2022年06月23日
【オピニオン】被爆地から「9条守れ」広島「総がかり実行委」憲法集会=井上俊逸
この集会は「市民がつくる新しい社会」をテーマとし、市民連合@新潟共同代表で新潟国際情報大教授の佐々木寛さんが記念講演。主会場の広島弁護士会館には約260人が集まったほか、県内5カ所をオンラインで結び、ウクライナ危機に乗じて「核共有」や敵基地攻撃能力の保有」が唱えられる中、被爆地ヒロシマから「戦争する国づくりを許さない、憲法9条守れ」の声を大きくするとともに、広範な市民参加型で県知事選や国政選挙を戦い、野党共闘候補の勝利を続けている新潟の取り組みに学び、9条の命運を決する天王山と言われる7月の参院選に臨む決意を固め合った。
また、原爆ドーム前では「5・3憲法を活かそう女たちの会」が「憲法を守り生かす社会に」と書かれた横断幕を掲げ、通りがかった人に「9条をどうすべきか」を問うシールアンケートに取り組んだ。
一方、自民党の地元支部もこの日、市内で憲法研修会を開催。約180人が参加し、支部長でもある党総裁の岸田文雄首相から寄せられたビデオメッセージが紹介され、改憲に向けて機運の盛り上げを図った。
これらの集会について地元紙の中国新聞は「改憲派、護憲派がそれぞれの主張を繰り広げた」と並列的に報じ、他紙の地域版や地元の民放各局、NHKもほぼ同様だった。その中で、3日付の中国新聞の社説は「緊急事態条項の新設を突破口に、憲法改正への道を開く構えを与党自民党が本格化させている」ことを取り上げ、「権力が暴走した戦前のような社会に逆戻りする恐れがあり、看過できない」と論じていた。
井上俊逸(広島支部)
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2022年5月25日号
2022年04月12日
【支部リポート】広島 金権政治で意見交換 支配の構図の潤滑油は=難波健治
この事態を受けてJCJ広島支部は、「広島の金権政治」をテーマにオンラインによる放談会を3月2日に開いた。会員や市民ら19人が参加し、約90分間にわたり意見を交換した。
冒頭に支部から、このたびの事件であまり問題化されていないともいえる事柄4点を、「話題提供」として紹介した。
長年にわたり県政界に「ドン」として君臨した元県議会議長らのグループが家宅捜査や聴取を繰り返し受けながらも摘発を逃れた▼19年の広島選挙区選挙では、自民党2人目の公認候補で落選した溝手顕正陣営も、地方議員にカネを振り込んだり振り込もうとしたりした▼05年の広島県知事選後、当時の知事後援会事務局長が政治資金収支報告書虚偽記載で逮捕された事件では、自民党は4年に1度の知事選でも県議らにカネを配ってきたことが明るみになった▼1979年に表面化した県庁ぐるみのカラ出張事件では、億単位の不正経理によって生み出されたカネが、知事の選挙資金として上納された疑いがある、という4点。
意見交換では、広島における公職選挙で自民党は、小学区単位につくった社会福祉協議会なるものを通して民生委員ら福祉関係者を巻き込んだ「支配の仕組み」をつくりあげている▼この構図の中でゆがんだ政治資金が組織を活性化する「潤滑油」のように使われていないか、などの情報提供や指摘もあった。
広島で市民は河井事件の先に、政治や選挙に関するどんな目標を掲げて活動すべきだろうか、という点も議論された。
オンラインによる放談会は今回、支部として初の試み。今後、さまざまな地域の課題をテーマに選び、「その問題の専門家」を招いた「オンライン記者会見」をやってみようか、と話し合っている。
難波健治
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2022年3月25日号
2021年10月25日
被爆76年 どう引き継ぐ長崎 「市民の歴史」愚直に綴れ 二番手に悩み、資料館も=橋場紀子
首相の1分遅刻が注目された平和祈念式典から1か月後の9月9日、長崎市の平和公園では恒例の「反核9の日」の座り込みが行われた。原水禁の共同議長で被爆者の川野浩一さんはマイクを握り、平和祈念式典後の菅義偉首相とのやりとりに触れた。「広島の原爆資料館には総理をはじめ、閣僚もあわせこれまでに50数名が訪れている。では、長崎の資料館には何人が来たのかー」。
首相の訪問なし
原爆投下の翌年の「慰霊祭」以降、8月9日の「平和式典」に現職の首相が参列したのは1976年が初めてで、広島から5年遅れた。長崎原爆資料館によると、96年の開館からこれまで現職の首相が同館を訪問・視察したことはない(前身の国際文化会館には84年に中曽根康弘首相(当時)が来訪。現資料館には延べ4人の閣僚が訪れている)。「海外では『広島・長崎に来て、原爆被害の実態を見てほしい』と訴えながら、総理はなぜ、誰一人として長崎には来ないのか」、川野さんは語気を強める。
相次いで鬼籍に
今年、地元メディアは盛んに被爆者団体の活動継続への不安を書きたてた。被爆者援護と核兵器廃絶運動、そして被爆体験の継承をけん引してきたいわゆる「被爆地の顔」となる被爆者がここ数年、相次いで鬼籍に入った。あわせて、長崎被災協の場合、コロナ禍で修学旅行生や観光客がぱったりと止み、事務所1階に入った土産物屋が撤退。テナント収入を見込んでいた活動資金に大打撃を与えた。また、県被爆者手帳友愛会は、前会長の後任選びが難航した経緯を持つ。
「怒りの広島」「祈りの長崎」と長く言われ、長崎は都市の規模が大きな広島の「次」、後塵を拝するイメージがつきまとう。オバマ米大統領は長崎には来ず、ローマ教皇は広島にも寄る。常に二番手であるものの、人数が少ないからこその平和活動の「まとまり」(田上市長が「チーム長崎」と評した)は長崎の強みであった。しかし、被爆者団体だけでなく、被爆二世や労働組合までも高齢化し、平和活動を支えられなくなりつつある。
被爆二世で、平和活動支援センターの平野伸人所長は長崎の現状について、「基礎体力がなくなっている」と憂う。平野さんの活動は幅広く、在外被爆者や中国人強制連行被害者、被爆体験者の救済・支援に加え、高校生平和大使など若い世代のサポート役も担う。8月9日を前に、メディア取材が最も集中する一人だ。しかし、ここ数年、様相が変わってきたと平野さんは感じている。
本質ぼけている
「『被爆』という言葉がつかなければメディアは興味も示さない。全国で報道されるが、広島・長崎はこうでなければいけない、と凝り固まってしまっている」と指摘する。分かりやすく共感を呼びやすいストーリーが描けたとしても、内外の戦争被害者を追い続けたり、読者・視聴者に多様な視点を提供したりはできず、「問題の本質がぼけているのではないか」(平野さん)と手厳しい。
もはや、被爆者、戦争体験者の声が聴ける本当に最後の時代だ。原爆被害だけでなく、いったい先の戦争は何だったのか、「市民の歴史」を愚直に綴れ、「取り残された者は本当にいないのか」と長崎は問われている。被爆者と共に在る残り少ない「8月9日」だったのに、政権末期を象徴したとはいえ全国からは「首相の1分遅刻」で描かれてしまう−その溝もまた、長崎の課題である。
橋場紀子
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2021年9月25日号
2021年09月11日
【被爆から76年・広島】核禁条約に首相触れず 姿勢象徴する読み飛ばし=難波健治
広島平和記念公園で行われた式典は今年もコロナ対策で一般席は設けず、被爆者や遺族、国内外の政府・政党代表や大使ら約750人が参列した。
その式典で菅首相は、事前に用意した原稿の一部を読み飛ばした。その部分には、「核兵器のない世界の実現に向けて力を尽くします」という自らの決意と、「わが国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり」という政府の立場の根幹部分があった。
平和記念式典は、原爆の犠牲にあった多くの人々を弔い、世界から核兵器をなくすことを誓う特別の場である。読み飛ばした結果、意味が通らない形になったが、首相はそのまま読み続けた。まさに、菅政治を象徴する場面となった。
首相はあいさつの冒頭でも、「広島市」を「ヒロマシ」、「原爆」を「ゲンパツ」などと読み違えて言い直した。
また広島市と被爆者団体はこの日、原爆投下時刻の8時15分に東京五輪の選手村などで黙とうの呼びかけをするよう国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長や組織委員会に求めていたが、IOCは応じなかった。
難波健治(広島支部)
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2021年8月25日号
2021年08月23日
「平和」と銘打った広島市条例に疑問と批判 賛否両論「式典を厳粛に」被爆者団体などは「言論の自由侵害する」=宮崎園子
《平和》と銘打った条例が、広島市議会(写真上)で成立した。米軍の原爆投下から76年、「平和都市」広島市民の代表である市議会が初めて議会発案で制定した「平和推進基本条例」。しかし、内容や成立過程において、被爆者団体や平和団体、専門家らの意見は蔑ろにされた。「平和」がスローガン化した被爆76年の広島。3月末までは全国紙記者として記者席で、4月以降は一市民として傍聴席で市議会の審議を見てきた筆者に条例は象徴的に見える。宮崎園子(広島支部)
「憲法という言葉がなく基軸が見えない」「今この時に条例を制定する意味は」
6月定例会最終日の6月25日、2日前に上程された条例案について、野党会派の2議員が反対討論した。だが、その後議論はなく、条例案はわずか30分で賛成多数で原案通り可決。この日までの流れには紆余曲折があった。
市議会は当初、被爆75年を意識し、2020年度内の成立を目指してきた。各会派代表でつくる政策立案検討会議は2年間の議論を経て今年1月に素案を公開。約1カ月間市民意見を募り、600近い市民・団体から1千項目超の意見が寄せられた。
平和団体などが問題視したのは主に3点。条例での平和の定義が、核兵器廃絶や武力紛争に限定されていて狭小である(第2条)▽平和の定義を核兵器廃絶に事実上限定しているのに、「核兵器禁止条約」への言及がない▽市民の役割を、「市が推進する平和施策に協力する」と、義務づける条項がある(第5条)––ことだった。「核禁条約発効の年に、広島の条例として世界に出すのが恥ずかしい」。NPO法人理事の渡部久仁子さんは言う。
意見が最も寄せられ、賛否が真二つに割れたのは、8月6日の平和記念式典を厳粛の中で行うとした第6条2項だった。これには伏線がある。
拡声器の是非
式典中、原爆ドーム周辺では、政府の核政策に抗議するデモ団体が、拡声機でシュプレヒコールをあげながら行進し、機動隊が警備にあたる光景が繰り広げられてきた。こうした中、市は、条例規制を視野に、式典中の拡声機使用について市民アンケートを実施。これに対し、被爆者団体や弁護士会が「条例による規制は言論の自由の妨げにつながる」と批判した。
デモ団体の拡声器使用には、被爆者団体や平和団体の中にも否定的な意見は根強い。「式典の時ぐらい静かにして」との声は、普段取材する中で多く聞く。だが、そんな人々からも反対の声が上がったのは、核兵器廃絶に消極的な日本政府と、核兵器を「絶対悪」とする被爆地・広島との間の温度差がゆえだ。「静かに祈るだけでは平和はこない」「批判できないならまるで戦時中だ」
式典での内閣総理大臣は、国連で採択された核禁条約に触れない形式的あいさつを繰り返してきた。政府は、条約を批准しないどころか、核兵器先制不使用方針を示した米政府に抗議するなど、核抑止力に依存し続ける。
式典のあり方を問題視するデモ団体側と市側は、音量調整などの協議を重ねてきたが、協議は膠着。そんな中浮上したのが、今回の平和推進基本条例案だった。
当然、式典の「厳粛」規定に注目が集まった。
「厳粛」規定を支持する市民団体「静かな8月6日を願う広島市民の会」は、SNSを使って市民意見の提出を呼びかけた。石川勝也代表は、「8月6日は静かに手を合わせて祈りを捧げる日。政治的主張をする場ではない」。
「歴史的な愚策」
一方、長く被爆者援護に取り組んできた田村和之・広島大名誉教授(行政法)は、「平和都市の自己否定というべき歴史的な愚策」と痛烈に批判する。「基本条例なのに第6条だけは具体的な施策を定めていて異様だ」
意見の精査に時間がかかり、年度内成立を断念。3カ月で計9回、寄せられた意見を条文ごとに検討した。だが、議員9人の全員一致でのみ意見を採用するとした結果、意見の多くは反映されなかった。その後、核禁条約については発効の事実のみが前文で挿入され、平和団体が問題視した市民の協力義務規定(第5条)は削除された。だが、狭小な平和の定義や、式典「厳粛」規定は残った。
条例を作ること自体が目的化し、条例の先にどういう市民社会づくりめざすのか、広島から訴える平和とはどういうものなのか、市民を巻き込んだ深い議論がないまま出来上がった条例。被爆者なき後、広島の街は、何を背骨として生きていくのだろうか。そのことがいま、改めて問われている。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2021年7月25日号
2021年05月25日
【支部リポート】香川 お寺で小僧生活送った会員が自分史 赤旗記者36年を振り返る=刎田鉱造
販売チラシには、「『赤旗』記者になった京都のお寺の小僧さん」とあるように、京都・花園の臨済宗総本山妙心寺の塔頭寺院で4年間、小僧生活を送った著者が、楚田という自分の名前のことを手始めに、香川へ引っ越して8年を期して、自分史のエッセンスをまとめたもの。京都の学生運動や立命館大学梅原猛ゼミ、「赤旗」記者としての36年をふり返りつつ、八鹿高校事件と但馬の日々、京都府庁の「憲法」垂れ幕が降ろされた瞬間、田中角栄と早坂茂三氏のことなど歴史の目撃者として見たことを記録。家族新聞のこと、京都の『無言宣伝』の本に寄せた「一人でもやる、一人からはじめる」、そして「オレの八十をみてろ!」などが第一部です。
「ぴーすぼーと漂流記」と船内家族「イルカ家」や2015年NPT再検討会議への要請行動ーNY・ボストンへの旅や、中国、韓国への旅の報告など反核・平和・友好・地球一周の旅のリポートが第二部です。
寄せられた感想には、「自分の人生の折々と重ね合わせて読んだ。自分史を出したいと思った」「『赤旗』が注目されているとき、こんな記者もいたんだという意味で、タイムリーだったのでは」「元気をもらった。われわれもまた志高く生きたいと感じた」などなど。
楚田さんは「読んでもらって、たよりやメールをもらう中で、旧交を温め、コロナ禍の大変な日々をお互いに意気高く過ごしていこうと気持ちを通わせることができたのは、なによりの収穫であり、うれしいことでした」。
なお、本の表紙には、香川町浅野に伝わる農民の祭り「ひょうげ祭り」の装束をした写真と、元国連軍縮担当上級代表のドウアルテ氏に2010年段ボールの署名の山とともに一緒に写した写真をみせた時の一コマを使っているのも、工夫の一つです。
刎田鉱造
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2021年4月25日号
2020年10月30日
【支部リポート】 香川 それぞれの「8・15」 次世代にどう語り継ぐか=刎田鉱造
香川支部は2020.8.15、午後2時から4時まで高松で8月集会を持ちました。9人が参加、それぞれの「8・15の思い」を語りました。ヒロシマ被爆手記朗読の会にかかわるYさん。「今年は若い人に引き継いで、新しい活動をする。会の歩みと未来へ語り継ぐための宝の動画を作ります」と。 「語り継ぐがキーワード」と高松空襲の語り部に取り組むSさん。「動員されてきた労働組合の青年にわが町の近代史を知りましょう、と話した。私の仕事は伝えるための資料つくりを急ぐこと」。 午前中、野党の街頭宣伝に参加してきたTさん。「いまの政治のテーマをもっと深めなくちゃあ。若い人であれ、年配者であれ分かったつもりになっていないか」。1939年生まれ、年配のHさん。「このさき10年は生きていられないと思うから、いま私の8.15を若い人に伝えたいがどうしたら……」。
1945年、国民学校1年生だったIさん。「15日の記憶ない。7月4日の高松空襲、その日予讃線は動いていた。そういう周辺のことをもっと記録していくことが大事だ。いまから私に何ができるか。戦前世代でも戦後世代でもないことにこだわり続ける」。
同じ8・15、9歳だった私。「午後、川へ泳ぎに行く途中、白衣に戦闘帽の兵隊から『戦争は終わった』と聞かされた.玉音放送は覚えがない.先生のいうことがコロッと変わっていた9月の学校。そのままいまも地続きの8月15日」。大学で若い人と学んでいる元民放局員。「最近の子どもたちは感性豊かだ.。きちんと分かってくれるが、じゃあ自分が何かするべきだとはならない。私たちの世代が過去を懐かしく語り継ぐだけではだめで地域や子どもたちにアクションかけよう」。
教員組合で頑張る小学校教員。「若い先生たち、平和の旅にいって、ここを学んでほしい、こう思ってほしいから、あなたの感性で見てきてといえるまで15年かかった」とまた「この夏コロナで走る世間のありさまを見て、恐ろしかった」とも。午前中、10月31日(日)に開く「平和ケンポーがだいじ20周年フェス」の相談会に行ってきたYさん。「野外でのオープンなイベントだけれど、そんな場所で人がよってくれるかな心配」といいながらでも「景気悪くなったら戦争という戦前起こったことがまたくるの?ちょっとそれどうよ」と。平和の日々の影でうごめくものを止める「いまが正念場」というみんなの思いがひとつに……。
刎田鉱造
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年9月25日号
2020年09月24日
改憲に言及しなかった長崎平和宣言 「政権批判するな」と圧力? トーンダウン 首相への忖度か=関口達夫

被爆75年の今年、長崎市の平和祈念式典=写真=で田上富久長崎市長が読みあげた平和宣言は、日本政府に対して核兵器禁止条約の署名・批准だけでなく日本国憲法の平和の理念の堅持を求めており、広島の平和宣言より高く評価されたかも知れない。
しかし、原爆、平和問題を永年取材し、平和宣言の変遷を知る者からすれば、今年の宣言は、安倍首相への忖度を感じざるを得ないものだった。それは平和宣言が2014年、安倍首相の集団的自衛権の行使容認は「戦争をしないという平和の原点が揺らぐ」として、国民の不安の声 に耳を傾けるよう訴えてきたからだ。
宣言は15年も、同じ理由から安保法制について安倍政権に慎重審議を求めた。だが、翌16年からは「日本国憲法の平和の理念を堅持するよう求める」と、抽象的な表現へのトーンダウンが始まった。
長崎の平和宣言は、被爆者や学識者、若者らで構成される平和宣言起草委員会の意見を参考にして作成される。

抽象化進む宣言
16年の起草委員会では憲法9条を改正しようとする動きに警鐘を鳴らすよう求める意見が相次いだ。しかし、田上市長は、憲法改正に言及せず、憲法の平和の理念を堅持せよという表現に留めた。なぜ平和宣言は変質したのか。それは安倍首相とパイプがある長崎県選出の自民党国会議員が、田上市長に平和宣言で政府批判をしないよう”圧力“をかけたからといわれている。
コロナ禍に乗じて安倍首相や自民党から、憲法に緊急事態条項の新設を求める声が上がった今年は、被爆者らから平和宣言起草委員会で、緊急事態条項の新設や9条に自衛隊を明記する憲法改正案に反対するよう求める意見が出されたが、宣言には全く反映されなかった。
このことは、戦争と原爆で甚大な被害を受けた被爆地としては看過できない問題だ。何故なら憲法9条に自衛隊を明記すると、自衛隊が海外でアメリカなどと一緒に正々堂々と戦争をすることが可能になり、その結果日本が戦争に巻き込まれ、場合によっては再び核攻撃を受ける危険性さえ生じるからだ。
危うい現実伝えて
だが、平和宣言が憲法改正の動きに言及しなかったことを報道したマスコミは皆無だった。それは、記者たちが若く、憲法改正や敵基地攻撃論議など日本を戦争する国にしようとする動きに関心が薄いからではないか。原爆は、戦争の過程で投下された。だから記者たちには、核問題だけでなく戦争につながる動きにも関心を向けて欲しい。
そうすれば日本が、安保法制や憲法改正によってアメリカの戦争を支援する体制を整えつつあることがわかる。その上で平和宣言が憲法改正に言及しなかったことを報じれば被爆地の市長を取り込んで戦争へと突き進む日本の危うい現実を伝えることができる。
関口達夫(元長崎放送記者)
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年8月25日号
2020年08月21日
【支部リポート】 香川 懸念つづくゲーム条例 陳情2件 提訴の動きも=刎田鉱造

「香川県ネット・ゲーム依存症対策条例」が4月1日から施行されています。条例には家庭に「子どものゲームは一日60分」をルールにして守ることを保護者の責務と明記されています。県議会審議中から子どもの権利を侵害している、家庭に自己責任を押しつけている、など懸念の声や行動が続いています。
条例施行後開かれた香川県議会6月定例会(7月13日閉会)ではネット・ゲーム依存症対策条例の「制定過程の問題点の洗い出し」を求める陳情2件が出されましたが、不採択となりました。
香川県弁護士会(徳田陽一会長)は会長声明を発表(5月25日)して「条例の廃止、特に本条例18条2項については即時削除」を求めました=写真=。声明はゲーム時間の目安を決めた18条は憲法が保障する自己決定権を侵害する恐れがある、さらに遊ぶ権利を定めた子ども権利条約の趣旨に反する、などと訴えています。
また、高松市内の高校生、渉(わたる)さん=17、名字非公表=は県を相手に違憲訴訟を起こすことにしています。撤回を求める訴訟費用をクラウドファウンディングで募集、すでに目標額を集めて秋口には条例撤回を求める提訴を進める模様です。
もう一つ大きな問題になっているのが制定前に県議会が実施したパブリックコメントです。寄せられた2686件の意見のうち8割ほどが賛成意見ですが、なんと同じ文面が多数あり、同じパソコンからの発信が多いなどおかしなことだらけ。京都市の市民団体「パブリックコメント普及協会」が検証を求める意見書を提出しています。
疑問渦巻くパブコメですが「行政が私的なことに介入すべきでない」という反対意見が400件あったことは注目してよいと思います。
県議会では共産党の秋山時貞県議が市民の声をよく聞いた論戦を展開しました。採決は賛成22(自民党県政会、公明党、無所属)反対10(日本共産党、自民党議員会)。棄権(退席)8(リベラル香川)でした。
同様のゲーム条例を計画していた秋田県大館市では香川の動向を注目して作業をストップするなど影響は広がっています。
刎田鉱造
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年7月25日号
2020年06月12日
山陽新聞不当配転 加計隠し報道を批判 3人の労組が勝利 報復人事はね返す=藤井正人

山陽新聞社では、私たちの組合と社との間で、ことし2月まで5年余に及ぶ長い争議が続いた。「私たちの」と記したのは、社が半世紀以上前に山陽新聞労組を分裂させてつくった第二組合があるからだ。いまや、私たちが3人なのに対して、第二組合は300人もの圧倒的多数になっている。
印刷一筋の人を
争議で争った事件は複数あるが、そのうちの一つが社による正副委員長の出向拒否事件だ。印刷工場直営化を求める山陽労組の運動方針を理由に、社は、2018年春稼働の新印刷工場に、高校卒業以来40年印刷一筋で働いてきた正副委員長2人を出向させず、異職種配転した。
一方、新印刷工場の別会社化を容認する第二組合の印刷部員は、希望者全員を新工場に出向させた。山陽労組は、この差別人事を不当労働行為として、同年4月、岡山県労働委員会に救済を申し立てた。
新聞労連や地域の仲間の支援を受け、多彩な戦術を駆使して闘った。その中でも、大きな転機となったのは、19年2月に元文部科学省事務次官の前川喜平氏を招いて開いた市民集会だった。「これでいいの? 山陽新聞」と銘打った集会は、定員300人の会場に400人もの市民が詰めかけた。
不当配転人事をめぐる労使争議なのに、なぜ前川氏を招いた集会が企画されたのか、不思議に思われるかもしれない。それは、山陽新聞が加計問題をめぐって、加計隠しとも言える報道をしていたこと、山陽労組がそれを厳しく批判していたことによる。
社説で書かない
加計学園は、岡山市に本部を置く。そして、加計学園の運営に、山陽新聞会長が学園理事としてかかわっていた。だから、山陽新聞は@加計問題をできるだけ1面を避けて中面で目立たないよう小さく扱うA共同通信配信記事は、本記を使用するにとどめ、解説やサイドを使っての多角的な報道をしないB社説で取り上げないC見出しは「加計」の文字を使わず「獣医学部新設問題」と言い換える――という報道を展開した。
団体交渉などで再三、このような報道では、安倍首相が国政を私物化している加計問題の本質を読者に伝えられないと批判する山陽労組が社は、疎ましかった。そして、わずか3人の山陽労組が、サイレント・マジョリティーである第二組合に影響力を広げるのを嫌った。
新印刷工場をめぐる問題では、社は、社の方針に反して、あくまで直営化要求を下ろさない山陽労組に対して、正副委員長を不利益に取り扱うことで、第二組合への戒めにしたかったのだ。不当配転人事と、紙面をめぐる問題は、異論を許さないという点で同根だった。だから、前川氏を招いた集会が大きな意味を持ったのである。
会長は利益相反
前川氏は、山陽新聞会長が加計学園理事を務めていることを利益相反だとして厳しく批判した。さらに、紙面について沈黙する第二組合に「職能団体として、自分たちの立場、仕事、自由であるべき活動を守ることも労働組合の重要な役割だ」と指摘、奮起を促した。
争議は、岡山県労委が19年11月、「山陽労組の組合員であるが故の、いわゆる見せしめ人事を行ったものと認められる」と、明確に不当労働行為を認定、組合の完全勝利に終わった。しかし、読者の負託に応える紙面づくりは宿題として残されている。
藤井正人(岡山支部)
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年5月25日号
2020年05月05日
【支部リポート】 香川 気になる事態が二つ 水道広域化とネット制限条例=はねだ鉱造
コロナの恐ろしさが日々身に迫ってくる4月。ほかのことは影が薄くなってしまいがちだが、香川で普通に考えるとおかしいなといえることが二つ始まった。
その一。水道の広域化。全県の水道を一つの広域水道企業団にして2年、この4月から市町村ごとの事務所を5ブロックにまとめ、料金支払い方も統一した。集金業務は高松、中讃ブロックなどでヴェオリア・ジャパンという世界トップクラスの水を商売にしている会社に委託されている。水道が金儲け仕事になってしまう心配が大きい。
こういう不穏な事情は、ほとんどの県民に知らされていない。事業団は「お客さんの声はちゃんと聞きます」などと涼しい顔だ。そこで住民側は「いのちの水を守る会香川」(写真)を3月20日に発足させ、企業団との窓口をつくった。先行きは簡単でなかろうがヨーロッパで破綻した水道民営化を簡単に許すわけにはいくまい。
その二。こちらも全国に先駆けて県議会で成立した「ネット・ゲーム依存症対策条例」が4月1日にスタートした。保護者にスマホやゲームを使う時の家庭内ルール、18才未満は平日60分、休日90分とするなどまことにお節介な県条例だ。いかがなものかと思うのだが「ネットやゲーム依存症対策に向けた県や学校、医療関係者、家庭などの役割をバランスよく目配りできた優れた条例だ」(尾木直樹氏、四国新聞)という見解もある。
議論が拙速だとして共産党2人、自民党議員会8人が反対、リベラル香川7人が退席するなか、自民党県政会19人、公明党2人、無所属1人の賛成で可決した。
この問題をめぐっては、パブリックコメントが集められたが最近その原本が開示された。多数を占めた賛成意見に「全く同じ文章が」が何パターンもあったと伝えられる(瀬戸内海放送)などおかしなことがまた明らかになった。
コロナの陰に捨て置いてよい問題ではない。さてどう攻めようか。
はねだ鉱造
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年4月25日号
2016年10月04日
纐纈氏「衆院選でも統一を」/広島で「不戦のつどい」=中村 敏
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2016年10月03日
一線こえた共産・民進「確認書」/参院選香川選挙区=はねだ鉱造
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2016年08月29日
共感よぶ女子中学生の発言――香川・戦争体験を語り継ぐ集い=刎田鉱造
集い実行委員会は小中高校生を対象に5日間の「夏休み中自由研究」に取り組んできた。高松空襲や原爆、戦争を知ることを目的にした平和学習だ。こ今年は幼、小、中、高の36人が参加した。
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2015年07月29日
戦後70年、26回目 高松空襲跡を歩く=刎田鉱造
現在高松市総合教育センターに姿を変えている新塩屋町小(2010年に統廃合された)玄関の立派な門柱のそばで、同校の最後の校長先生、池田保さんの話を聞いた。
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2010年08月30日
「8・15戦争体験を語り継ぐ集い」=JCJ香川
第31回8・15戦争体験を語りつぐ集いは、今年も8月15日、高松市民文化センターで開かれた。
高松空襲の被害者で、30年目に水道工事で遺骨が発見された母子の物語・紙芝居「30年目のぼくの遺骨」上演で開幕した。
30年間ずっと防空壕の地中にいた7歳のぼくと母さんの思いが人の手で高松の町によみがえった。
母さんの金歯と赤いかんざしが決め手になって身元がわかるてんまつ、朗読ボランティア五島幸子さんの声が会場をしんとさせた。
2010年05月25日
5・23レポート「来るな!艦載機」と4000人 岩国集会で女高生も意見発表=JCJ広島
米軍岩国基地への空母艦載機移駐に反対する岩国大集会が5月23日、岩国市の元町第街区公園に約4000人が集まって開かれ、
在日米軍再編計画の見直しを求める沖縄など全国の市民団体と連携して闘い続けることを宣言する大会アピールを採択した。
集会は4月15日の徳之島1万5000人集会や、4月25日の沖縄9万人集会に呼応し、
岩国爆音訴訟の会など15の市民団体が実行委員会を結成。参加者は降雨の中、「怒」の文字を印刷した黄色の紙を掲げて「艦載機いらんど(怒)
」の声を上げ、再編計画を強行する日米両政府に抗議する共同の輪を全国に広げていくことを誓い合った。
(つづきは下記URLへ)
http://www.jcj.gr.jp/hirosima/page018.html
2009年02月25日
「港を壊すな」の判決が日本を変える 「鞆世界遺産訴訟」が結審=広島ジャーナリスト
裁判がはじまったのは、2007年4月24日。この間、原告側の排水権資格や景観権、埋め立て・架橋計画の公益性などが争われてきた。 鞆港は石積みの波止(はと)や雁木、常夜燈などが江戸時代のころとほとんど変わりなく、手付かずで残っている。 世界遺産級の価値があるとして、イコモスも総会などで埋め立て・架橋計画の中止を求める決議を重ねてきた。
昨年の2月には仮差し止めの申し立てに対して、広島地裁は差し止めの本裁判で間に合うとして、申し立てそのものは却下したものの、 原告160人の排水権と景観権を認め、ひとたび景観を破壊すればとりかえしがつかないとする画期的な判断を下した。
*「広島ジャーナリスト」のHPに飛びます。
2008年10月25日
11・10 アメリカ在住のジャーナリスト 薄井雅子の最新報告
大統領選のあと ― アメリカは、どこに向かうのか
JCJ(日本ジャーナリスト会議)広島支部
日 時:2008年11月10日(月)18:30〜20:30
会 場:広島市中区地域福祉センター 5階 会議室―1
(広島市役所の向かい)電話 082−249−3114
参加費:1000円
講 演:フリージャーナリスト 薄井雅子さん
「大統領選のあと ― アメリカは、どこに向かうのか」
<薄井さんの経歴>1954年福島県生まれ。「女性のひろば」などの記者として活躍。「平和憲法を守る在米日本人の会」呼びかけ人。アメリカ・ミネソタ州在住。著書「戦争熱症候群―傷つくアメリカ社会」、共著「えひめ丸事件―語られざる真実を追う」(新日本出版社)ほか。
<主催>日本ジャーナリスト会議広島支部 http://www.jcj.gr.jp/hirosima/
TEL・FAX 082−243―4203
2008年10月19日
10・21 第2回シネマクラブ上映会(広島映画センター駐車場)
JCJ広島HP「広島ジャーナリスト」によると、今夏発足した「シネマクラブひろしま」が10月21日、第2回「ワンコイン上映会」として、1980年に制作された「青葉学園物語」を上映する。ワンコイン上映会は、広島映画センターが所蔵する貴重な映画を年8回程度上映していく。