また、高裁判決は「各資料は、金学順氏の述べる出来事が一致しておらず、脚色・誇張が介在していることが疑われる」としたうえ、「日本軍が強制的に金学順氏を慰安婦にしたのではなく(金さんを)慰安婦にすることにより日本軍人から金銭を得ようとした継父に騙されて慰安婦になったと読み取ることが可能である」と、日本軍の関与を必死で薄めようと試みた。
単なる慰安婦とは
極め付きは判決文の中で、植村記事を掲載した朝日新聞は「慰安婦狩り」の吉田証言を報じていたから「その一人がやっと具体的に名乗り出たというのであれば日本の戦争責任に関わる報道として価値が高い反面、単なる慰安婦が名乗り出たにすぎないというのであれば、報道価値が半減する」と断言したことだ。
つまり高裁は、櫻井氏の持論である「慰安婦問題は朝日の捏造」「植村記事は挺身隊と強制連行を結び付ける意図だ」との主張を露骨に正当化したのである。
法の番人である3人の裁判官が合議のうえ、判決文で「単なる慰安婦」という言葉を言い放つとは一体どういうことなのか。これほど「悪意と蔑視」に満ちた判決文を堂々と出して恥じない。これが歪んだ司法の現実であり、櫻井氏が歓迎する「報道の自由、言論の自由」の中身だ。そしてそれが植村訴訟で暴かれた現在の日本の民主主義のありようだ。
だが、闘いの成果もあった。札幌、東京の植村訴訟一審、控訴審の闘いを通じて櫻井氏、西岡氏こそが「捏造者」であり、植村さんは「捏造記者」でないことが証明された。いま、2人は「口をつぐんでいる」。騒いでいるのは2人の口車に煽られた一部の人々だけだ。
従軍慰安婦問題をめぐるバッシングは2014年、朝日新聞が吉田清治証言関係記事を「誤報」として取り消したことから巻き起こった。それは2007年、米ワシントン・ポスト紙に「日本軍に配置された『慰安婦』は『性奴隷』でなく公娼制度下の売春婦だ」と意見広告を出すなどした櫻井氏らが「慰安婦問題をなかったものにしよう」と仕掛けてきた「歴史戦」だと言えよう。
だが、「いわゆる『従軍慰安婦』とは、かつての戦争の時代に、一定期間日本軍の慰安所等に集められ、将兵に性的な奉仕を強いられた女性たちのこと」であり、慰安婦犠牲者は日本軍に「性的慰安」の奉仕を強制され、被害と苦痛を訴える人々である。これが日本の政府公式見解であることを私たちは忘れない。日本ジャーナリスト会議は植村訴訟を今後も闘い抜いていくことを呼びかける。
編集部
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年2月25日号