2025年12月23日

【リレー時評】「歴史的分析、評価」欠いた戦後80年=吉原 功(JCJ代表委員)

 毎日新聞の伊藤智永専門編集委員が「小和田氏の戦後80年批判」(9月20日付朝刊コラム「土記」)と題し、元国際司法裁判所長官の小和田恒氏が9月12日講演し、「戦後80年報道のあり方に直球の疑問を投じた」ことを紹介した。

 日本記者クラブの「各界長老に『戦後80年を問う』」企画に応じての講演を伊藤氏は「『カミソリ』衰えず」と評した。
 登壇の小和田氏は、日本国民受難の体験に集中したメディアの戦後80年報道を「それが悪いというのではないが、全てなのか。日本に加害者の立場はなかったのか」と問い、「外交は相手の見方を踏まえた外交の技術」「被害者と加害者の見方は相当違う」と指摘。戦後80年の歴史が日本外交に課した3つの課題と、それが並行し絡み合って進んできたことを説いて「戦争に至った日本の行動に対する厳格な歴史的分析と評価こそ80年になされねばならなかったと感じます」と結んだ。

 まさにその通りであり、メディアは「日本の行動」に自らの報道が含まれることも忘れてはならないであろう。
伊藤氏はコラムで「小和田氏はそれ以上言わないが」と、断りながらも「戦後80年報道も、長く深く時代を見通す洞察が問われた」「戦後処理問題に『戦後70年安倍晋三首相談話』がもくろんだ虫のいい終わりはない。そんな幼稚な了見で外交はできない」と、さらに一歩踏み込んだ。                                      

 日本にとっての「戦後80年」は、中国にとっては「抗日戦争勝利80年」である。それを記念し北京で9月3日実施された軍事パレードは日本でも大きく報道された。中露朝のトップが公式の場で66年ぶりに勝利を称揚したのだから、メディアがその軍事的脅威、米国に代わる新たな国際秩序形成への意気込みなどに注目するのは当然だが、なぜ「抗日」なのかの深い洞察が報道には読み取れない。それこそが最も大きな問題であろう。

 9月18日は、かつて日本軍(関東軍)が鉄道を爆破し、それを中国軍の仕業として戦線を拡大した柳条湖事件の日である。「731部隊」の細菌戦や人体実験もその後の展開の中で行われた。日本メディアは中国の「抗日」軍事パレードを大きく報じたが、総じて「反日キャンペーン」の一環として捉えていた。「731部隊展示館」を取材し、「こうした展示を見て、中国人はどう受け止めているのか」と書いた記者がいたが、その問いは自らに対して発するべきだったのではないか。

 今年1月、岩波ジュニア新書として出版された宇田川幸大著『歴史的に考えること 過去と対話し、未来をつくる』は、「ジュニア」に限らずジャーナリストにも読んでもらいたい本だ。メディアの「戦後80年企画」担当者たちが「わたしたちは近代日本の戦争の『後』を生きている」とする本書を読んでいたら、報道はより「長く深く時代を洞察」するものになっていただろう
         JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年11月25日号 
posted by JCJ at 02:00 | TrackBack(0) | <リレー時評> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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