2026年05月11日

【沖縄JN】オール沖縄の敗因は? オンライン勉強会 9月には知事選も=高田正基(北海道支部)

 JCJの会員有志でつくる沖縄ジャンプナイト(OJN)は3月29日、先の衆院選で県内全4選挙区で敗れた「オール沖縄」の敗因分析と、これまでの歩みを学ぶ勉強会をオンラインで開いた。OJNのメンバーでもある沖縄タイムスの黒島美奈子さんと琉球新報の米倉外昭さんが、取材経験を踏まえて解説。オール沖縄は翁長雄志知事(当時)死去後、企業と保守陣営の離脱や新興政党の台頭によって分裂し、時代の変化に対応できなかったと分析した。

 黒島さんはオール沖縄の誕生以来の動向などを説明し、米倉さんがオール沖縄に当初からあった限界と衆院選の敗因を中心に補足した。
オール沖縄は保守政治家だった翁長氏が「生みの親」だ。翁長氏は2012年から基地問題に関し保革共闘の重要性について発言していた。13年、県議や市町村長らとともに普天間飛行場の県内移設反対などを訴えた東京・銀座のデモ行進で右翼から罵声を浴びたことは、翁長氏の「イデオロギーではなくアイデンティティーだ」との発言へとつながっていく。経済界や労組、市民団体にも参加を呼びかけ、15年に「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」が組織化された。
 オール沖縄の候補は国政選挙など全県選挙では強みを発揮した一方、地域の政策課題が争点になる市長選では逆に敗北が続いた。
最初の転機は18年の名護市長選の敗北だ。責任を取る形で企業出身の共同代表が辞任。さらに同年、組織の支柱だった翁長氏が死去し組織に動揺が広がった。

 それでも辺野古新基地反対の民意は底堅く、19年の県民投票では反対が7割を占めた。一方で、社会がコロナ禍に突入していく中、組織重鎮の経営者が「経済界としてそんなに長く政治的に戦うわけにはいかない」として離脱した。
 保革共闘の崩壊が決定的になったのは22年の那覇市長選だ。自民・公明推薦候補にオール沖縄の候補が敗れた。
今年2月の衆院選では、自民党が高市早苗首相の人気を選挙区事情によって使い分け、首相に抵抗感が強い公明票を巧みに取り込んだ。野党はれいわ新選組など新興政党の台頭で票が分散したほか、中道改革連合の安住淳共同幹事長(当時)が「政権を担うことになれば(辺野古の工事を)ストップするかというと現実的ではない」と述べたことも支持者の離反を招いた。

 米倉さんは「翁長氏ありきのオール沖縄に依存した選挙には限界があった」と分析し、オール沖縄は一度解散して出直す必要があると指摘した。衆院選後、2人が亡くなった辺野古の小型船転覆事故の衝撃も大きく、右派言論やネットの反対運動叩きが続く。「沖縄の平和運動の正当性さえ揺らぎ始めている」(黒島さん)という。

 今年9月の知事選も厳しい戦いが予想される。黒島さんは「PFASや騒音など暮らしにかかわる基地問題は多く、沖縄ではなおも基地負担軽減を求める声は一致している。そうした沖縄の民意をくみ取る政治集団が求められていることに変わりはない」と締めくくった。 
      JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2026年4月25日号 
posted by JCJ at 01:00 | TrackBack(0) | 九州・沖縄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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