2022年04月25日
【フォトアングル】JAL争議解決めざす東京集会開く=酒井憲太郎
2010年12月31日、JALのパイロット、客室乗務員165名が解雇された。以来労使間で協議が続いていて解決に至らないJAL争議の全面解決をめざす東京集会が開かれた。挨拶に続き「都労委闘争はJAL争議解決のステージとなりうるか」と題して、JAL被解雇者労働組合(JHU)弁護団の指宿昭一弁護士が講演をした。連帯のあいさつ、決意表明の後全員参加で「団結がんばろう」と拳を上げた。=2月16日、東京都文京区、酒井憲太郎撮影
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2022年3月25日号
2022年03月22日
【フォトアングル】ミャンマー国軍を批判する集会=酒井憲太郎
ミャンマークーデターから一年。国軍の弾圧による死者が1507人とミャンマー人団体AAPP政治犯支援協会はいう。クーデターの日に、ミャンマー国軍を批判する集会、デモ行進が行われた。ミャンマー連帯行動実行委員会主催のデモは「ミャンマー人と団結し、国際連帯で闘う」の横断幕を先頭にして霞ヶ関かいわいを行進。シュプレヒコールで「2・1軍事クーデターをゆるさないぞ」「日本政府は虐殺に加担するな」「ミャンマー人民を殺すな」「フリーフリーミャンマー」と訴えた。=1日、東京都、酒井憲太郎撮影
2022年02月14日
【フォトアングル】時事歌芸人・ジョニーHがギター弾き語りで原発反対を=酒井憲太郎
さよなら原発・朝霞実行委員会、戦争法に反対するオール朝霞が主催する「第44回さよなら原発・戦争法パレード・あさか」が開催された。集会ではスピーチに続いて、時事歌芸人ジョニーHさんがギターの弾き語りで原発反対を訴えた。デモに移り参加者は「原発いらない」「原発やめよう」「戦争させない」「9条守れ」などのプシュプレヒコールを上げて市内を回った。参加者は22名と主催者。=9日、埼玉県朝霞市のJR北朝霞駅前、酒井憲太郎撮影
2022年01月10日
【フォトアングル】玉城沖縄県知事を支援する「ブル―アクション」実行=酒井憲太郎
11月25日に玉城デニー沖縄県知事は辺野古新基地の埋め立て工事設計変更承認申請を「不承認」と発表した。知事の「不承認」を支持し、アピールしましょう、とオール沖縄会議は毎月第1土曜日にブルーアクションを行なうと発表した。これに呼応して、沖縄の「ブルーアクション」と同じ時間に、ブルーの服やスカーフを身につけるアピールが東京でも取り組まれた。主催は沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックで100数十名が参加した.。4日、東京・新宿南口、酒井憲太郎撮影
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2021年12月25日号
2021年12月14日
【フォトアングル】憲法公布75周年の日 9条守ろうと国会前でスタンディング=酒井憲太郎
総選挙3日後、憲法公布75周年の日は秋晴れだ。国会正門前では午後1時から、澤地久枝さん呼びかけのスタンディングには「アベスガキシダ政治を許さない」「憲法9条をまもろう」などのプラカードを国会に向けて掲げて140名が参加。続いて、2時から「平和といのちと人権を!!!憲法大行動 憲法公布75年 ともに時代を切り拓こう!」が総がかり行動の主催で開かれ、1200名(オンライン参加を含めると2千名)が参加し、改憲策動を許さない決意を新たにした。=3日、東京・国会正門前、酒井憲太郎撮影
2021年11月11日
【フォトアングル】衆院会館前 岸田政権打倒で300人参集=酒井憲太郎
菅内閣終わり、岸田内閣が選出される当日。選出前の「10・4臨時国会開会日行動」に300人(主催者総がかり行動実行委員会)が集まった。「岸田じゃ変わらない」「政治を変えよう」のプラカード。横断幕では「自公政権交代!政治を変えよう!総選挙勝利」と訴えた。野党議員たちは「いのちを守れ」「軍事費よりもコロナ対策を」のプラカードを掲げ演説した。挨拶の中で、「岸田内閣打倒」のプラカードを見たとの報告もあった。=4日、東京・衆議院第2議員会館前、酒井憲太郎撮影
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2021年10月25日号
2021年10月22日
【フォトアングル】朝鮮人追悼式典 伝統舞踏家・金順子さんが鎮魂の舞を献じる=酒井憲太郎
「6千余名の朝鮮人の命が奪われた」1923年の関東大震災から98年。朝鮮人犠牲者追悼式典(同実行委員会主催)がコロナ対策のため一般参加なしの、オンライン生中継開催となった。5年連続で追悼文を出さなかった小池百合子都知事を批判する挨拶が続いた後、韓国無形文化財の伝統舞踊家・金順子さんが追悼碑の前で鎮魂の舞を献じた=1日、東京都墨田区・横網町公園、酒井憲太郎撮影
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2021年9月25日号
2021年08月27日
【フォトアングル】元朝日記者の植村隆さんは「戦い続ける」と語る=酒井憲太郎
「金学順さんカミングアウトから三十年」記念イベントが植村東京訴訟支援チーム主催によりコロナ対策のため、無観客、ズーム配信で開かれた。植村裁判の最終報告会を兼ねている。第1部で映画「標的」の短縮版が上映され、第2部で6人がスピーチをした。その中で元朝日新聞記者植村隆氏(写真)は「この問題は私の人生をかけて取り組むべきことだ」「これからも戦い続けなければならない」と語った。=7日、東京・日本プレスセンタービル10階、酒井憲太郎撮影
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2021年8月25日号
2021年08月07日
【フォトアングル】新宿アルタ前 視覚障害者がオリパラ反対を訴える=酒井憲太郎
4度目の緊急事態宣言が東京に出た日、バッハ会長が来日し、都内のホテルに入った。菅首相の記者会見が映し出される新宿アルタ前で五輪中止を求めるア クショが繰り広げられた。「子どもの命を守れ!オリンピック観戦動員反対」を訴え、視覚障害者堀江さんもリレートークで「オリパラ御断り」と語った。主催は都教委包囲・首都圏ネットで参加者40名。=8日、東京新宿区の新宿アルタ前、酒井憲太郎撮影
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2021年7月25日号
2021年07月17日
【フォトアングル】改憲反対!基地強化を許すな!6・6練馬駐屯地デモ=酒井憲太郎
有事立法・治安弾圧を許すな!北部集会実行委員会主催の集会デモ参加者は「練馬自衛隊基地撤去 有事立法・治安弾圧を許すな 北部集会実行委員会」の横幕を掲げて、「戦争」「反対」「基地」「撤去」のショートコールの後、練馬駐屯地司令らに宛てた「市街地行軍などの地域の戦場化を行わない事」「来年以降、練馬駐屯地祭りを中止する事」などを求める申し入れ書を読み上げ、制服自衛官に手渡した。参加者46=6日、東京練馬区の練馬駐屯地、酒井憲太郎撮影
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2021年6月25日号
2021年02月22日
【フォトアングル】 官邸前で菅内閣を痛烈に批判=酒井憲太郎
2021年01月27日
【フォトアングル】 世界人権宣言72年目 中国への抗議デモ行進=酒井憲太郎
2020年12月23日
【フォトアングル】 国会前で菅政権への批判行動が次々と=酒井憲太郎
2020年10月29日
【フォトアングル】 原発もスガも去れ 経産省前テントひろば10年目集会=酒井憲太郎
2020年09月19日
【フォトアングル】 日本の戦跡を撮り続ける安島太佳由さん=酒井憲太郎
2020年06月27日
【フォトアングル】 人種差別への抗議集会 東京・渋谷ハチ公前=酒井憲太郎
2020年05月16日
インパール作戦 戦跡を訪ねた 直滑降の道 苦難を想像 現地に残る空気感を共有=おそどまさこ
多大な犠牲者を生んだ旧日本軍によるインパール作戦(1944年)。その戦跡を訪ねる旅をトラベルデザイナー、おそどまさこさんが企画し、8人の参加で1月末に実現した。何を見たのか、おそどさんからの報告だ。
国は公式発表していないらしいが、「インパール作戦」の戦死者は3万人、傷病者の数は4万人といわれている。
「白骨街道」たどる
私たちは、日本からインド東北部のコヒマに入り、インパールへ南下した。かつての日本軍の敗退路=白骨街道に隣接した舗装道路を一気に車で走り、国境を越えてミャンマーのタムに入った。
ミャンマーとインド東北部を分ける国境は、北から南へ縦に続く。西のインド側には2千b級の山が連なるアラカン山系、東のミャンマー側には川幅6百b、雨期には濁流で千bにも広がるチンドウイン河がある。
日本軍は英軍が陣取るインパールの30キロ手前で力が尽きたようだ。武器弾薬、食料などの兵站が当初から不十分だった。
インパールで印象に残ったことがある。連合軍の墓地では、たった一つの骨でも残っていれば、一人の戦死者とみなされ、一つの墓が創られていた。丁重な扱いに、日本との差を感じた。
冷や汗のドライブ
日本側のインパール作戦の総司令官、牟田口廉也は将兵の命を軽く考えていた。「味方の将兵5000人を殺せば陣地(インパール)が取れる」。作戦本部で牟田口が話していたという。彼に仕えた若い少尉が記録を克明に残していた。戦争から生き残った元少尉は数年前に、車いす姿でNHKスペシャルの取材に応じ、「兵隊に対する考えはそんなもんです」と怒りをあらわにした。
ツアーの圧巻は終盤のチンドウイン河畔の村トンヘ(ミャンマー)から4WDの日本車に分乗して、日本軍が渡河した地点ホマリンへ行く道だ。今までに世界中、100回以上旅してきたが、度肝を抜かれた。スキーの直滑降のような、土と岩の急な山道の上り下りが50回ぐらい続いた。
インパール作戦のスタート時に、日本軍がチンドウイン河を渡り終え、インド側の2千b級アラカン山系の複雑な山道を、戦車や大砲など部品を分けて進んだというのは、切り立った山のこういう直滑降の道のことを指すのではなかったか。
そこを3万頭以上の牛馬も連れて、自分のリュックも、大砲も運ぶ。牟田口廉也が将兵たちに強いた様々な苦難を想像するには十分な2時間。命がけ、肝を冷やすドライブだった。
残る空気感を共有
次の日は軍票(写真)を生まれて初めて見た。チンドウイン河をホマリンから船に乗って南下した。途中の村で散策していたら、村の若者がいた。彼が見せたもの。日本の政府が発行した戦地で通じるお金「軍票」だった。祖父が神棚にしまっていたという。
戦時中に日本軍が使い、食料や牛馬を調達したと思われる軍票を、こんな田舎の村で、戦後75年たっても村人が大切に持っていた。現金化してやらず、踏み倒し続けていいものだろうか。
旅の果たす役割は大きい。人々を歴史の現場に連れて行けるし、残されている空気感や痕跡を共有できる。「インパール作戦」の戦地を巡るツアーは21年2月にも計画してる。問い合わせは左記へ
osodomasako@gmail.com
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年4月25日号
2020年04月27日
【編集部EYE】 3ショット写真が8億値引きの転機に=橋詰雅博
近畿財務局OBの喜多徹信さん(71)と電話で話をした。森友学園事件の口火を切った大阪の木村真・豊中市議の紹介。喜多さんの後輩で、森友学園への国有地売却問題を担当し、自死に追い込まれた(18年3月、当時54歳)赤木俊夫さんの手記と遺書が公開され森友事件が再びクローズアップされたので、取材のお願いだった。
喜多さんは取材の前にぜひ読んでほしいものが2つあると言った。19年春号『季論21』と、昨年10月兵庫県で行われた全国革新懇交流会記録集だ。
早速入手。前者は2月にインタビューを受け、後者は全体会での発言。ちなみに喜多さんは1967年に近畿財務局に入り、60歳の定年後4年間の再任用を経て13年3月に退職した。46年間近畿財務局で国有地の売却や貸付の仕事に従事した。この間、全財務労組本部書記長も務めた。森友学園が土地取得を申し込んだのは退職3カ月後の6月だから、大阪地検特捜部から事情聴取は受けていないという。
『季論』の記事によれば、国鉄民営化で近畿財務局に移ってきた赤木さんは正義感があふれ、〈親しく付き合ってきた仲間〉。財務局の審査で9億5千6百万の値段が付けられた土地がわずか1億3千4百万で売却が決まる大きな転機になったのは14年4月28日に持ち込まれた〈安倍首相の昭恵夫人と籠池夫妻が一緒に写った写真〉。そして〈後輩たちは「昭恵事案」とか「安倍事案」と呼んでいたらしいですが、「無理筋の仕事をさせられた」と言っていた〉。
記録集発言では、公文書改ざんに関わった役人のほとんどが出世していることを指摘。例えば改ざんに抵抗したとされる楠敏志管財部長もナンバー2の総務部長に昇進。〈19年の定年後、神戸財務事務所の特別ポストに再任用され、会議室をつぶして彼の「個室」まで作ったそうです〉。
喜多さん、森友事件は終わっていないと雑誌と記録集で力強く語っている。
橋詰雅博
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年4月25日号
2020年04月17日
【スポーツコラム】 絆の重さ知った空白の3月=大野晃
新型コロナウイルス感染症の感染対策で、3月は世界中からスポーツが消えた。戦争中のようだとの声も上がった。
日本では、あらゆる競技会が延期、中止、休止や無観客試合に追い込まれ、米大リーグやフィギュア世界選手権など世界のビッグイベントが次々に延期、中止。東京五輪やパラリンピックの予選会も見通しが立たない。
安倍首相の独断で全国一斉に小中高校が休校を要請されたことで、子どもたちの運動機会が制限され、大人には、屋外でも、集まったり、活動したりの自粛要請でスポーツ機会は失われた。
家の中で体を動かしたり、外で走ったり、歩いたりできても、一人では楽しくない。テレビ中継などで競技を見ても、スタンドで仲間と観戦しながら大騒ぎする喜びがない。
子どもからお年寄りまで、スポーツが楽しめないストレスは、プレーや競技ができないことより、仲間と集まることを制限されたことで強まったのではないか。
仲間との絆や人と人とのつながりが、スポーツには欠かせないからだ。スポーツが消えたことは、災害時同様に、当たり前の生活を奪われたことを意味する。生活に欠かせないスポーツの権利は重い。消えて本質のわかる自粛期間なのだと思う。
しかし、政府やマスメディアの視点には、それが欠落している。
東京五輪・パラリンピックの延期や中止が重大問題とされているが、経済的影響や国の威信ばかりが注目され、五輪代表などトップ競技者の不利益には敏感だが、国民のスポーツ生活は、精々、健康・体力つくりしか眼中にないようだ。
スポーツ庁や日本スポーツ協会による国民スポーツ生活の対策提示は皆無であり、スポーツ基本法は無視された。日本オリンピック委員会は世界に連帯を呼びかけることもなく、沈黙したままだ。
国際連帯で、権利を尊重した科学的根拠のある感染対策を進める必要があるだろう。
大野晃
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年3月25日号
日本では、あらゆる競技会が延期、中止、休止や無観客試合に追い込まれ、米大リーグやフィギュア世界選手権など世界のビッグイベントが次々に延期、中止。東京五輪やパラリンピックの予選会も見通しが立たない。
安倍首相の独断で全国一斉に小中高校が休校を要請されたことで、子どもたちの運動機会が制限され、大人には、屋外でも、集まったり、活動したりの自粛要請でスポーツ機会は失われた。
家の中で体を動かしたり、外で走ったり、歩いたりできても、一人では楽しくない。テレビ中継などで競技を見ても、スタンドで仲間と観戦しながら大騒ぎする喜びがない。
子どもからお年寄りまで、スポーツが楽しめないストレスは、プレーや競技ができないことより、仲間と集まることを制限されたことで強まったのではないか。
仲間との絆や人と人とのつながりが、スポーツには欠かせないからだ。スポーツが消えたことは、災害時同様に、当たり前の生活を奪われたことを意味する。生活に欠かせないスポーツの権利は重い。消えて本質のわかる自粛期間なのだと思う。
しかし、政府やマスメディアの視点には、それが欠落している。
東京五輪・パラリンピックの延期や中止が重大問題とされているが、経済的影響や国の威信ばかりが注目され、五輪代表などトップ競技者の不利益には敏感だが、国民のスポーツ生活は、精々、健康・体力つくりしか眼中にないようだ。
スポーツ庁や日本スポーツ協会による国民スポーツ生活の対策提示は皆無であり、スポーツ基本法は無視された。日本オリンピック委員会は世界に連帯を呼びかけることもなく、沈黙したままだ。
国際連帯で、権利を尊重した科学的根拠のある感染対策を進める必要があるだろう。
大野晃
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年3月25日号