コロナ下、山形県の最上川沿いにある白鷹町に通い、ドキュメンタリー映画を製作した。その映画タイトルおよび書名が『出稼ぎの時代から』(社会評論社)である。国の戦後農村の変貌の一時期を表す出来事を頭に、その後の村の有様を追った。
映画には主に農村の人たちから、様々な反響が寄せられた。村の男たちが冬から春先まで約半年、出稼ぎで都会に出かけ、村から姿を消した1960年代から70年代にかけての10年余は、深い影響を人々の心に残したことが、今さらのように分かった。映画で描ききれなかった反響を記録に残そうと思い立ち、出来上がったのが本書である。
村から男たちの姿が消える半年の長い冬を、女性や子どもたちはどう過ごしたか、出稼ぎせずに済むにはどうしたらよいのか、出稼ぎ者を迎えた都市では、様々な人たちに登場願い、証言していただいた。本書は戦後農村を生きてきた人々自身が編む民衆史の様相を帯びる内容となった。
同時に、ここでも映画づくりでぶつかったと同じ課題に突き当たった。村はこの先どうなるのか、人々はどうしようとしているのか、という問題である。
出稼ぎの時代、村の男たちは半年姿を消したが、春には帰ってきて農作業に精を出した。だがいま村にはその姿はなく、土地は放棄され、朽ちかけた空き家が目立つ。出稼ぎ世代は次第にいなくなり、若い世代は戻ってこない。まさに村が消えかけている。
その一方で為政者は、AIとロボットとハイテクと植物工場を振興させ、農業を輸出産業へと叫んでいる。村も人もいらないというのだ。 映画と本を作ってきた私たちは、その現実をそのまま描けばいいのだろうか。とはいえ、村と同化している私たちは、村の現実をどうにかしたいと、自分事でしか考えられない。そんな思いを抱えつつ自分たちなりの視点でこの先を描きたいと模索している。
2026年04月27日
この記事へのトラックバック


