この人たちに学問の府を構成する人間としての自覚はあるのだろうか――大学教員を集めた専門家委員の議論を傍聴していると、じりじりとしたいら立ちのような気持ちに駆り立てられる。東京都練馬区で開かれている公園造営計画にかかわる専門家委員会。話し合われているのは、やってくる人たちを迎えるビジターセンターをどのようなものにするか、公園の区割りや水辺を楽しめる遊歩道はどう設計するかなど。それ自体は、住民らの生活環境を向上させるためのいかにもほのぼのとした課題のように思われる。ただし、それがいまそこに住んでいる約1000人、500世帯を立ち退かせることが前提になっているのでなければ。
計画は、いま樹林地になっている公園約2.2ヘクタールを含む周辺の住宅地約10ヘクタールを新たな公園として整備しようとするものだ。対象地域内に住んでいる人たちには立ち退いてもらうことが前提になっている。
区が計画に取り組む最大の根拠としているのは、当時は田んぼや畑ばかりだった対象地域が1957年に公園として都市計画決定されたことだ。ところが今日ではそこに住宅が建ち並び、当時ののどかな面影はすっかり姿を消している。
それを決定から60年以上も経ってから、かつての計画を根拠に、公園化=住民立ち退きを進めようというのだ。そんな昔の話がなぜここにきて蒸し返されることになったのか。区は緑化の推進などを理由に挙げているが、現住民を追い出してまで実行する根拠としては弱すぎる。一部には、現区長のレガシーづくりではないかとの見方もある。
区が計画を実行するために持ち出した名目が、多年草植物カタクリの保護だ。かつては大手マスコミにたびたび取り上げられたこともある区が誇る自然資源であるにも関わらず、対象地域でカタクリが減少したのは市街化の進展により生育環境が害されたせいで、守るには全体を公園化して住宅を追い出すしかないというのが区側の言い分だった。区の職員を招いて住民が開催した説明会では、出席者から「カタクリのために追い出されるのか」との声が漏れたほどだ。
なのに、2年前からこの12月まで9回に渡って開かれた専門家委員会でそれらが議論されたことはほとんどない。
私は計画の無謀さを知ってから、このような委員会の大半に出席して傍聴を続けてきた。これまでのところ、専門家とされる委員たちが住民らの気持ちを慮るような姿勢に接したことはまったくない。計画を進めたい区の意向に添って、公園づくりのアイデアを出しているだけという感じなのだ。それを見ていて、つくづく思う。彼ら委員にとって学問とは何なのかと。学問とはあらゆる所与の前提を疑うところから始まるものではないのか。区から与えられた計画をうのみにして専門家風の意見を提供するだけなら、結果として区の意向にお墨付きを与えているだけではないか。「御用学者」という言葉がまざまざと頭に浮かぶ。こんなことで学者とか学問と呼べるのか。
計画の実績づくりだけが進んでいく事態に耐えられなくなった対象地域の住民らは、会場で思いのたけをアピールし始めた。12月8日に開かれた専門家委員会では、終了後、これまでもたびたび区に意見を具申してきたYさんが担当課長に「今日の委員会など、カタクリにまったく触れていないではないか」と厳しく詰め寄った。
住民が最も気にする事業の核心は素通りし、さも民主的な手続きを踏んでいるかのような形式だけが積み上げられてゆく。そんな民意無視の区の対応の一端がそこに示されていた。
やりきれないのは、こうした公共事業のやり方はこの件に限らず、そこいら中にあふれているのではないかということだ。
2025年12月21日
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