リビアのミスラタでは25日も、カダフィ政権軍による反政府勢力に対する激しい砲撃が続いた。カダフィ政権は22日、
多国籍軍の無人機による空爆をうけ、24日には地元部族に平和的解決を委ねるとして、ミスラタでの戦闘停止を語ったものの、
戦闘はやまなかった。反体制派もミスラタ制圧を宣言していた。
NATO(北大西洋条約機構)軍は25日未明、リビアの首都トリポリ中心部のカダフィ大佐の拠点を空爆した。
カダフィ大佐の次男セイフイスラム氏が国営通信を通じて「(大佐の)事務所が空爆で狙われたが、子供を怖がらせるだけだ。
われわれを恐怖に陥れ、白旗を揚げさせるのは不可能だ」(時事通信)と徹底抗戦の意向を示したことを伝えた。リビア政府軍は、
NATO軍のトリポリ中心部空爆で45人が重軽傷を負ったと発表、「カダフィ大佐を標的にした攻撃だ」と反発している。
カダフィ大佐は無事だったという。
(JCJふらっしゅ「Y記者のニュースの検証」=小鷲順造)
同じ日、一時、政府軍と反政府勢力の戦闘停止が伝えられた中部ミスラタで、政府軍は市街地へのロケット弾攻撃を行い、
中東の衛星テレビ局アルアラビアによると、30人が死亡、60人が負傷したという。
カダフィの政府軍による民衆に対する軍事攻撃はやまず、多国籍軍の軍事介入はその攻撃の手を縛ることができない。
リビアは内戦状態に突入して事態は「泥沼化」している。悪政に対抗して蜂起した民衆の<革命>の息吹を、
軍備で圧倒的に優位に立つ政権側が武力でそれを制圧しようとする段階で、すでにリビア内部での「泥沼化」は始まっていたともいえるが、
そこへ民間人保護を理由に軍事介入を始めた米・英・仏を軸とした多国籍軍。15日付には欧米各紙に3国が共同寄稿し、
「カダフィは永遠に去らなければならない」と宣告して、カダフィ政権打倒の意思を明確にした。
体制転換に立ち上がった自国民を軍事攻撃する権力者の醜い姿。民衆の体制転換の自由を擁護する立場から軍事介入する外国軍。 それをどっちもどっちと切り捨てても、<泥沼>は終わらない。国際社会は、 外国軍が外部から軍事力による体制転換を正当化しようとする行為とその危険性についてすでに多くを学んでいる。 国連憲章はこれを認めていない。「リビアの将来を決めるのはリビア国民」だと言いつつ、民衆の「体制転換」の権利だけを<正義>として、 「体制転換」がその前提だと強調している。ここで、多国籍軍の無理が引き起こしてきた「戦争」の過去・ 足跡を思い起こさないわけにはいかないだろう。
民主主義を擁護する<正義>が、当該国の多数の民衆の<血>を求めて止まない状況へと自ら陥っていく。 リビア政権の民衆弾圧と殺戮をそのまま許すわけにはいかないが、一方で人間は<神>ではない。この困難な命題に直面して、 人類が歩んだ<民衆殺戮>の近過去は、政府軍が権力の独占・継続のために民衆を武力で抑圧する行為と、 それを許さないとして外部から軍事介入する行為とは<異質><異次元>のものであることを指し示している。<悪>を排除するためにとして、 <善>や<シンパシー>が<悪魔>の行動に変貌するその瞬間・局面を、もし戦闘後の支配・ 占領など恣意的な目的を有しないのであればなおさら、どんなに遅くとも、その局面から抜け出せなくなる前に、 独善に陥る前に気づかねばならないだろう。
平和に悪い平和がないように、戦争に<いい戦争>はない。たとえ無人機を使っても、多国籍軍の軍事介入による戦闘は戦争と変らない。 その行為は、カダフィの深刻なルール違反と独善性と<悪>をも、心情的には残念でならない人もいるに違いないが、 うやむやに正当化していく道でしかないのである。グローバル化が即、国境のない地球社会を現出させているわけではない。
多国籍軍の軍事介入への「しきい値」を引き下げているのだとすれば、 それは地球社会の社会性の現出のときを遅らせる行為にほかならないことを、私たちは広く共有する必要があるだろう。 民衆弾圧を止めない独裁者を殺害して、その独裁政権を他国がこぞって短期間で武力で倒してみせても、 その後の当事国の民衆はその<借り>を背負い続ける重圧か、あるいは国際社会の軍事力のくびきという重圧に囲い込まれ、 そこから再度脱皮をはかるという試練にさいなまれ続けることになる。
もしも国際社会が忘れっぽい善人だとしても、当事国にとっての重圧は変らないし、
多国籍軍の軍事介入が民衆を傷つけていったとすれば、その重圧は多国籍軍や国際社会に対する憎悪となって沈殿し拡大していく。
もしも多国籍軍の軍事介入が「誤爆」といくらいいわけしても、民衆の殺戮を伴って続けられるとすれば、同じ憎悪は爆発的に広がって、
多国籍軍の側が後に「テロ組織」と名づけるであろう民衆蜂起を呼び起こすだろう。それは多国籍軍の側、国際社会の側が「敵」と確認し、
位置づける「テロ」のための「テロ集団」の介入と拡大を引き起こしていくことにつながるだろう。
そして、人の憎悪と血の噴出を歓喜してやまない<戦争待望・渇望勢力>だけが、最終的にそれを歓迎し、
この世の栄華をたからかに満喫することになるだろう。そうした輩や勢力につながる者たちを、政治やビジネス上の事情で「手なづける」
必要のある者たちも、結局、同列に並ぶ者たちと呼ぶほかなくなるだろう。
民主主義をふみにじる独裁政権の毒性の除去をめざして、民衆が立ち上がる行為に強いシンパシーを抱く者、 民主主義の成立の歴史と精神を共有する者は、他国が軍事力をもって独裁政権の除去しようとする行為が、身近な人間集団・ 社会集団で不正やいじめや抑圧・弾圧や情報操作・世論操作や管理統制に対抗して立ち上がる行為とは、異質・別次元の行為となることを、 あらためて自覚しなおす必要があるだろう。
国際的に産業化されネットワーク化されるほどに高度に発達した武器・武力を用いることは、 <義を見てせざるは勇なきなり>という日常社会の精神とは、まったく異なる別次元の行為である。 そして戦争の装置と論理と産業を有してしまった現代社会において、軍事力やそれを背景に隠し抱き、同じ論理で他者を抑圧・ 弾圧しようとする者たちの勇ましさは、身近な人間集団・社会集団のなかの「異物」を抑圧・排除し、他を支配・管理統制するために発揮される。 戦争の道具が装置となり産業となり、国家をも巻き込み、 あるいは国家をも包含し国際的にネットワークしたビジネスとして駆動している時代における民衆の<民主革命>の蜂起に乗じた多国籍軍の軍事介入は、 もはや<義を見てせざるは勇なきなり>の精神的シンパシーの次元をはるかに逸脱していることを忘れるわけにはいかないのである。
15日付に、わざわざ欧米各紙に共同寄稿して、「カダフィは永遠に去らなければならない」と宣告してみせた米・英・ 仏3国の指導者たち。そこまでしてカダフィ政権打倒の意思を明確にしてみせたのは何のためだろうか。 リビアの民衆をカダフィの軍事攻撃から救うためか、それとも軍事介入そのものが目的なのか。仮に3国の指導者たちを突き動かしたものが、 純粋なシンパシーであったにせよ、軍事力の行使は、兵士の「消費」だけでなく、軍備の消費と補充を伴う。 それは指導者たち個人の思いや情熱や信義という枠を楽々と超えて、国際的に発達した軍事装置を駆動させてしまう。
国際社会にもNATO内部にも、この軍事介入に懐疑的な声や反対の声が存在し、一定の抑制はきいているともいわれるが、 カダフィの拠点を狙ったピンポイントの軍事介入は、多国籍軍の<軍事介入>をずるずると多国籍軍の<戦争>へと誘っていく。 国際装置の駆動は実態として、指導者たちの気持ちや精神や正義の問題を乗り越えていく。このままこの攻撃に正統性が付与され、 兵士の末端にまで<正義>が説かれるようになれば、すでに窮鼠猫を噛む状況にあるカダフィ軍の暴走とそれによって起きている泥沼化は、 指導者たちが泥沼化の責任を問われる事態から回避しなければならなくなるがゆえに、さらに泥沼化の様相を深めることになりかねない。
一方で北朝鮮のように、リビアへの欧米各国の軍事攻撃は、 リビアが2003年に核を放棄し国家が弱体化した結果だとの見方を示す国が存在することも確かだ。 欧米諸国が独裁国家の体制変革に肩入れする姿を、北朝鮮政府が強く意識しはじめ、同様の事態が自分にふりかからないようにと神経をとがらせ、 微妙に立ち位置をずらそうとする変化もみられる。2009年に、ミサイル発射に対する国連安全保障理事会の非難声明に反発した北朝鮮は、 6カ国協議を離脱した。だがロイター通信によると、北朝鮮はベルリンなどに代表団を派遣し、 米国の元当局者らと核問題や米朝関係正常化ついて協議を重ねてきた。また核問題担当の特使も、 米朝対話の再開に向けた外交活動を活発化させている、という。
自国内部からの民衆蜂起よりも、それに対する欧米各国の反応の仕方のほうに神経質になる体質そのものが、民衆による「体制転換」 の対象となる可能性を秘めているわけだが、それは教育・プロパガンダとアメとムチでどうにでもなるとたかをくくっているのかもしれない。 だがそうした国が<核>に執着し、<核>の扱いを交渉材料に使おうとする。そうした国にも、生身の民衆がいる。 化石か遺跡のような国と笑い飛ばすだけでは、なぜそうした国が<核>にしがみついて、自己保身を図ろうとするのか。 <核>で国際関係を乗り切り、<核>で自国民を鼓舞しようとするのか。その点をないがしろにしたまま、 民衆の体制転換にむけた蜂起を武力弾圧する独裁者は許しておけないと、多国籍軍を組んで武力介入する。それは、 独裁者の民衆弾圧以上の犠牲を生み、世界に憎悪の連鎖を撒き散らす泥沼状態を現出させる。
軍事独裁政権の外部の武力による倒壊は、軍事力を背景とした強引な開国の論理と相似形を成す。独裁政権の内部の武力による倒壊は、 軍事独裁政権かその傀儡政権を生み出す。武力では、平和も民主主義も人権尊重社会も生み出せないのである。 平和と民主主義と人権尊重社会を志向してやまない国際社会の裏側に、巨大・強大な軍需産業と軍隊・軍備が存在する。人類はまだ、 力で開国させたり、改宗させたり、植民地にしたり、間接統治したり、支配したりされたりする歴史を引きずっている。
それをだれよりも敏感に感じ取るのも、独裁政権の支配層たちであったりするというのも歴史の皮肉なのだろうか。 だが外国勢力による武力介入の可能性が、独裁政権への求心力を高める効果をもたらす側面を見逃していいわけではない。 中東や北アフリカに広がった民衆革命の息吹や萌芽に対して、為政者や支配者はその真の姿を露呈している。リビアやシリアなどのように、 民衆の蜂起を徹底したたきつぶそうとする支配層が存在する。だからそれが他国であろうとも、その頭目を殲滅・ 排除すればよいとの多国籍軍の論理と力の行使は、本当に当該国の民衆を解放するとはかぎらない。かたちとしての解放が、 民力の総合的な発揮に結びついていくような解放につながるかどうかには、疑問符がつく。
支援は無用というのではない。我関せず、他人事として放置しろというのではない。支援のありよう、 内容を見直す必要があると考えるべきだろう。大国の、隣国やその他の国々との外交関係のありようのなかには、理由や事情は種々あるにしても、 独裁政権の容認も含めて多様な「支援」の仕方や過去がある。インターネットの急速な拡大が国と国との距離を縮め、地球社会を緊密・ 複雑なネットワークでつないできたことも影響して、市民と市民を分断して連帯を許さない独裁の手法に風穴が開き、 その結果として多国籍軍の出番が回ってきたとしても、武力介入が「支援」なのか、武力介入だけが「支援」なのかどうか。
支援と武力介入の垣根があまりに下がっていないか。こらえしょうがなくなっていないか。 独裁政権など国家の暴走に対する支援のありようについて、国際社会は再度、「かたち」だけを理想化して軍事介入というかたちの「支援」 を決め込むのではなく、より奥深いところからの問題解決と支援の方法を模索していく必要が出ていることに気づかされる。 3月末にゲーツ米国防長官は、政権打倒に立ち上がった民衆勢力について「どういう人たちなのかよく分かっていない」と語った。 そしてもし民主勢力に武器を供与する必要が生じたときには、武器の扱い方など訓練についての米国の関与を否定している。さらにこのとき、 「私がこの職にある以上、陸上部隊派遣はない」と明言してもいる。 これはオバマ大統領のリビア情勢への過度な介入に慎重であろうとする考えを反映しているともいえる。だがそれがなし崩し的に、 介入の度合いを深めるかどうかの分岐点にさしかかっているのだ。
軍事顧問団の派遣、空爆の強化。前のめりになっていないか。作戦の手詰まり感と、政治の無力は違う。米・英・仏3国の指導者たちは、 もう一度、国際社会を広くを見渡すべきではないのか。25日には、イタリアのベルルスコーニ首相も、空爆参加の意思を表明した。これが、 国際社会を再度広くを見渡した結果とは思えない。犠牲者の拡大と戦闘のこう着状態が、多国籍軍の側の焦りを引き起こしている。 正当化がさらなる正当化を要求している。この空転と悪循環を早急に止めねばならない。
中東と北アフリカの世論と政治の力の駆動のなかで、内戦にもちこんだ独裁政権の論理を孤立させ、再度浮き彫りにする必要が出ている。 イラク戦争に象徴される軍事介入とその後の泥沼を繰り返すわけにはいかない。 軍事ビジネスの論理を本格稼動させていくような論理と政治ではなく、外部からの軍事介入を止め、 内戦を速やかに停止させていくための国際政治の再構築と幾重もの国際監視網とを敷きなおすべきときであるように思えてならないのである。
<追記>
日本経済新聞によるとオバマ米大統領は、26日、リビアの反体制勢力に2500万ドル(約20億5000万円) の人道支援を供与することを許可した。武器は含まず、医薬品などが主という。この「支援」は、クリントン国務長官が20日に進言していたが、 リビアへの深入りを望まないオバマ氏は、これまで態度を保留していた。前述したように、25日にイタリアが空爆参加を表明するなど、 欧州がより大きな責任を負う姿勢を打ち出したことをうけて、オバマ氏も「側面支援の範囲内」で新たな協力に賛同した、と同紙は書いている。
民衆勢力への武器供与については、22日にライス米国連大使が、「非常に注意深く慎重に」検討していることを明らかにしている。
NATOも3月末の段階で、民衆勢力への武器供与には反対の姿勢を打ち出している。NATO事務総長は 「リビア国内への武器の流入を止めること」に主眼を置く立場を明らかにしている。
一方、フランスのサルコジ大統領は、民衆勢力(の連合体「国民評議会」)への武器供与に積極的な姿勢を見せている。「市民革命」 の本家としてのシンパシーからであるとするならば、その心情もまったく理解できないわけではないが、同時に現代の兵器や兵器産業・ 軍需産業についてサルコジ大統領が無知であったり無視したりするようなことは考えにくい。先進国の一部が他国の「市民革命」 に現代兵器を投入してサポートを強めようとする姿は、「レジスタンス」に身を投じる革命家の姿とはほど遠い。「市民革命」 へのシンパシーの強さよりも、「保守化」を強めるフランスの政治姿勢との関連のほうが、今回の軍事介入の判断にはずっと近いように思える。 なお、サルコジ大統領は26日に、ローマでイタリアのベルルスコーニ首相と会談して、リビア情勢などを協議する予定だが、仏伊両国は、1) リビアの反政府勢力への武器供与と、2)リビアの凍結資産の「国民評議会」への移転について考えが一致していると報じられている。 なにかと話題のベルルスコーニ氏だが、そのイタリア首相が、原発大国フランスと組んで、 リビアの軍事介入に乗り出してくると聞いただけで警戒心を強めたくなる。
(こわし・じゅんぞう/日本ジャーナリスト会議会員)
西部ミスラタ、カダフィ側の停戦示唆後も激しい戦闘 リビア(AFP)
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2796889/7130324
NATO軍、大佐拠点を空爆=ミスラタでは戦闘再燃−リビア(時事通信)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011042500810
リビア北西部の都市で30人死亡 カダフィ政権、攻撃続行(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C9381959FE0E7E2E6868DE0E7E2E6E0E2E3E39494E3E2E2E2;at=ALL
リビア情勢 “泥沼化”する外国軍の介入(しんぶん赤旗)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-04-25/2011042502_02_1.html
オバマ米大統領、リビア反体制勢力への人道支援に許可(日本経済新聞27日)
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C9381959FE0E5E2E3838DE0E5E2E6E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;at=ALL
リビア反政府派への武器供与支持=仏(時事通信)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201104/2011042300065
米国:リビア反体制派への武器供与、慎重に検討中−ライス国連大使(ブルームバーグ22日)
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920012&sid=aEw7z2mMWoXA
リビア:武器供与後の訓練、米軍は消極的−−国防長官見解(毎日新聞1日)
http://mainichi.jp/select/world/archive/news/2011/04/01/20110401dde002030013000c.html


