大抑止協議」が始まったが、閣僚レベルの協議は今回が初めてで、結局、日本政府が米国に抱きつく形で認めさせた「核の傘」政策を、この際、閣僚レベルで再確認。「核廃絶」に傾く世界に「待った」を掛け、「核による平和」キャンペーンにしようとの米国の世界戦略にも沿った政策だ。
朝中露「警戒論」を展開
今回、共同発表では、@北朝鮮による安定を損なう継続的な行動と核・弾道ミサイル計画の追求A中国の加速している透明性を欠いた核戦力の拡大B北朝鮮への軍事協力を含むロシアの軍備管理態勢と国際的な不拡散体制の毀損―をあげ、「同盟の抑止態勢を強化し、軍備管理、リスク低減及び不拡散を通じて、既存の及び新たな戦略的脅威を管理する必要性を再確認した」と、朝中露3国への「警戒論」を展開。日本の非核三原則にも触れず、巧妙に「核抑止論」に誘導している。
岸田内閣は、昨年のサミットでは「核廃絶」ではなく「核抑止論」に立った宣言を主導したが、ことしの慰霊式でも、国連事務総長メッセージや平和宣言が、日本政府の「核廃絶」や「核兵器禁止条約」への行動を促しているのに背を向け、「核兵器保有国と非保有国の仲介をする」と言うだけ。国民的批判は高まっている。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年8月25日号
2024年09月14日
【オピニオン】「戦争の危機」を煽る政治とメディアの欺瞞を撃つ=梅田正己(書籍編集者)
「今日のウクライナは、明日の東アジアかもしれません」
今年4月11日、岸田首相が米国議会で行なった演説の一節である。だから、防衛予算を倍増して大軍拡をするとともに、日米同盟の防衛力を一段と強化する必要があるのです、となる。
しかし、本当に東アジアに戦争の危機が迫っているのだろうか?
◆東アジアの「脅威」の実態
一昨年12月、岸田内閣が閣議決定した「安保3文書」では危機(脅威)の発生源を、ロシア、北朝鮮、中国と特定していた。
ロシアは確かにウクライナを戦火の中にたたき込んだ。だがそれは独裁者プーチンの「大ロシア思想」によるものだ。いかに帝国主義者プーチンといえども、宗谷海峡をこえて北海道に侵攻することなどあり得ない。
北朝鮮もミサイルと核開発に固執している。だがそれは、米国との交渉力を手に入れて、70年来の潜在的「交戦状態」を解消、経済制裁の解除とともに、日本とも国交を回復して60年前の日韓基本条約並みの植民地支配に対する補償と経済協力を得たいためだ。
中国・習近平政権の香港問題や南シナ海問題にみるような、強引で一方的な自己主張には、たしかに目に余るものがある。しかし「中国は一つ」を振りかざしての台湾攻略のリアリティーとなると、問題は別だ。
半導体にみるように台湾の経済発展はめざましい。それに台湾の世論は圧倒的に「現状維持」だ。その台湾を武力でねじ伏せるなんてできるわけがない。
ウクライナに倍する軍事力をもつプーチンのロシアも、2年半を費やしながらいまだ東南部4州の制圧にも手を焼いている。
まして中台の間は台湾海峡で隔てられている。ミサイルだけでは台湾は制圧できない。陸軍による上陸作戦が絶対に必要だ。今から79年前、面積が台湾の30分の1の沖縄本島への上陸作戦でも、米軍は1500隻の艦艇で周囲の海を埋め尽くし、55万人の兵力を必要とした。
加えて、その上陸作戦を世界中がリアルタイムで注視することになる。台湾攻略の非現実性はこれだけでも明らかだ。
◆岸田発言の真偽の検証を
にもかかわらず「台湾有事は日本有事である」とバカな政治家が言った。そして実際、岸田政権は軍事予算を増額して南西諸島にミサイル基地を新設し、日米両軍は「作戦司令部」を統合し、いまこの一文を書いている8月初旬、両軍合同による最大の訓練を実施中である。
「今日のウクライナは明日の東アジア」の岸田発言を、マスメディアは伝えた。しかし伝えるだけで真偽については全く検証しなかった。ということは、岸田発言を容認し、結果として「東アジアの危機」なる現状認識を黙認したということだ。
SNSの時代とはいえ、国民世論の動向にはマスメディアが決定的に影響する。私はいま、岸田発言の真偽について各新聞社の論説委員室が徹底論議し、その論議の過程と結論を読者に伝えてほしいと思う。
今年4月11日、岸田首相が米国議会で行なった演説の一節である。だから、防衛予算を倍増して大軍拡をするとともに、日米同盟の防衛力を一段と強化する必要があるのです、となる。
しかし、本当に東アジアに戦争の危機が迫っているのだろうか?
◆東アジアの「脅威」の実態
一昨年12月、岸田内閣が閣議決定した「安保3文書」では危機(脅威)の発生源を、ロシア、北朝鮮、中国と特定していた。
ロシアは確かにウクライナを戦火の中にたたき込んだ。だがそれは独裁者プーチンの「大ロシア思想」によるものだ。いかに帝国主義者プーチンといえども、宗谷海峡をこえて北海道に侵攻することなどあり得ない。
北朝鮮もミサイルと核開発に固執している。だがそれは、米国との交渉力を手に入れて、70年来の潜在的「交戦状態」を解消、経済制裁の解除とともに、日本とも国交を回復して60年前の日韓基本条約並みの植民地支配に対する補償と経済協力を得たいためだ。
中国・習近平政権の香港問題や南シナ海問題にみるような、強引で一方的な自己主張には、たしかに目に余るものがある。しかし「中国は一つ」を振りかざしての台湾攻略のリアリティーとなると、問題は別だ。
半導体にみるように台湾の経済発展はめざましい。それに台湾の世論は圧倒的に「現状維持」だ。その台湾を武力でねじ伏せるなんてできるわけがない。
ウクライナに倍する軍事力をもつプーチンのロシアも、2年半を費やしながらいまだ東南部4州の制圧にも手を焼いている。
まして中台の間は台湾海峡で隔てられている。ミサイルだけでは台湾は制圧できない。陸軍による上陸作戦が絶対に必要だ。今から79年前、面積が台湾の30分の1の沖縄本島への上陸作戦でも、米軍は1500隻の艦艇で周囲の海を埋め尽くし、55万人の兵力を必要とした。
加えて、その上陸作戦を世界中がリアルタイムで注視することになる。台湾攻略の非現実性はこれだけでも明らかだ。
◆岸田発言の真偽の検証を
にもかかわらず「台湾有事は日本有事である」とバカな政治家が言った。そして実際、岸田政権は軍事予算を増額して南西諸島にミサイル基地を新設し、日米両軍は「作戦司令部」を統合し、いまこの一文を書いている8月初旬、両軍合同による最大の訓練を実施中である。
「今日のウクライナは明日の東アジア」の岸田発言を、マスメディアは伝えた。しかし伝えるだけで真偽については全く検証しなかった。ということは、岸田発言を容認し、結果として「東アジアの危機」なる現状認識を黙認したということだ。
SNSの時代とはいえ、国民世論の動向にはマスメディアが決定的に影響する。私はいま、岸田発言の真偽について各新聞社の論説委員室が徹底論議し、その論議の過程と結論を読者に伝えてほしいと思う。
2024年07月25日
【オピニオン】被爆79年 根本から問われる広島平和式典 入園規制 表現の自由を侵害 法的根拠なし 民主主義否定=難波健治
被爆年の「原爆の日」を年後に控えた今年、広島市は2022年以来のロシアとベラルーシの8・6平和記念式典招待見送りを続ける一方、イスラエル招待は維持した。こうした市の姿勢に「どちらも軍事侵攻国。二重基準では」と疑問の声が渦巻く中、今年の式典では「平和記念式典のありようが根本から問われる」ことになる「平和記念公園の全面入園規制」が打ち出され、波紋が広がる。
規制エリア拡大
私たちが「入園規制」を知ったのは5月7日、市の報道資料公表を受けたメディアの一斉報道によってだった。
8・6平和記念式典はこれまで、平和公園の南半分で実施されてきた。今年も同じエリアで行なわれる。だが、広島市は今年、「式典会場」の線引きを公園の北半分エリアにも拡大したうえで入園規制を発表した。
公園の北半分は、元安橋から本川橋を東西につなぐ市道の北側にあり、原爆の子の像や韓国人原爆犠牲者慰霊碑、身元が確認されず引き取り手がない数万柱の遺骨を納めた原爆供養塔などがある。そして、元安川を隔てた対岸には原爆ドームがある。市は、これらをすべて含めた公園全域にわたる入園規制を実施する。というのだ。
行政法が専門の田村和之広島大学名誉教授は、「自由使用の都市公園での表現活動の制限は、いかなる見地から見ても違憲・違法だ」と指摘する。JCJ広島支部は6月3日、松井一実市長に、「入園規制」への疑問を公開質問状として届け、「問題ある規制なら、発表の報道文書を含め取り消すべきでは」と提起する一方、責任部局に法的根拠などを質した。
協力要請粉飾
これに対する担当の市民活動推進課の答えは@規制に「法的根拠はない」A規制は「公園を訪れる方々への協力要請にすぎない」だった。
だが、それは広島市がなぜ、憲法が保障する表現の自由に抵触する恐れが指摘されるのに、法的根拠もなく入園規制を打ち出したのか。「ゼッケン・タスキ・ヘルメット・鉢巻等の着用禁止」などに加え、多くの具体例を挙げて市民の持込物にまで違法と指摘される禁止、規制措置を言い出したのかの説明にはならない。
しかも広島市がそれを「要請に従わない場合は、平和記念公園外への退去を命令することがある」と報道資料に明記して発表し、メディアがそのまま報じたことを私たちは重視した。
平和記念式典に「退去命令」を持ち出し、禁止措置や様々な「規制」を前面に出した市の「公園全面入園規制」は、市の発表資料の内容を検討もせず報じたメディアを含め、その「見識」が問われていることは言うまでもない。
1年前の教訓
この過程で私たちは、1年前に体験したできごとを思い出した。
昨年5月、広島Gサミットの際、首脳たちの会食場となった老舗旅館がある世界遺産・厳島神社で知られる宮島(廿日市市)に、島ぐるみ(全域)の「入島規制」がかかった。
「このようなケースで、島全域に入域規制が実施できるような法的根拠はないはずだ」という田村名誉教授の指摘を受け、外務省や地元廿日市
市、県民会議事務局に問い合わせた私たちは、今回の広島市と同様の@「法的根拠はない」A「協力要請にすぎない」との回答を得た。
「全島入島規制」が根拠のない協力要請措置にすぎないことが確認されたのである。
私たちは外務省職員が見ている前を通り、田村先生を含む3人で島に渡った。サミット取材でそこに居合わせた記者たちは、何が起きているのかわからない様子だった。
私たちは、行政の発表を知らせるだけの報道に警鐘を鳴らすことを目的に行動した。島に渡り、何の「規制」も「罰」も受けずに帰ってきたその結果は、考えつく限りの方法で市民に知らせてきた。しかし、1年後の今、再び、同じことが今度は広島平和記念公園を舞台に繰り広げられようとしているのである。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年6月25日号
規制エリア拡大
私たちが「入園規制」を知ったのは5月7日、市の報道資料公表を受けたメディアの一斉報道によってだった。
8・6平和記念式典はこれまで、平和公園の南半分で実施されてきた。今年も同じエリアで行なわれる。だが、広島市は今年、「式典会場」の線引きを公園の北半分エリアにも拡大したうえで入園規制を発表した。
公園の北半分は、元安橋から本川橋を東西につなぐ市道の北側にあり、原爆の子の像や韓国人原爆犠牲者慰霊碑、身元が確認されず引き取り手がない数万柱の遺骨を納めた原爆供養塔などがある。そして、元安川を隔てた対岸には原爆ドームがある。市は、これらをすべて含めた公園全域にわたる入園規制を実施する。というのだ。
行政法が専門の田村和之広島大学名誉教授は、「自由使用の都市公園での表現活動の制限は、いかなる見地から見ても違憲・違法だ」と指摘する。JCJ広島支部は6月3日、松井一実市長に、「入園規制」への疑問を公開質問状として届け、「問題ある規制なら、発表の報道文書を含め取り消すべきでは」と提起する一方、責任部局に法的根拠などを質した。
協力要請粉飾
これに対する担当の市民活動推進課の答えは@規制に「法的根拠はない」A規制は「公園を訪れる方々への協力要請にすぎない」だった。
だが、それは広島市がなぜ、憲法が保障する表現の自由に抵触する恐れが指摘されるのに、法的根拠もなく入園規制を打ち出したのか。「ゼッケン・タスキ・ヘルメット・鉢巻等の着用禁止」などに加え、多くの具体例を挙げて市民の持込物にまで違法と指摘される禁止、規制措置を言い出したのかの説明にはならない。
しかも広島市がそれを「要請に従わない場合は、平和記念公園外への退去を命令することがある」と報道資料に明記して発表し、メディアがそのまま報じたことを私たちは重視した。
平和記念式典に「退去命令」を持ち出し、禁止措置や様々な「規制」を前面に出した市の「公園全面入園規制」は、市の発表資料の内容を検討もせず報じたメディアを含め、その「見識」が問われていることは言うまでもない。
1年前の教訓
この過程で私たちは、1年前に体験したできごとを思い出した。
昨年5月、広島Gサミットの際、首脳たちの会食場となった老舗旅館がある世界遺産・厳島神社で知られる宮島(廿日市市)に、島ぐるみ(全域)の「入島規制」がかかった。
「このようなケースで、島全域に入域規制が実施できるような法的根拠はないはずだ」という田村名誉教授の指摘を受け、外務省や地元廿日市
市、県民会議事務局に問い合わせた私たちは、今回の広島市と同様の@「法的根拠はない」A「協力要請にすぎない」との回答を得た。
「全島入島規制」が根拠のない協力要請措置にすぎないことが確認されたのである。
私たちは外務省職員が見ている前を通り、田村先生を含む3人で島に渡った。サミット取材でそこに居合わせた記者たちは、何が起きているのかわからない様子だった。
私たちは、行政の発表を知らせるだけの報道に警鐘を鳴らすことを目的に行動した。島に渡り、何の「規制」も「罰」も受けずに帰ってきたその結果は、考えつく限りの方法で市民に知らせてきた。しかし、1年後の今、再び、同じことが今度は広島平和記念公園を舞台に繰り広げられようとしているのである。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年6月25日号
2024年07月19日
【オピニオン】政府主導の改組に抗議 学術会議歴代会長が声明発表=編集部
2020年の菅政権による学術会議会員候補者の任命拒否を契機に政府が進めている同会議法人化の議論に対し、歴代の学術会議会長6氏が6月10日、岸田首相に「政府主導の見直しを改めることを要望する」とした声明を発表した。
前会長の梶田隆章・東京大卓越教授は、日本記者クラブでの会見で「日本の学術の終わりの始まりとなることを強く懸念する。極めて危うい」と述べた。
声明には吉川弘之・東大名誉教授(工学)、黒川清・東大名誉教授、東海大特別栄誉教授、広渡清吾・東大名誉教授(法学)、大西隆・東大名誉教授(工学)、山際寿一・京大名誉教授(人類学)、梶田隆章・東大特別栄誉教授(物理学・ノーベル賞受賞者)の1997年の17期以降、25期までの各会長が署名した。
声明は、政府が進める「法人化」方針について、
20年に発覚した会員6人の任命拒否問題を「正当化するためと疑われる」と批判。会員選びに外部有識者が意見を述べる「選考助言委員会」設置案についても、「学術会議の独立性と自主性に手をつけるもの」だと懸念を表明。学術会議のあり方は、社会や与野党を超えて国会で議論すべきだとの考えを示した。
理由頑なに拒否
菅政権が、推薦された新会員候補者105人のうち、芦名定道・京大教授、宇野重規・東大教授、岡田正則・早大教授、小沢隆一・東京慈恵医大教授、加藤陽子・東大教授、松宮孝明・立命館大教授の6人の任命を拒否した問題は、同会議のほか90を超す学会団体が抗議声明を出すなど、広く反対運動が起きた。
だが、政府は「任命拒否」の理由説明を拒み、その一方で役員任命や、委員会、分科会などの組織改革や「見直し」が必要だとして問題を学術会議の組織問題にすり替え、強引に改革論議を進め、「総合科学技術・イノベーション会議」の有識者懇談会から「学術会議の在り方に関する政策討議とりまとめ」を得て、内閣府の「日本学術会議の在り方についての方針」を発表。「法人化」の方針を決定した。
政府決定に懸念
一方、学術会議も今年4月「政府決定の『学術会議法人化に向けて』に対する懸念」を決議として発表。国の在り方や政府の政策への「基盤勧告機能」など「より良い役割」果たすための要件として@十分な財政措置A組織・制度の政府からの自律性、独立性の担保B海外の多くのアカデミーも採用する会員自身が次期候補者挙げ、選考委員会が推薦する「コ・オプテーション方式」会員選出、会員による会長選出を改めて声明した。
歴代会長の声明はこれを受けたもので、「世界が直面する人類社会の自然的、共生条件の困難さは一層大きく学術の役割を要請している。学術会議の在り方について政府主導の見直しを改め、学術会議の独立性と自主性を尊重し擁護することを要望する」としている。
提訴し真相解明
一方、任命を拒否された6人の教授は今年2月、国を訴え「拒否理由」関係文書開示などを求めて立ち上がった。「学術会議は憲法の『学問の自由』に沿い作られた。任命拒否の真相を明らかに」と訴えている。既に6人の氏名と肩書、「R2・6・12」の文字や大きなバツ印が書かれた公文書が明らかになった。
学術会議が発足当初から何度も「科学者は軍事研究に従事すべきでない」と決議していることや、6人が安倍政権の軍事化推進姿勢などに何らかの形で異議を申し立てたことなどが問題にされ、任命拒否されたと言われている。
頑なな「説明拒否」で追い詰められた政府が「学術会議改組」で「対抗」しているのも明らかだ。かつて戦争前夜の日本で、研究機関や大学で政府の見解に沿わない研究者が次々とパージされた。主体的な学問研究は政策推進の邪魔とされた。「学問の自由」への攻撃は「思想、信条、の自由」への攻撃に直結する。「ものを言う自由」「研究の自由」をどう守るのか、重要な闘いが始まっている。
前会長の梶田隆章・東京大卓越教授は、日本記者クラブでの会見で「日本の学術の終わりの始まりとなることを強く懸念する。極めて危うい」と述べた。
声明には吉川弘之・東大名誉教授(工学)、黒川清・東大名誉教授、東海大特別栄誉教授、広渡清吾・東大名誉教授(法学)、大西隆・東大名誉教授(工学)、山際寿一・京大名誉教授(人類学)、梶田隆章・東大特別栄誉教授(物理学・ノーベル賞受賞者)の1997年の17期以降、25期までの各会長が署名した。
声明は、政府が進める「法人化」方針について、
20年に発覚した会員6人の任命拒否問題を「正当化するためと疑われる」と批判。会員選びに外部有識者が意見を述べる「選考助言委員会」設置案についても、「学術会議の独立性と自主性に手をつけるもの」だと懸念を表明。学術会議のあり方は、社会や与野党を超えて国会で議論すべきだとの考えを示した。
理由頑なに拒否
菅政権が、推薦された新会員候補者105人のうち、芦名定道・京大教授、宇野重規・東大教授、岡田正則・早大教授、小沢隆一・東京慈恵医大教授、加藤陽子・東大教授、松宮孝明・立命館大教授の6人の任命を拒否した問題は、同会議のほか90を超す学会団体が抗議声明を出すなど、広く反対運動が起きた。
だが、政府は「任命拒否」の理由説明を拒み、その一方で役員任命や、委員会、分科会などの組織改革や「見直し」が必要だとして問題を学術会議の組織問題にすり替え、強引に改革論議を進め、「総合科学技術・イノベーション会議」の有識者懇談会から「学術会議の在り方に関する政策討議とりまとめ」を得て、内閣府の「日本学術会議の在り方についての方針」を発表。「法人化」の方針を決定した。
政府決定に懸念
一方、学術会議も今年4月「政府決定の『学術会議法人化に向けて』に対する懸念」を決議として発表。国の在り方や政府の政策への「基盤勧告機能」など「より良い役割」果たすための要件として@十分な財政措置A組織・制度の政府からの自律性、独立性の担保B海外の多くのアカデミーも採用する会員自身が次期候補者挙げ、選考委員会が推薦する「コ・オプテーション方式」会員選出、会員による会長選出を改めて声明した。
歴代会長の声明はこれを受けたもので、「世界が直面する人類社会の自然的、共生条件の困難さは一層大きく学術の役割を要請している。学術会議の在り方について政府主導の見直しを改め、学術会議の独立性と自主性を尊重し擁護することを要望する」としている。
提訴し真相解明
一方、任命を拒否された6人の教授は今年2月、国を訴え「拒否理由」関係文書開示などを求めて立ち上がった。「学術会議は憲法の『学問の自由』に沿い作られた。任命拒否の真相を明らかに」と訴えている。既に6人の氏名と肩書、「R2・6・12」の文字や大きなバツ印が書かれた公文書が明らかになった。
学術会議が発足当初から何度も「科学者は軍事研究に従事すべきでない」と決議していることや、6人が安倍政権の軍事化推進姿勢などに何らかの形で異議を申し立てたことなどが問題にされ、任命拒否されたと言われている。
頑なな「説明拒否」で追い詰められた政府が「学術会議改組」で「対抗」しているのも明らかだ。かつて戦争前夜の日本で、研究機関や大学で政府の見解に沿わない研究者が次々とパージされた。主体的な学問研究は政策推進の邪魔とされた。「学問の自由」への攻撃は「思想、信条、の自由」への攻撃に直結する。「ものを言う自由」「研究の自由」をどう守るのか、重要な闘いが始まっている。
2024年06月07日
【オピニオン】「セクシー田中さん」問題を考える─著作者人格権への視点=萩山拓(ライター)
日本テレビが昨年秋に放送した連続ドラマ「セクシー田中さん」の原作者である漫画家・芦原妃名子さんが、今年1月末に急死した。この「セクシー田中さん」問題を巡り、原作漫画を出版している小学館が、6月3日、86頁に及ぶ調査報告書を公表した。
★小学館:報告書の概要
その主な内容は、日テレからドラマ化の相談を受けた昨年6月当初から、芦原さんは小学館の担当編集者を通して、「必ず漫画に忠実に」することをドラマ化の条件として伝えていた。その後、原作にはないオリジナルとなる最後の第9、10話の脚本を巡って、日テレ側と食い違いがあった。結局2話は、芦原さん自らが脚本を執筆。
ところが放送終了後に、脚本家が、その経緯の「困惑」をSNSに投稿し、それに芦原さんがブログで反論。
こうした経緯の背景には、日テレが、芦原さんの意向を脚本家に伝え、原作者と脚本家との間を調整するという役割を果たしていない可能性があり、日テレ側が「原作者の意向を代弁した小学館の依頼を素直に受け入れなかったことが、第一の問題であるように思われる」と記した。
一方で、報告書は小学館側の非にも言及。企画打診から半年間でのドラマ化について、「芦原氏のように原作の世界観の共有を強く求める場合には、結果として期間十分とは言えなかったと思われる」と指摘し、かつメールと口頭で映像化は合意されたものの、その条件にあいまいな要素があったとした。
今後の指針として、版元作品の映像化の許諾を検討するに当たり、作家の意思や希望を確認し、その意向を第一に尊重した文書を作成し、映像制作者側と交渉するなどとした。さらに契約書締結の早期化や交渉窓口の一本化、危機管理体制の充実、専門窓口やサポート体制などの周知を挙げた。
★日本テレビ:報告書の概要
すでに日本テレビは5月31日に「セクシー田中さん」問題について、調査報告書を公表している。報告書によると、同局側は昨年6月までに小学館を通じ、ドラマ化に向けた芦原さんの意向を確認し、その意図を最終的にすべて取り入れたとしている。
しかし、芦原さんの意向や要望が、同局側には提案程度と理解され、脚本家にも伝わっていなかった。しかも同局側は芦原さんと直接面会せず、その後も意思疎通が不十分なまま、改変の許容範囲や撮影のやり直しなどを巡り、芦原さんが不信感を募らせ、脚本家にも否定的な印象を持つようになったという。
今後のドラマ制作について、報告書は制作側と原作者との直接の面談の必要性などを提言。連載中の作品のドラマ化では、最終回までの構成案を完成させ、オリジナル部分を明確にすることが望ましいなどとした。トラブル回避に向けては「原作者及び脚本家との間で可能な限り早期に契約を締結する」としている。
報告書に目を通した有識者からは、「日テレは当事者としての猛省がない」と批判されている。まず報告書が「本件原作者の死亡原因の究明については目的としていない」とし、「芦原さんの死に対する哀悼、およびこうした事態に至った経緯への反省が感じられない」などの声が挙がっている。
★欠ける著作者人格権の順守
さて両社の調査結果から見えてくるのは、原作の改変をめぐって、当初から原作者とドラマ制作側との間で、認識の違いが明確になったことである。
その背景には、ドラマの制作現場では、人手や制作費が少ない現状がある上に、オリジナル脚本によるドラマ化よりも、原作の評判にオンブして脚本・ドラマ化すれば視聴率が稼げるという計算である。こうした原作モノに頼りがちな映像メディアの事情に、さらに脚本家の意欲や野心なども絡んでくるから複雑になる。
また出版社側もテレビ・ドラマ化により販売部数が飛躍できるという、売り上げ効果を望む背景がある。どっちもどっちで、それぞれの思惑を秘めながら自分に都合のよい解釈が横行する。
原作者の意向や要望、はては著作者人格権まで踏みにじっていることすら気づかなくなる。日テレ報告書に対して「芦原さんの死に対する反省を第一に記すべきだった」と、識者から言われるのも無理はない。小学館の報告書には「芦原氏は独立した事業者であるから、小学館の庇護は必要としないかもしれない」という文言が記されている。
小学館も日テレも、芦原さん本人任せにして、著作者人格権が脅かされているにも関わらず、事態を見守る状態を続けてしまったのではないか。「小学館の社員個人はできるだけのことをしたと思うが、芦原さんが問題を一人で背負い込んでいなかったか、組織として守るために何かできなかったのか。そこに小学館の責任がある」と、影山貴彦(同志社女子大教授)さんは指摘している(「毎日新聞」6/3付)。
著作者人格権著作者の財産的利益ではなく人格的利益(精神的な利益)を守る趣旨で設けられている。勝手に著作物を公表や改変されないこと、著作物が著作者の名誉を害するような方法で使われないこと、著作者名の表示・非表示の権限を持つこと、などが著作者人格権にあたる。
★小学館:報告書の概要
その主な内容は、日テレからドラマ化の相談を受けた昨年6月当初から、芦原さんは小学館の担当編集者を通して、「必ず漫画に忠実に」することをドラマ化の条件として伝えていた。その後、原作にはないオリジナルとなる最後の第9、10話の脚本を巡って、日テレ側と食い違いがあった。結局2話は、芦原さん自らが脚本を執筆。
ところが放送終了後に、脚本家が、その経緯の「困惑」をSNSに投稿し、それに芦原さんがブログで反論。
こうした経緯の背景には、日テレが、芦原さんの意向を脚本家に伝え、原作者と脚本家との間を調整するという役割を果たしていない可能性があり、日テレ側が「原作者の意向を代弁した小学館の依頼を素直に受け入れなかったことが、第一の問題であるように思われる」と記した。
一方で、報告書は小学館側の非にも言及。企画打診から半年間でのドラマ化について、「芦原氏のように原作の世界観の共有を強く求める場合には、結果として期間十分とは言えなかったと思われる」と指摘し、かつメールと口頭で映像化は合意されたものの、その条件にあいまいな要素があったとした。
今後の指針として、版元作品の映像化の許諾を検討するに当たり、作家の意思や希望を確認し、その意向を第一に尊重した文書を作成し、映像制作者側と交渉するなどとした。さらに契約書締結の早期化や交渉窓口の一本化、危機管理体制の充実、専門窓口やサポート体制などの周知を挙げた。
★日本テレビ:報告書の概要
すでに日本テレビは5月31日に「セクシー田中さん」問題について、調査報告書を公表している。報告書によると、同局側は昨年6月までに小学館を通じ、ドラマ化に向けた芦原さんの意向を確認し、その意図を最終的にすべて取り入れたとしている。
しかし、芦原さんの意向や要望が、同局側には提案程度と理解され、脚本家にも伝わっていなかった。しかも同局側は芦原さんと直接面会せず、その後も意思疎通が不十分なまま、改変の許容範囲や撮影のやり直しなどを巡り、芦原さんが不信感を募らせ、脚本家にも否定的な印象を持つようになったという。
今後のドラマ制作について、報告書は制作側と原作者との直接の面談の必要性などを提言。連載中の作品のドラマ化では、最終回までの構成案を完成させ、オリジナル部分を明確にすることが望ましいなどとした。トラブル回避に向けては「原作者及び脚本家との間で可能な限り早期に契約を締結する」としている。
報告書に目を通した有識者からは、「日テレは当事者としての猛省がない」と批判されている。まず報告書が「本件原作者の死亡原因の究明については目的としていない」とし、「芦原さんの死に対する哀悼、およびこうした事態に至った経緯への反省が感じられない」などの声が挙がっている。
★欠ける著作者人格権の順守
さて両社の調査結果から見えてくるのは、原作の改変をめぐって、当初から原作者とドラマ制作側との間で、認識の違いが明確になったことである。
その背景には、ドラマの制作現場では、人手や制作費が少ない現状がある上に、オリジナル脚本によるドラマ化よりも、原作の評判にオンブして脚本・ドラマ化すれば視聴率が稼げるという計算である。こうした原作モノに頼りがちな映像メディアの事情に、さらに脚本家の意欲や野心なども絡んでくるから複雑になる。
また出版社側もテレビ・ドラマ化により販売部数が飛躍できるという、売り上げ効果を望む背景がある。どっちもどっちで、それぞれの思惑を秘めながら自分に都合のよい解釈が横行する。
原作者の意向や要望、はては著作者人格権まで踏みにじっていることすら気づかなくなる。日テレ報告書に対して「芦原さんの死に対する反省を第一に記すべきだった」と、識者から言われるのも無理はない。小学館の報告書には「芦原氏は独立した事業者であるから、小学館の庇護は必要としないかもしれない」という文言が記されている。
小学館も日テレも、芦原さん本人任せにして、著作者人格権が脅かされているにも関わらず、事態を見守る状態を続けてしまったのではないか。「小学館の社員個人はできるだけのことをしたと思うが、芦原さんが問題を一人で背負い込んでいなかったか、組織として守るために何かできなかったのか。そこに小学館の責任がある」と、影山貴彦(同志社女子大教授)さんは指摘している(「毎日新聞」6/3付)。
著作者人格権著作者の財産的利益ではなく人格的利益(精神的な利益)を守る趣旨で設けられている。勝手に著作物を公表や改変されないこと、著作物が著作者の名誉を害するような方法で使われないこと、著作者名の表示・非表示の権限を持つこと、などが著作者人格権にあたる。
2024年05月26日
【オピニオン】破綻の「政治改革」金権腐敗は元から変えるべし 問われるメディア 有権者は行動を 枝葉は刈ってもまだ茂る=藤森 研(ジャーナリスト)
自民党の裏金問題は、真の原因を見ないまま、手直しの「再発防止」が取りざたされている。
しかし、この間のドタバタ劇を見ていると、森達也が『創』で書いた比喩がピッタリだ。いわく「政治資金規正法の見直しなど枝葉の剪定をしても、季節が廻ればまた生い茂る」。その通りで、金権政治は元から変えなきゃ、直らない。
小選挙区制と
政党助成導入
30年前の出発点を顧みる。リクルート事件やゼネコン汚職で沸き起こった「政治改革」の嵐は、自民党の分裂と下野を経て、1994年の政治改革4法に収束した。柱は2本。衆院の選挙制度を小選挙区を主とする小選挙区比例代表並立制に変えること、政治資金規制を少し強める代わりに政党への公費助成制度をつくることだった。
前者は政治改革熱を権力者が巧妙に選挙制度改革にすり替えた成果≠セ。「政策本位の争いになり金がかからない」「政権交代が起きやすい」を売り文句に、それまでの中選挙区制を小選挙区中心の現制度に変えた。
小選挙区制導入に対しては、多数党が有利になり、「死票が増えてしまう」「『作られた多数派』を生む」という反対意見も強かった。小選挙区制は民意の集約、比例代表制は民意の反映が特徴だが、民主主義は反映を優先すべきで、人為的な集約は民意を歪める。
しかし、当時の多くのメディアや世論は中身を吟味することなく「とにかく変えねば」と浮き足立ち、この選挙制度改変を後押ししてしまった。
30年たって、反対派の意見は正しかった。一度だけ民主党などへの政権交代はあったが、負の効果が圧倒した。
有権者全体に対する得票割合(絶対得票率)で21年の総選挙を見てみよう。自民党の小選挙区での絶対得票率は26・2%、比例代表では18・9%だった。それにより自民党が獲得したのは小選挙区の議席の64・7%に及び、衆院全体でも55・7%を占めて、追加公認を含め「絶対安定多数」となった。低投票率と小選挙区制の手品だ。
こうして、制度上有利な多数与党は対野党の選挙で連戦連勝し、安倍長期政権の力の源泉となった。党内では、公認権と政党助成金の配分権を握った自民党トップが「一強」化し、森友、加計、桜、安倍派の裏金と、腐臭漂う驕りを生んだ。
パー券などで
企業団体献金
もう一本の柱の政治資金規制は、当時も企業・団体献金(寄付)を全面禁止はせず、最初からザルだった。今や、政党支部への寄付やパーティー券の形での企業・団体献金が、大手を振っているのはご覧の通りだ。政党助成金とは二重取りだ。
企業献金には違法の疑いがぬぐえない。見返りを求めて政治献金をすれば贈賄だし、逆に求めなければ企業に損害を与える背任ではないか、と。
これに対し政治献金擁護派が頼るのは、八幡製鉄事件での最高裁判決(1970年)だ。「会社は、自然人である国民と同じように、国や政党の特定の政策を支持するなどの政治的行為をする自由を有する」と、企業献金を認めた。営利事業目的を外れるのではないか、との疑問には、企業の災害救援寄金が広く認められていることを例示した。
しかし、この事件の一審判決は全く逆の判断をしていた。「本件は自民党という特定の政党に対する援助資金だから、特定の宗教に対する寄付と同様、一般社会人が社会的義務と感ずる性質の行為に当たるとは認められない。定款違反だ」と、献金をした社長らを敗訴させた(63年、東京地裁)。
個人が主体の政治活動の自由を、営利目的の民間企業にも保障した最高裁の論理には、憲法学者らからも批判がある。
なお、労働組合から特定政党への団体献金も、労働組合の成り立ちを考えれば、筋が通らない。
審議会参加で
足並み揃える
30年前の「政治改革」の過ちに関連して、どうしても触れておかねばならないのは、メディアの責任だ。小選挙区比例代表並立制の原案を作ったのは第8次選挙制度審議会。その会長は小林与三次読売新聞社長(当時)で、委員27人にはテレビ東京会長、日経社長、毎日、産経各論説委員長、NHK考査室長、読売調査研究本部長、朝日編集委員が名を連ねていた。それかあらぬか、各メディアは並立制への選挙制度改変を、足並みを揃えて支持した。
メディア人の審議会参加は本来、ジャーナリズムの本旨に反する。権力側の「結論ありき」の場に入ってアリバイ作りに利用され、決定には批判がしにくくなるからだ。だが、現在も国の審議会などに入る論説委員らがいる。今は特定の社に限られてきたものの、「審議会不参加」を決めた社でもOBが入ったりする。
なぜ彼らは国の委員になりたがるのか。知見を社会のために、というのは建前だろう。書ける場は他にある。据え膳で資料をもらえる便宜の誘惑か。言葉はきついが、私の感想を一言で言えば、うす汚い。
企業献金全廃
比例代表こそ
30年前の政治改革は、いま、見事に破綻した。
メディアには、目の前の政治の動きを報じるだけでなく、本来の「政治改革」の幹についても、議題設定の機能をぜひ発揮してほしい。
私が考える改革の方途は3つだ。
まず、衆院の選挙制度を、民意を正確に反映する比例代表制に変える。歪んだ制度に基づく多数党安定の驕りを、より緊張感のある政治に変えるだろう。
次に、企業・団体献金を、パーティー券も含めて全廃する。
第3に、政権交代を推進する。浄化には新しい政治主体が必要だ。
政治学者のジェラルド・カーティスは、自民党内から抜本改革の声一つ出ない日本政治の現状を、「半昏睡状態」に陥っているとして、こう続けた。「まず有権者が行動しなければ政治家は動こうとしません」
補選、そして次の総選挙が肝心だ。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年4月25日号
しかし、この間のドタバタ劇を見ていると、森達也が『創』で書いた比喩がピッタリだ。いわく「政治資金規正法の見直しなど枝葉の剪定をしても、季節が廻ればまた生い茂る」。その通りで、金権政治は元から変えなきゃ、直らない。
小選挙区制と
政党助成導入
30年前の出発点を顧みる。リクルート事件やゼネコン汚職で沸き起こった「政治改革」の嵐は、自民党の分裂と下野を経て、1994年の政治改革4法に収束した。柱は2本。衆院の選挙制度を小選挙区を主とする小選挙区比例代表並立制に変えること、政治資金規制を少し強める代わりに政党への公費助成制度をつくることだった。
前者は政治改革熱を権力者が巧妙に選挙制度改革にすり替えた成果≠セ。「政策本位の争いになり金がかからない」「政権交代が起きやすい」を売り文句に、それまでの中選挙区制を小選挙区中心の現制度に変えた。
小選挙区制導入に対しては、多数党が有利になり、「死票が増えてしまう」「『作られた多数派』を生む」という反対意見も強かった。小選挙区制は民意の集約、比例代表制は民意の反映が特徴だが、民主主義は反映を優先すべきで、人為的な集約は民意を歪める。
しかし、当時の多くのメディアや世論は中身を吟味することなく「とにかく変えねば」と浮き足立ち、この選挙制度改変を後押ししてしまった。
30年たって、反対派の意見は正しかった。一度だけ民主党などへの政権交代はあったが、負の効果が圧倒した。
有権者全体に対する得票割合(絶対得票率)で21年の総選挙を見てみよう。自民党の小選挙区での絶対得票率は26・2%、比例代表では18・9%だった。それにより自民党が獲得したのは小選挙区の議席の64・7%に及び、衆院全体でも55・7%を占めて、追加公認を含め「絶対安定多数」となった。低投票率と小選挙区制の手品だ。
こうして、制度上有利な多数与党は対野党の選挙で連戦連勝し、安倍長期政権の力の源泉となった。党内では、公認権と政党助成金の配分権を握った自民党トップが「一強」化し、森友、加計、桜、安倍派の裏金と、腐臭漂う驕りを生んだ。
パー券などで
企業団体献金
もう一本の柱の政治資金規制は、当時も企業・団体献金(寄付)を全面禁止はせず、最初からザルだった。今や、政党支部への寄付やパーティー券の形での企業・団体献金が、大手を振っているのはご覧の通りだ。政党助成金とは二重取りだ。
企業献金には違法の疑いがぬぐえない。見返りを求めて政治献金をすれば贈賄だし、逆に求めなければ企業に損害を与える背任ではないか、と。
これに対し政治献金擁護派が頼るのは、八幡製鉄事件での最高裁判決(1970年)だ。「会社は、自然人である国民と同じように、国や政党の特定の政策を支持するなどの政治的行為をする自由を有する」と、企業献金を認めた。営利事業目的を外れるのではないか、との疑問には、企業の災害救援寄金が広く認められていることを例示した。
しかし、この事件の一審判決は全く逆の判断をしていた。「本件は自民党という特定の政党に対する援助資金だから、特定の宗教に対する寄付と同様、一般社会人が社会的義務と感ずる性質の行為に当たるとは認められない。定款違反だ」と、献金をした社長らを敗訴させた(63年、東京地裁)。
個人が主体の政治活動の自由を、営利目的の民間企業にも保障した最高裁の論理には、憲法学者らからも批判がある。
なお、労働組合から特定政党への団体献金も、労働組合の成り立ちを考えれば、筋が通らない。
審議会参加で
足並み揃える
30年前の「政治改革」の過ちに関連して、どうしても触れておかねばならないのは、メディアの責任だ。小選挙区比例代表並立制の原案を作ったのは第8次選挙制度審議会。その会長は小林与三次読売新聞社長(当時)で、委員27人にはテレビ東京会長、日経社長、毎日、産経各論説委員長、NHK考査室長、読売調査研究本部長、朝日編集委員が名を連ねていた。それかあらぬか、各メディアは並立制への選挙制度改変を、足並みを揃えて支持した。
メディア人の審議会参加は本来、ジャーナリズムの本旨に反する。権力側の「結論ありき」の場に入ってアリバイ作りに利用され、決定には批判がしにくくなるからだ。だが、現在も国の審議会などに入る論説委員らがいる。今は特定の社に限られてきたものの、「審議会不参加」を決めた社でもOBが入ったりする。
なぜ彼らは国の委員になりたがるのか。知見を社会のために、というのは建前だろう。書ける場は他にある。据え膳で資料をもらえる便宜の誘惑か。言葉はきついが、私の感想を一言で言えば、うす汚い。
企業献金全廃
比例代表こそ
30年前の政治改革は、いま、見事に破綻した。
メディアには、目の前の政治の動きを報じるだけでなく、本来の「政治改革」の幹についても、議題設定の機能をぜひ発揮してほしい。
私が考える改革の方途は3つだ。
まず、衆院の選挙制度を、民意を正確に反映する比例代表制に変える。歪んだ制度に基づく多数党安定の驕りを、より緊張感のある政治に変えるだろう。
次に、企業・団体献金を、パーティー券も含めて全廃する。
第3に、政権交代を推進する。浄化には新しい政治主体が必要だ。
政治学者のジェラルド・カーティスは、自民党内から抜本改革の声一つ出ない日本政治の現状を、「半昏睡状態」に陥っているとして、こう続けた。「まず有権者が行動しなければ政治家は動こうとしません」
補選、そして次の総選挙が肝心だ。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年4月25日号
2024年05月12日
【オピニオン】新NISAで[経済格差]が加速 貧困層に無縁な投資話=木下寿国
絶対にやったほうがいいよ」−−。先日7年ぶりに開かれた田舎の同窓会に出席した折、小中学校時代を通じて常に成績の一番良かった友人が新NISAを推奨していた。
人には、それぞれ人生のステージに応じて興味を持ちやすい話題があるようで、その日は、それが投資話だったということだ。どこそこの株式を買えば得だといった話に加え、件の友人が入れ込んでいたのが、今年からスタートした新NISAだった。
たしかに大金持ちでもないわれわれが、苦しくなるばかりの世の中で、手持ちの虎の子を少しでも増やしたいという気持ちは、とりわけこの歳になってみればよくわかる。口を極めて非難するのもどうかと思われるが、投資で得られる利得というのはしょせん不労所得、褒められたものではないとも思う。ただ、そんな紋切り型の批判を口にしたところで、夢中になっている彼らを説得することはできないだろう。
「貯蓄から投資へ」を標ぼうする政府は、1月から新NISAを始めた。『文芸春秋』5月号の「伝説のサラリーマン投資家が明かす個人資産800億円の投資術」は、新NISAを「投資の利益に対する課税がゼロですから『やらなきゃ絶対に損』という夢のような制度」だと持ち上げている。
ところが同記事を読み込んでいくと、結局、その場その場であらゆる状況に注意を払わねばならず、いわゆるこれだという単純な「投資術」なるものはないことがわかる。
経済評論家の荻原博子氏は、プレジデントオンラインの記事で、新NISAについて「おやめなさい」と警告している(「金融庁の右肩上がりの新NISAグラフは無責任」)。株は上がるばかりではなく下がることもある、「落ちてもまた戻るなんて誰にも保証できない」「銀行や証券会社も、値下がりしても責任をとってはくれません」などと、反対の理由をいろいろと述べている。
筆者も、その通りだと思う。ただ、この制度の本当の問題は、そうした技術的な課題よりも、もっと別のところにあるような気がする。それは、新NISAも含め投資という仕組み自体がきわめて不公平なカラクリの上に成り立っているものだということだ。
新NISAは投資利益に課税されない。そこだけを見れば、政府は極めて気前が良いように見える。本来課税すべき分を負けてやっているのだから。しかし全体を見回してみれば、政府は決して誰に対しても気前よくしているわけではない。対象は、投資をしてくれる人や投資ができる裕福な人たちだけなのである。では、彼らに負けてやった税金はどうするのか。言うまでもない。貧困層も含めた一般国民から徴収した税金で賄っているのである。
これは、明らかな所得移転といえる。少々極端な言い方をすれば、貧乏人の苦労の上に成り立っているのが、新NISAという不公平かつ不公正な仕組みなのではないか。こうしたことを推し進めていけば、待っているのは国民経済の一層の二極化だろう。それは、亡国の道でもある。
岸田首相は登場してきたとき、「新しい資本主義」とか「成長と分配の好循環」などのスローガンを掲げていた。まるで小泉政権以来の行き過ぎた新自由主義路線を是正しようとするかのように。ところが、いまやっていることは、まさに強欲資本主義の王道そのもののように見えてならない。
木下寿国
人には、それぞれ人生のステージに応じて興味を持ちやすい話題があるようで、その日は、それが投資話だったということだ。どこそこの株式を買えば得だといった話に加え、件の友人が入れ込んでいたのが、今年からスタートした新NISAだった。
たしかに大金持ちでもないわれわれが、苦しくなるばかりの世の中で、手持ちの虎の子を少しでも増やしたいという気持ちは、とりわけこの歳になってみればよくわかる。口を極めて非難するのもどうかと思われるが、投資で得られる利得というのはしょせん不労所得、褒められたものではないとも思う。ただ、そんな紋切り型の批判を口にしたところで、夢中になっている彼らを説得することはできないだろう。
「貯蓄から投資へ」を標ぼうする政府は、1月から新NISAを始めた。『文芸春秋』5月号の「伝説のサラリーマン投資家が明かす個人資産800億円の投資術」は、新NISAを「投資の利益に対する課税がゼロですから『やらなきゃ絶対に損』という夢のような制度」だと持ち上げている。
ところが同記事を読み込んでいくと、結局、その場その場であらゆる状況に注意を払わねばならず、いわゆるこれだという単純な「投資術」なるものはないことがわかる。
経済評論家の荻原博子氏は、プレジデントオンラインの記事で、新NISAについて「おやめなさい」と警告している(「金融庁の右肩上がりの新NISAグラフは無責任」)。株は上がるばかりではなく下がることもある、「落ちてもまた戻るなんて誰にも保証できない」「銀行や証券会社も、値下がりしても責任をとってはくれません」などと、反対の理由をいろいろと述べている。
筆者も、その通りだと思う。ただ、この制度の本当の問題は、そうした技術的な課題よりも、もっと別のところにあるような気がする。それは、新NISAも含め投資という仕組み自体がきわめて不公平なカラクリの上に成り立っているものだということだ。
新NISAは投資利益に課税されない。そこだけを見れば、政府は極めて気前が良いように見える。本来課税すべき分を負けてやっているのだから。しかし全体を見回してみれば、政府は決して誰に対しても気前よくしているわけではない。対象は、投資をしてくれる人や投資ができる裕福な人たちだけなのである。では、彼らに負けてやった税金はどうするのか。言うまでもない。貧困層も含めた一般国民から徴収した税金で賄っているのである。
これは、明らかな所得移転といえる。少々極端な言い方をすれば、貧乏人の苦労の上に成り立っているのが、新NISAという不公平かつ不公正な仕組みなのではないか。こうしたことを推し進めていけば、待っているのは国民経済の一層の二極化だろう。それは、亡国の道でもある。
岸田首相は登場してきたとき、「新しい資本主義」とか「成長と分配の好循環」などのスローガンを掲げていた。まるで小泉政権以来の行き過ぎた新自由主義路線を是正しようとするかのように。ところが、いまやっていることは、まさに強欲資本主義の王道そのもののように見えてならない。
木下寿国