2026年03月28日

【日米軍事】米海軍の空母配備から53年 「これ以上の一体化は皆さんの命にかかわる」 横須賀月例デモ600回 自衛官に直接呼びかけも=木元茂夫(「すべての基地に「NO!」を・ファイト神奈川」) 

                 
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 横須賀に米海軍の空母が配備されたのはベトナム戦争末期の1973年のことだ。「両3年の間」のはずだった配備は、いつの間にか53年と半世紀を超えた。非核市民宣言運動ヨコスカの新倉裕史さん=写真=は「空母ミッドウェイが入港してしばらくしたら街は静かになってしまった。これは何かやらなければと思いました」と、月例デモを始めた動機を語った。

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               居並ぶ米海軍のミサイル駆逐艦


ベトナム戦争
終結翌年から

 ベトナム戦争終結の翌年、76年から開始された月例デモは、2026年1月25日で600回を迎えた。「参加者の最低記録は79年の5人」と新倉さんはふり返った。ピースデポの梅林宏道さんは、「83年に核・非核両方の弾頭をもつトマホーク搭載艦艇を横須賀に配備しようとする動きがあり、全国運動がありました」と回想した。当時は臨海公園と呼ばれていたヴェルニ―公園に多くの人々が集まり、長さ15mくらいだったかの長い長い横断幕を掲げて、米海軍の正面ゲート前をデモ行進したことを思い出す。

 88年7月には海自の潜水艦「なだしお」と大型遊漁船「第一富士山丸」が衝突し、乗客と乗組員30名が亡くなる大事故もあった。91年の湾岸戦争、03年のイラク戦争では、横須賀の空母が艦載機による空爆を繰り返した。随伴艦として出動したイージス艦はトマホーク巡航ミサイルで対地攻撃を行った。このころ、03年〜04年の月例デモ参加者は平均50名を超えた。「復興で死者は還らない」という横断幕をかかげ、イラク攻撃からもどってきた空母キティ―ホークにデモをやった記憶は、いまも鮮明に残る。

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             米海軍の原子力空母ジョージ・ワシントン

空母原子力化へ
基地大改造工事

 米海軍は原子力空母配備のため、横須賀基地の大改造にのりだした。まず始まったのは、350mくらいだった岸壁を400mに延長する大工事。戦時中に戦艦信濃の空母改造工事に使われた巨大なクレーンはこの過程で撤去され、新たに設置された2基の巨大なクレーンは「横綱」、「大関」と命名された。
土砂の崩落事故が起き、明らかになったのは深刻な土壌と地下水の汚染だ。浄化には2年くらいかかったという。

純水プラント
ガス発電所も

 念入りに行われた浚渫工事は水深13m確保のためで、船底から海水を取り入れる原子力空母の3次冷却水に土砂を吸い込まないのが目的。基地内ではさらに、原子炉の一次冷却水に使用する純水製造プラントが新設され、原子炉冷却に必要な電力が東京電力だけでは不安と、東京ガスからガスを買い基地内にガス発電所も新設した。米海軍は、こうした一連の工事を終えたが、原子力空母の艦内火災が起き、配備は半年余り遅れた。

機動隊員からの
意外な声かけも

 08年秋、原子力空母ジョージ・ワシントンが配備された。警備の機動隊員から「みなさん、この日のためにがんばって来られたのでしょう」と意外な声をかけられて驚いた思い出もある。
ジョージ・ワシントンは15年に原子炉の燃料棒交換で、同ドナルド・レーガンと交代。改修工事を終えて24年に再びもどってきた。

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                 月例デモ参加の市民たち

日中間の緊張
どうほぐすか

 月例デモの参加者はこの間、30人から40人くらいの間を推移。私は、海上自衛隊横須賀地方総監部の前で、自衛官に呼びかける役回りを引き受けているが、観艦式と重なり、体験航海で自衛隊の艦艇に乗った人々が総監部前からぞろぞろと出て来るのに2回くらいぶつかった。
普段とは違う緊張を感じるそういう時、「私たちは自衛官の命をとても大切だと思っています」とアピールし、「命を落としたり、負傷することがないよう、そして、他国の人々を殺傷することがないよう願っています」と続ける。見学者はもちろん、自衛官からも罵声を浴びせられたことはない。総監部の重そうな扉の内側に警備の自衛官が立っていることもある。直接、自衛官に呼びかけることのできる貴重な機会である。自衛官から手紙が来たこともある。
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             月例デモ600回の歩みを報告する写真展
 日米ガイドラインの制定・改定、国会での激論を経た15年の安保法制成立。22年には国会での議論もなく安保三文書が閣議決定され、米軍と自衛隊の一体化は76年とは比較にならないほど進んだ。
 高市首相の「台湾有事」存立危機事態発言、自衛隊機と空母遼寧艦載機との接近・レーダー波照射事件。高まる日中間の緊張をどうほぐすかが問われている。「これ以上の日米軍事一体化は自衛官のみなさんの命と健康にかかわる」、600回のデモの日、横須賀地方総監部前で、私はそう訴えた。
         JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2026年2月25日号 
posted by JCJ at 01:00 | TrackBack(0) | 関東・甲信越 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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