第31回8・15戦争体験を語りつぐ集いは、今年も8月15日、高松市民文化センターで開かれた。
高松空襲の被害者で、30年目に水道工事で遺骨が発見された母子の物語・紙芝居「30年目のぼくの遺骨」上演で開幕した。
30年間ずっと防空壕の地中にいた7歳のぼくと母さんの思いが人の手で高松の町によみがえった。
母さんの金歯と赤いかんざしが決め手になって身元がわかるてんまつ、朗読ボランティア五島幸子さんの声が会場をしんとさせた。
JCJ香川支部・今岡重夫さんの実行委員会あいさつに続いて「知られざる戦争・終わらない戦争 ベトナム・ラオス・沖縄・高松」
と題して高松空襲を語りつぐ運動とかかわりの深い蓮井誠一郎茨城大学准教授が講演、ラオスのクラスター爆弾・
不発弾被害の実情を詳しく報告した。8月1日にはクラスター爆弾禁止条約が発効したが、
ラオスでは7800万発残ると想定されている不発弾除去は容易でなく、いまも毎年300人(人口683万人)もの犠牲者が出ている。
不発弾被害は、戦場になったところではどこでも例外なく、いまも被害を受けている。高松でも年に数件は発生する。
講演に続いて、高松が戦場になり、一夜に1359人が非業の死を遂げたあの日を語り伝える様々な運動にとりくむ人たちからの発言が続いた。
植田正太郎・高松空襲をこどもたちに伝える会会長は、大量放火殺人という戦争の本質をこどもたちに伝えるのだと訴え、
山田悌二県原爆被害者の会事務局長はヒロシマ入市体験を、谷本亘さん(74)は7月4日の高松住宅地図復活の余話を、
松永始県原水協事務局長は5月のニューヨークでのNPT会議に向けた行動を、
1945年の香川や高知の戦争遺跡を丹念に調べている藤原義一さん(63)は特攻用の急増飛行場の実態と中学生動員の様子を語った。
また1920年生まれの元兵士は、満州から高知へ、本土決戦へ向けての軍移動、敗戦前後の軍隊の混乱を話し、作家・守川慎一郎さんは、
自分が見た復員兵の心の傷を語った。
来年は慰安婦問題の芝居をしたいという女優の細谷育子さんに続いて、閉会挨拶に立った井上のぶみさんが
「戦争を語り伝えるこの集いを来年も続けていきましょう」と締めくくった。
刎田鉱造


