読売新聞グループのドンナベツネ≠真っ向から批判し、巨人軍球団代表を2011年11月に解任された清武英利(62)さんは、読売新聞社会部時代、敏腕記者として活躍した。その清武さんに、番犬の役割が薄れ、時の政府に吠えなくなった大新聞など活字メディア衰退の原因などについて語ってもらった。
◎清武英利(きよたけ・ひでとし)/1950年10月12日、宮崎県生まれ。立命館大学経済学部卒業。75年読売新聞社入社。東京本社社会部時代、第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)総会屋事件や山一證券破たんなどをスクープ。東京本社編集委員や編集局運動部長を経て04年読売巨人軍球団代表に就任。球団代表時代にプロ野球界に育成選手制度を取り入れた。ナベツネを告発したことで、11年11月に球団代表を解任される。
――大手新聞を筆頭とした活字メディアの現状をどう見ていますか。
記者も紙面も怒らなくなっている。原発、TPP、消費税増税などの問題で異論なくことが進んでいて、政府側に押し切られている。それでいながら市井の小さな声も疑惑もあまり取り上げていない。昨年8月に山の上ホテルの元支配人が「解任は不当」として提訴した。社長のお金の使い方がおかしいと役員会で内部告発して解任され、ホテルを追われた。朝日が報じただけ。僕はその元支配人に頑張ってください≠ニ手紙を差し上げた。別に連帯しようと思ってやったことじゃない。訴状を読んでなるほどと思ったが、活字メディアはもっと市井の疑問を取り上げるべきだ。
かつてこれはおかしいとかこういう疑惑があるなど警笛を鳴らした記事が雑誌に掲載された。新聞の補完的な役割をしていた。しかし、雑誌の数が少なくなり発表する場が減った。このためそうした世界が活躍の場だったフリージャーナリストの力が弱くなり、競争し切磋琢磨していた大新聞の記者も頑張らなくなった。活字ジャーナリズムの世界が寡占状態化した。そうなると大新聞の記者は怠慢になる。記者クラブに寄りかかり、クラブの弊害が強まる。そのうえ小さな声を拾い疑惑を衝くということをしていない。これは恐ろしいことだ。
――疑惑を衝けなくなった活字ジャーナリズムの衰退原因は何か。
僕は長らく国税庁を担当していた。警察や地検とは違う見方でお金を切り口にして企業や個人の側面を当たる役所です。問題が少なくなったとは思えないが、へえーと驚く記事があまりない。ガードが固いのは昔も今も変わらないが、記者の突破力は弱くなっている。記者がじっと待っている。組織も記者の冒険を許容する力がない。バックから頑張れというのではなく、万が一誤報だとクビが飛ぶぞとプレッシャーをかける。もちろん誤報はいけないが…。それにしても度量が狭い。
記者のレベルが落ちたのは読売新聞や朝日新聞に入社したことが、ステータスになった。支配階層入りしている。激しい競争を経て入社したので、現状に甘んじてしまう。これではレベルダウンする。大学で特別講義をしたとき、学生に自分が勤める会社の不正を知ったらどうするかを尋ねた。内部告発する≠ニ答えたのは2割以下でした。組織の一員として上司に相談する∞じっくり考える≠ェ多かった。けしからんと思うのはごく一部、ほとんどは社会の落伍者になることを恐れる。負け組になりたくない。だから組織内のルールを守る。常識にしばられる。しかし、特ダネは常識を疑うことから生まれる。
――常識を疑うことで特ダネにつながった具体的ケースを話していただきたい。
編集委員時代の02年ごろ、ある民間団体幹部から脱北者はすでに日本に入っていて、外務省や入国管理局がこっそり入国させているという話を聞いた。だが僕の取材に外務省も法務省も否定した。役所は否定しているし、裏も取りにくい、面倒な話になるなと思ったが、常識を疑いだれか応じてくれるだろうと、地べたをはうような取材をした。入管関係者などに何人も面談。とうとうある人が実は外務省幹部と協議し、入国を許可したと教えてくれた。その後も取材を続け認める人が出てきた。入国した脱北者のほとんどは日本人妻でした。中国からの強制送還やタイ経由で入ってきた。亡命や難民でもないので、日本人と確認すると入国に問題はありません。書いた記事は脱北日本人妻 極秘に帰国≠ニ大見出しが付けられ、1面でした。この記事以降、脱北者が入国していることを否定する人はいない。今では多分、男性も含め百人はいる。こうした当局が認めないことを掘り下げる話はいっぱいあるはず。取材の過程で社内に支援してくれる人は少ない。嫉妬もあるからね。孤立するが、でも記者ならそこを突破してもらいたい。
40歳手前の中堅になると、出世が頭の中にちらつく。うまく行けばあそこのポジ ションまでいけそうと考えるといい子になってしまう。上司も部下の行動にブレーキをかける。しかし、記者を志したのなら出世欲を捨てて志に心を振り向ける。記者は記者のままで進む。広報部に転じたい、管理職になりたいという記者はすでに記者ではない。
――新聞の調査報道や新聞ジャーナリズムは先行きどうなるか。
調査報道は弱くなった。たとえば原発問題。なぜもっと早く、強く叫ぶ記者がでなかったのか。オレはこっちの方をやるという姿勢が必要。現象を切り崩していくには相当に勇気がいる。
大新聞では管理が強まっている。ボクが社会部記者のとき単行本にした『会長はなぜ自殺したか―金融腐敗=呪縛の検証』(読売新聞社会部98年新潮社刊)のとき、職務著作権(法人などの業務に従事する者が職務上著作物を創作した場合、当該法人が著作者になる)なんかだれも持ち出さなかった。だからチームみんなが、自由に頑張って自分たちの発想で問題を掘り下げて本にしようとしたので、濃密な取材ができた。ところが現在は単行本化するには職務著作権を代行する局長のハンがなければダメなどと言い出している。そんな管理下で新聞の連載記事を膨らまして本にしても面白くない。新聞取材と本の取材の手法は根本的に違う。新聞取材は甘いし浅い。それでも新聞はその日暮らしだから間に合う。管理を徹底させた新聞ジャーナリズムの下では手法の違いを知らない記者が多い。
――衰退をたどる活字ジャーナリズムに代わるものはあるのか。
風穴をあけ、新聞を鍛えるのはネットです。ツイッター、ブログ、フェイスブック、ユーチューブ。ほんの少し前は活字にできない情報をのせたブログは、便所の落書き扱いだった。タダのものは価値がなかった。玉石混交だが、今ではタダでも価値があることが分かった。
――最後にあれから1年半が経過しましたが、裁判の行方について。
最高裁までいくとしたら、さらに延々と時間がかかる。読売側は裁判対応で、ボクが疲弊することを狙っている。裁判は、やる気とお金と時間を奪う。読売はここまでやるのか、ここまでおとしめるのかと思う場面がしばしばある。ため息が出る、がっかりもする。しかし、踏み出したのだから、納得できるまでやる。裁判に勝つ、あるいは負ける、これは勝負の中の一つだが、万が一負けても主張は間違っていない。残念ながら部下だった一部の者や先輩がボクを叩いている。清武に協力するなと社内で踏み絵をふまされているかもしれない。人間の質や姿勢の違いを見せるためにも最後まで貫く態度を示さなければならない。
■インタビュアー・メモ
今でも保障された報酬と地位を投げ打ち、バカなことをしたと言い放つ人がいると、清武さんは言う。そんなことを考えたらやれなかったそうだ。ナベツネに対する怒りがああいう行動に走らせたのだろう。清武さんは元気そのもの。「徹底抗戦」を宣言してくれた。へこむな、清武さん。
橋詰雅博(フリーライター・元日刊ゲンダイ記者)
【清武裁判】
読売巨人軍ヘッドコーチ人事をめぐり、2011年11月、巨人軍球団代表の清武英利さんが、読売新聞グループ本社の渡邉恒雄代表取締役会長に「重大なコンプライアンス(法令遵守)違反があった」と記者会見で痛烈に批判したのが清武対ナベツネ戦争≠フ発端。読売側は清武本人だけでなく、読売新聞社会部記者時代に清武さんが中心となって書いた本を復刻しようとした七つ森書館を「出版契約無効」などとして提訴した。おかげで清武さんは現在、合計8件の民事裁判を抱え、損害賠償総額約1億1000万円を求められている。清武さんの弁護団は10人。
なお清武さんは日本文芸家協会会員。「巨魁」(ワック)「Yの悲劇」(魚住昭氏 と共著/講談社)「メディアの破壊者読売新聞」(佐高信氏と共著/七つ森書館)の著書がある。
*JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2013年5月25日号、6月25日号より


